第9話 雨と廃屋



 ビッツ村を出発して数日が過ぎた。時刻は昼過ぎ。


 あれから旅は順調だった。

 リュオも取り乱すことはなく平静を保っている。

 いや、平静を保つというのは少し語弊がある。

 一晩一緒に寝たリュオは更にイグに甘えるようになった。

 懐いた飼い犬が主に飛びかかり顔をペロペロ舐める姿を想像すれば分かり易いだろう。

 実際にリュオはイグの顔をペロペロ舐めたりはしていないが、御者台の上ではピタリと身を寄せてくるし、頭も凭れかけてくる。夜焚き火に当たり食事をするときは隣に座って、最後はイグの膝枕に寝そべる。鼻歌を歌い尻尾振った上機嫌な彼女の姿を想像するのは容易だう。


 あんなことがあったから、イグは彼女を少しだけ甘やかす。それに増長したリュオは一緒に寝ることを強要し、イグは「そんなに元気なら一人で寝ろ」と拒否。断るとゲージ入れられた子犬の様にキャンキャン吠える。10も年下の小娘に言葉と態度で弄られナメられる。これには流石の主も苦笑し考えを改めざるおえなかった。週に一度くらいなら一緒に寝てやってもいいかなと。




 休憩を挟み、オルトハーゲンを休ませていると朝から空を覆っていた灰色の雲から雫が落ちてきた。


「降ってきたね」


「ああ、だがまだ小降りだ。これくらいなら道は直ぐに弛まない」


 イグは立ち上がり、相棒を引いて荷馬車に繋げる。リュオはオルトハーゲンに与えていた水の入った木のバケツや干し草を片付けた。まだ旅を始めたばかりだというのにリュオの動きは手馴れていて、二人は阿吽の呼吸で出発の準備をする。


「目的地まで休憩なしだ。急ぐぞ」


 二人は御車台に乗り込むと荷馬車は直ぐに走り出した。




 2時間もすると雨脚は勢いを増し雨は本降りになる。

 車輪が泥にはまり荷馬車が進まなくなった。二人は御車台から降りて豪雨の中、荷馬車を押し、そこから抜け出した。


「そろそろ見えてくるころだ。リュオ大丈夫か?」


「うん」


 道が川になる程の強い雨を身に受けながら進んで行く。すると木で出来た小さな平屋が見えてきた。


 家屋の横には馬屋もあってそこに荷馬車ごと入る。外は既に薄暗く馬屋の中は暗かった。それに所々で雨漏りしている。


「びっしょびしょだね。えへへへ」


 雨に散々濡れたが屋根のある所まで辿り着けて安心したのかリュオが笑った。


「民家の方に暖炉があるから服を乾かそう。風邪を引いてしまう」


 二人は荷馬車から降りる。

 御車台のベンチの板は蝶番で留まっていて扉の様に上に開く。その板を開けると中は箱になっていて旅に必要な物が入っている。中身が雨に濡れることはない。

 イグはそこから毛布2枚とオイルランプとパンを取り出す。


 リュオは長い灰色の髪を束ね、手で絞って水を落とす。それから丈の長いワンピースの裾も同じように絞って水気を抜く。それが終わるとイグは毛布とパンをリュオに差し出し、彼女はそれを受け取った。


 イグは集中する。


「我に眠る火の精霊よ その力を解き放て……

 甚火(じんか) 炎点(えんてん)」


 イグが詠唱を終えると、彼の掌の上に30センチ程の炎の玉ができた。そこにオイルランプを近づけ火を付ける。


「それ便利な魔法だよね。何度見ても凄いと思う」


「俺もそう思うよ。石で火を付けてもなかなか燃えないからな」


 民家と馬屋は繋がっていた。

 家の中に入ると、窓は雨戸が閉まっていて部屋の中は真っ暗だった。

 イグはランプをテーブルに置くと、雨戸を開ける。窓にはガラスはなく、戸を開けると雨音と外の新鮮な空気が入ってきた。

 もう夕方で外も薄暗かったが、部屋に多少光が入って、部屋全体を見渡すことができた。片付いていて綺麗な部屋だった。


「いつもここに泊まってるの?」


「ああ、だいたいな」


「……」


 リュオは毛布とパンをテーブルの上に置いて部屋の中を見回す。家具は小さなテーブルとイスが一つしかなかった。


 イグは魔法で暖炉の薪に火を付ける。


「ここはおそらく樵(きこり)の家だったんだ。ビッツ村に通い始めた5年前には既に放置されて誰も住んでいなかったよ」


「それにしては綺麗だけど?」


「泊まる度に掃除しているからな。屋根も何度か直したし、この椅子もテーブルも俺がクロッフィルンから持ってきたんだよ」


 イグは暖炉の火を調節しながらリュオに答える。


「ふふ、なんか秘密基地みたいだねっ」


 そう言いながらリュオはずぶ濡れになった腰巻とワンピースを脱いだ。


 この時代、庶民は下着なんて持っていない。

 暖炉の火の調節を終えてイグが振り返るとリュオは後ろで全裸になっていた。

 彼は咄嗟に暖炉の方へ振り向く。


「……」


 リュオは直ぐに毛布を羽織り身を包んだ。その頬は恥ずかしさで赤味を帯びている。


「けっこう成長してた、でしょ?」


「ま、まぁ……、そうだな……」


 気まずそうにイグは答える。


「……エッチ」


「うっ……、はぁー」


 炎が燃える暖炉に向かってイグはため息を吐き。その後ろで頬を赤くしたリュオが嬉しそうに顔をほころばせていた。




 食事が終わり、二人は暖炉の前に並んで座っている。部屋は暖炉の火で温かい。

 二人とも濡れた服を脱いで毛布に包れていた。


「明日は雨、止むかな?」


「どうだろうな。もし止まなかったらここでもう一泊することになる」


「……そうだよね」


 久しぶりの屋内、温かい暖炉と毛布、パンでお腹が膨らんだリュオはうとうとして眠そうにしている。


「ああ、泥濘(ぬかるみ)に嵌れば一日立ち往生なんてこともあるからな。品物も濡れてダメにしてしまう」


「……行商って、……大変なんだね」


「まぁな。だから時には無理をしないことも大切なんだ」


「……」


 リュオはイグに寄りかかって寝てしまった。


 「ふー」と息を吐き、イグはリュオをそっと横にする。

 その時に毛布がズレて彼女の華奢な肩が露わになった。胸元が見える。


 先程見てしまった、彼女の裸が頭に蘇ってイグは息を飲んだ。

 リュオは胸もそれなりにあって大人の体になっていた。


 ズレた毛布を元に戻すと、彼は頭を手で押さえて小さく首を振る。

 そして自分も横になり眠りにつくのだった。








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