第8話 前世の記憶



 焼き魚とパンを食べた後、リュオは暫く沈黙していた。焚火を眺め何かを思い出しているように見える。イグはリュオをそっとしておくことにした。


 そして暫くするとリュオがまた呟き始める。


「そうか、一緒に旅をしていたのはお姉ちゃんだったんだ。お姉ちゃんには好きな人がいて、でもアタシに付いてきてくれて。それでゼムリア王国に向かう途中の船で18歳になって、……船が……沈んで」


 横に座るリュオを見るとさっきまで上機嫌に魚を頬張っていたのに、その目から涙がこぼれていた。


「リュオ?」


「……、ひぐっ……」


 悲痛な表情で涙を溢すリュオ。


「リュオっ!どうしたんだよ?」


 普段はリュオのことを「お前」と呼ぶイグが昔ように名前で彼女を呼んだ。リュオの急な変化にイグも取り乱していたのだ。


「ごめん、ごめんなさい。……大丈夫だから」


 リュオは溢れる涙を両手で拭っていた。



 リュオは前世で死ぬ直前の記憶を思い出していた。

 それは航海中の出来事だった。


 夜中、空は雲に覆われた暗闇の中、荒れ狂う海に船は沈み共に旅をしていた姉と冷たい真冬の海に投げ出された。

 自分は何とか海面に浮かぶ木材に捕まることができたが数メートル先で姉は海中に沈んでいった。暫くしても姉は浮いてこない。


 全身に纏い付く氷のように冷たい海水の感覚と暗闇の恐怖、絶望を思い出していた。戻ってこない姉を心配して頭が狂いそうになった記憶が蘇えっていた。


 そして姉を助ける為に木材を手放して海に潜る。

 直ぐに呼吸ができなくなって、一度海面に戻ろうとした。けれど自分の体が思っていたよりも海中に沈んでいて戻ることができない。それに視界は真っ暗で海面がどの方向にあるのかもわからない。


 最後は水の冷たさに我慢ができず、自分の意思とは無関係に体が勝手に呼吸をしようと水中で口を開いてしまう。


 そして死ぬ。





「おい、大丈夫か?」


(お姉ちゃんはまだ生きているかもしれない)


「リュオ、リュオっ?」


 顔を横に向けると心配そうに私(わたし)を見詰めるイグがいた。


(……そうだ。私にはお姉ちゃんはいない。アタシはビッツ村で育ったリュオだ)






 その後もずっと震えながら目を瞑って俯き、自分の体を抱き締めるように手で抱いて蹲(うずくま)っていたリュオが急に顔を上げた。

 視線の焦点が合っていない。錯乱しているように見える。


 そしてイグの顔を見ると泣きそうになってまた俯いてしまった。


「もう日も落ちて暫く経つ。そろそろ寝る時間だ。 ……今日は一緒に寝るか?」


「……うん」


 リュオは呟くように返事をした。





 イグは荷台の麦袋を地面に下ろしながら思考を巡らせる。


(リュオは酷く怯えていて不安定だった。もう5年も付き合いがあるのに、こんなあいつを見るのは初めてだ。前世の記憶とやらを思い出したのだろうか?

 何があったのか聞きたいが、こんな状態では質問なんてとてもできない。

 医者に診せるにもクロッフィルンはまだ先だし。……やはりビッツ村に引き返した方がいいか?今ならまだ戻れる。

 いやダメだ。マイズミンさんやミーミアさんは日中は仕事で家にいない。リュオをずっと見ていられる訳ではない)


 イグは親方に付いて各地を行商で回る中で、死後の世界に幸福を求める人たちを何度も見てきた。家族に先立たれた者、借金で破産した者、病気の不安に耐えられなくなった者。

 神は敬虔(けいけん)な子羊に死後の世界の幸せと安寧を約束している。

 そんな経験が彼の不安を駆り立てた。


(目を離した隙にリュオが自ら命を絶ったらどうする?

 俺は商人だ。

 商人は情報を集めて万全の計画を立て、それでも失敗する可能性に腹を括って商売をする。親方がいつも言っていたじゃないか。

 リュオを連れて行って後悔しないか?俺はリュオのことをどう思っている?)


 独立してから、彼の商売は悉(ことごと)く失敗した。親切にしてくれた人もいたが、殆どの商売相手が彼の貧しい身なりに足元を見た。蔑んだ。騙されたことだって何度もある。


 そんな殺伐としている時期にイグはリュオと出会った。

 初めは新しい取引先のご息女といことで、気に入られようと取り繕っていたがリュオは素直で率直で、相手をしているうちにイグも心を開いていった。それまで上辺だけで人と付き合ってきたイグはリュオとだけは素直に接することができるようになっていった。

 末っ子だった彼は妹がいたらこんな感じなのかと思った。


(……獣族は人族とは違う。特に犬のコーリ族は世界一頭の良い種族だと言われている。身体能力だって獣族は魔力を使えるから人族よりも遥かに上だ。いずれリュオは役に立ってくれるはずだ。

 ……そうじゃない。そうじゃないだろ。

 俺はリュオといると楽しい。こうして辛そうにしていたら守ってやりたいと思ってしまう。それだけで一緒にいる理由としては十分じゃないのか。商人の知恵とか損得勘定とか、そんなのは関係ないだろ)


 そんなことを考えながら作業をしていると、荷台に二人が寝られるくらいのスペースができた。





「一人で登れるか?」


 その声でリュオは顔を上げる。


 荷馬車の下の地面には麦袋が積まれていた。イグが荷台から降ろしたものだ。イグはリュオを心配そうに見ていた。


「うん、登れる」


「そうか。俺はそろそろ寝るがお前はどうする?」


「アタシも寝る」


「なら早く来てくれよ。5月になっても夜になると冷えるからな。お前が横にいるだけで少しは温い」


 イグはいつもの澄まし顔だが、内心はリュオのことが心配でしょうがない。

 平静を装っているのは精一杯の強がりだった。


「……」


 リュオは無言で立ち上がると、馬車に歩み寄り荷台の縁に両手を掛けて、ジャンプで荷台の中に飛乗った。体重の軽いリュオがやると、とても素軽い動きに見える。

 続いてイグが荷台の脇に設置されている足掛け梯子を踏み台にして荷台に入った。


 荷台の中はまだいくらか荷物が乗ってる。狭いスペースで二人は向き合う様に横向きになって寝そべった。リュオはイグの腕枕に頭を乗せて彼の胸に顔を埋める。


「ねぇイグ」


 額をイグの胸に当てながら少女は呟く。


「ん?」


「さっき名前で呼んでくれたよね」


「そうだったかな」


「昔みたいに名前で呼んで欲しいな」


「……まぁ気が向いたらな」


「ねぇ、イグ」


「ん?」


「もう一度だけ名前で呼んで」


「……リュオ」


「うん。ふふふ」


 リュオはイグの胸に額を押し当てて微笑んだ。名前を呼んでもらって、自分の存在を確認できて安心したのだ。


 二人分の毛布を二重にして掛けてくっ付いて寝ると、少し暑いくらいだった。

 こうして二人は眠りにつく。



 翌朝リュオはいつも程とは言えないが元気を取り戻し、二人の旅は続くのだった。





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