第11話 昇竜印



 廃屋を出てから半日、雨の影響で道は悪くなっていたが、荷馬車は止まることなく進むことができていた。


 二人は御車台に並んで座る。


「あと半時もすればフルリュハイト大森林を抜けるな」


「やっと森から抜けられるね」


「だが勉学の森から抜けることはできないぞ。さっ続きだ。やれ」


「うっ、ちょっと休憩しよっかな~っ」


 イグは計算問題を書いた木板を隣のリュオに渡すが、彼女はそれを飽き飽きした目で見詰め受け取らない。


 商人にとって知識や情報というのは騎士の技量、剣や防具と同じだ。知らなければ足元を見られるし、知っていれば優位に立てる。


「ダメだ。やれ」


 しかしイグは強引に木板を手渡す。それはまるで見習い騎士を虐め抜く鬼教官のようだ。

 受け取ったリュオは「はぁー」と溜め息を吐いた。


 ビッツ村を出てからリュオは屡々、イグから勉強を教わっていた。リュオの義父のマイズミンが博識であった為、リュオは読み書きができたが、それでも知らない単語は多く、馬車に揺られながらイグに習う。

 計算は知らなくて一から教わった。イグが木板に石膏で問を書き、それをリュオが解く。そんなことを繰返していた。


 リュオは優秀で教えたことを直ぐに理解した。イグがなかなかできなかったこともあっという間にできるようになる。そんな優秀な弟子に若干嫉妬しながらもイグは教え甲斐があると感じていた。


 隣で問題に集中している見習い騎士を横目に見ながら鬼教官は思う。


(これが終わったら今日は遊ばせてやるか)と。




 そんな調子で進んでいるとリュオの獣耳がピクリと動いた。


「イグ、この先に人がいる。……それも何十人も」


 イグは慌ててオルトハーゲンを止めた。


「……おかしい」


 イグの空気が真剣なものへ変わった。無精髭を撫でながら道の先を睨んでいる。


「何がおかしいの?」


 リュオは不安そうにイグの横顔を見る。


「こんなところにそんなに大勢の人はいない。いるとすれば樵(きこり)かマタギくらいだが、それでも多くて精々2人か3人だ」


「それじゃ……」


「もしすると、クロッフィルンとオロイツの間に出る野盗かもしれないな」


 リュオも顔を引き締め道の先に視線を向けた。


「どれくらい先にいる?」


「風に乗って臭いとそれから声が聞こえるんだけど、……待ってね」


 リュオは目を閉じて集中する。

 獣耳がピクピクっと動き、鼻をスンスン鳴らす。


 そしてゆっくりと目を開く。


「200メールくらい先だと思う」


「そうか。……ここより1日行った所に農村がる。そこの人間ならこのまま進んで問題ないが、……荷馬車を停めて森の中から迂回し様子を見に行こう」


「うん。それがいいね」


 二人は顔を合わせ頷き合うと、御者台から降りた。

 オルトハーゲンを木に繋ぎ、道から反れて森の中へ入っていった。




 フルリュハイト大森林が終わりその先には草原が広がっている。


 森から100メールくらい離れた草原の上に幾つものテントが並び粗野な格好をした男達が複数のグループに別れ焚火を囲っていた。所々に騎士の甲冑が積んである。荷馬車もたくさん停まっていた。


 イグとリュオは身を寄せて森の茂みに隠れ、その光景を見ていた。


「傭兵だろうか……。ここからだと良く見えないな」


 イグはその集団を注視しながら呟くように話す。


「竜印のネックレスをした人が何人かいる。それに竜印の入れ墨を入れている人も」


 竜印とはエルター教のシンボル。

 横棒にアルファベットのSを重ねたマーク。それは竜が翼を広げ、天界を飛んでいる姿を表していた。


「お前、よく見えるな。……なら竜印軍の可能性があるぞ」


「竜印軍?」


「ああ、竜印軍とは……」


「ねぇ、イグっ」


 話しの途中でリュオがイグのシャツの裾を引いた。


「なんだ?」


「あの竜印少し変だよ。形が普通の竜印とは違う」


「……」


 それを聞いてイグの表情の雲行きがあやしくなった。

 イグは変わった形の竜印に心当たりがあったのだ。


「翼の両端が下向きに下がってる」


「なっ、そ、そんな……バカな」


「イグどうしたの?」


 愕然の表情を浮かべるイグ。リュオは心配そうにその顔を覗き込む。


「それは昇竜印(しょうりゅういん)だ」


「昇竜印?」


 リュオは初めて聞く言葉に疑問の表情を見せるが、それよりもイグの取り乱し方が異常に見えて彼のことを心配した。


「何故こんなところに……、やつらは……、テンウィル騎士団」


「危ない人達なの?」


「ああ、あそこを通っていれば俺達は全てを奪われていた。下手をすれば命までも……」


「……」


「やつらの目的は何だ?リュオ、何を話しているか聞こえないか?」


 リュオは目を閉じると獣耳をピクピク動かせる。

 真剣な表情で集中している。


「ダメ。声は聞こえるけど、草木の擦れる音が邪魔して何を話しているかは分からない」


「……そうか」


 今日は良く晴れていて風が吹いていた。止むことなく吹き続ける風が草木を揺らし、リュオの聴覚を鈍らせる。


「……ごめんなさい」


「いや、いいんだ。そんなことよりも、お前が最初に気付いてくれなかったら俺達はやられていた。だからその……、感謝している」


 ひと先ず難を逃れ胸を撫でおろしたイグが照れ臭そう言う。そんな彼を見てリュオは顔をほころばせた。


「荷馬車に戻ろう」


「うん。そうだね」

 



 二人は100メートル程森の中に停めておいた荷馬車まで戻った。

 オルトハーゲンを荷馬車に繋ぎ御車台に乗り込むと元来た道を戻る。


「どうやってクロッフィルンを目指すの?」


「少し戻ったところに別のルートがある。道は悪いが大きく迂回できるからやつらと鉢合せになる可能性は低い」


「そっか、良かった」


「ただ念の為、警戒してくれ」


「うん。任せて」


 二人は言葉を交わさず、周囲を警戒しながら森の中を進む。

 こうして日も沈む頃、フルリュハイト大森林を抜けることができた。






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