第7話 魚釣り




 明け方、まだ空も白け始めた頃、二人は御車台に並んで座りクロッフィルンを目指して出発した。


 フルリュハイト大森林には少し靄(もや)がかかっているが、空には雲一つなく今日も良く晴れている。



 昨晩リュオは御車台の上で毛布に包まって眠った。足が外に少しはみ出していたが、平らな木板の上で腰を伸ばして寝ることができた。


 イグは荷台の麦袋の上で眠った。平とは言えないが、荷馬車を手に入れるまでは、地べたで野宿をしていたイグにとっては、比較的寝心地の良い場所だった。


「お嬢様、御車台の寝心地はいかがでしたか?」


 イグはからかう様に横に座るリュオに話し掛けた。


 実はイグはリュオがちゃんと寝れているか夜中に一度確認していた。それでぐっすり眠る彼女を見て安心して自分も床についたのだった。


「ん?初めて屋根の無い所で寝たけど、気持ち良かったよ。星がたくさん見えて綺麗だったな~」


「環境に適応するの早いよな。俺が初めて親方の荷馬車で寝た時は全然眠れなかったっていうのに」


 イグはあきれたように鼻を鳴らす。


「ふふん。けど、イグがこっそりアタシの寝顔を見ていたのには気付いていたけどね」


「っ!お、おまっ、起きてたのか」


 リュオは口元をにやけさせながら斜め下からイグをジト目で睨んだ。冷静な商人もその視線には狼狽えざるおえなかった。


「獣人は敏感なのよ♪だから野宿して夜中に狼が襲ってきても直ぐに気付ける。でも昨日の狼はアタシを襲ってこなかったけどねっ。にひひ」


 リュオはからかう様に笑った。それは先程イグがからかう様に『お嬢様』と言ったことへのお返しだったりする。


「はぁー、俺はお前を襲ったりしないから安心しろ」


「えー!襲ってもいいのに~っ!」


 リュオはイグに寄りかかって体を押し付ける。彼女の体温がイグに伝わる。

 早朝の少し寒くてきりっとした空気の中、触れているところだけが人の温もりで温かい。


「お前は俺の恩人のマイズミンさんの娘だ。それに子供に手を出すほど俺は飢えてた狼ではない」


「むっ、アタシはもう子供じゃないよ。14歳で結婚する子だっているんだから」


 と終いには頭まで寄りかかって上目遣いでイグを見詰める。色気をアピールしたいのだろうか。


「まぁ昔よりは大人っぽくなったとは思うけど……」


「でしょ?……ふふ」


 これ以上言うと本気で怒りそうだと判断したイグは話しを合わせるが、調子に乗ったリュオは彼の体に手を這わせくる。


「お前いい加減にしろって」


 それに焦るイグは手綱を離し、リュオの手を掴んだ。


「昨日のは、狼じゃなくて羊だったのかな~?」


 リュオはイグの反応が面白いといった感じだった。


 イグに掴まれた手をリュオも掴み返し、二人は手を繋ぐ。


 御車台上にはイグとリュオ並んで座っている。

 二人は体を交差する形で手を繋いでいるから、広い御車台の上でぴったりと密着していた。


「ふん♪ふん♪ふん♪」


「はぁー」


 リュオはご機嫌になり、イグは盛大に溜息を吐いた。


 イグはリュオが9歳の頃から彼女を知っている。イグから見たリュオは幼い頃のイメージが強く10も歳が離れていることもあってまだまだ子供扱いだった。





 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄



 昼も過ぎた頃、片側が崖で反対側が谷になっている道を馬車が進んでいると、道が広くなっているところに出た。そこだけが広場の様になっている。


 イグは馬車を止める。


 切り立った断崖にできた道を慎重に荷馬を操作しながら進んできたイグが「ふぅー」と一息ついた。


「道が乾いていると進みが早いな。今日はここで野営するぞ」


「まだまだ明るいよ」


 イグの言葉にリュオは少し驚いた。


「この先は森の中の平坦な道になるんだ。そういう場所で野営すると狼や熊を四方八方警戒しないとならない。ここならあまり動物も通らないし比較的安全に野営できるんだよ」


「ふーん。日も高いのにもったいない気もするね」


「まぁな。だが焦って進むとろくなことにならない。それにそうだな……」


 イグは谷底を見る。そこには川が流れていた。ちょうど滝壺になっていて川幅が広く深くなっている。


「そこの川で魚が釣れるんだ。今日は早く着いたし今夜は魚料理でも作るか」


「魚っ!」


 魚と聞くとリュオの耳がピンと立ち、尻尾をワッサワッサと振る。





 谷といっても急なだけで深さはない。


 糸に釣り針を付けた簡単な仕掛けを持って二人は滝壺の上に降りた。


 切り立った滝壺の上から顔だけを出して真下を覗くと3メートルくらい下にある滝壺に水が躍る様に落ちているのが見えた。

 水深は深いが水は透き通っていて底の方も見える。


 そして、……魚の影が見える。


「イグ、ねぇイグ。魚がいるよ」


 リュオはその光景を一心不乱に眺め、小声でイグを呼んだ。


「ああ。それをこれから釣って今夜の食事にする訳だ。 よっ!」


「……」


 返事をしながらイグは川の岸に落ちている流木をひっくり返す。


 早く魚を取りたいリュオは太陽光を反射してキラキラ光る水面の様に青い瞳を輝かせている。盛大に尻尾を振っているから期待しているのがよく分かる。


 そんなリュオを見てイグは苦笑する。


 イグが流木の下から出てきたミミズを針に掛けてリュオの横にやって来た。


「こいつを落とすと魚が食いつくんだ。やってみるか?」


「うん!やらせてっやらせてっ!」


 リュオは初めて体験する釣りに大興奮である。




「えいっ!」


 イグにやり方を教わってリュオが仕掛けを滝壺に投げた。


 するとすぐに糸に反応があった。ビクビクッと引いているのがわかる。


「どうしよう?ねぇイグ?」


「糸は切れないから焦らず手繰り寄せてみな」


「うん」


 リュオは真剣な表情で糸を引っ張る。すると魚が水面から顔を出した。後は滝壺の上まで引き上るだけだ。


 引き上げる時に水から出て宙ぶらりんになった魚は大いに暴れた。だが針が外れることはなく無事滝壺の上まで引っ張り上げることに成功した。


 釣れたのは40センチくらいの魚だった。


「わー、凄い凄い!やったーっ!」


「こりゃデカいな」


 大きいサイズが釣れてイグは驚いた。

 リュオは大喜び。その様子を見たイグも笑った。


「これは何ていう魚なの?」


「鱒(ます)って魚だよ。ビッツ村で養殖している鯉とは違って臭みが少なくてあっさりした味がするんだ」


「ふーん。初めて見る」


「美味いぞ」


 そう言いながらイグは腰のナイフを抜く。慣れた手付きでナイフで鱒の鱗を剥いで、腹を開け内臓を取り出して川で洗った。



 その後リュオが直ぐにもう一匹釣り上げて、釣りは終了した。

 リュオはもっともっとやりたそうにしていたが日持ちしない魚だからとイグが説得して渋々納得した。






 日も沈み掛けた頃、夕食となった。


 焚火をしながら串に刺した魚を焼く。二人は並んで座りそれを見詰めている。


「イグはこうやって旅の途中で食べ物を見つけているの?」


「ああそうだな。持ってきた食料はできるだけ大切にしたい。どこで何がおきるか分からないし、下手をすれば一週間森の中で足止め、なんてこともあるからな」


「ふーん。そっか、他にも森の中で食べられる物はあるの?」


「それが意外に多いんだ。まぁ一番は秋に取れる栗だな。あれは焼くと甘くて美味い」


 甘いという言葉に焚火を見ていたリュオの体がピクリと反応する。


「甘い物……、アタシも食べたい」


「秋にならないと食えんがな。そろそろ焼けそうだ」


 イグは魚をひっくり返す。


「この魚に塩をかけるとさらに美味くなるんだ」


「かけよう!かけるべきっ!」


 リュオは顔を横に向けてイグをおねだりする。


「塩は陸地に行けば行く程宝石のように値が高くなる。……だからダメだ」


「えー!そんなのありえないよっ!一生のお願い。かけてっ!」


「お前、こんな所で一生のお願いを使ってもいいのかぁ?」


 リュオはイグの腕を掴みゆさゆさと揺さぶっている。そんなリュオにイグは呆れたように笑った。


「それじゃ一つまみだけな」


「うん!うん!」


 イグは焼けた魚に塩を振りかけリュオに渡した。


「美味しい!これ鯉より全然美味しよ」


 40センチもあるとなかなか食べ応えがありそうでリュオは大きな魚に無心でかぶりついた。


 今夜の夕食は固いライ麦パンと魚の塩焼き。何とも言えない組み合わせだが、それでも魚があるだけ普段の野営よりはましだった。




 近くで流れる川の音と焚火にくべた湿った木が水蒸気を飛ばすパチッという音だけが聞える。

 時折心地の良い風が吹き頬を撫でる穏やかな夕暮れだった。


 会話もなく食事をしているとリュオが呟く。


「これ……、お姉ちゃんが好きな魚だ」


「……お前に姉さんはいないだろ」


 それにさっき初めて見る魚だって言ってたじゃないか、と言おうとしてイグは言葉を止めた。


「……」


 それから暫くリュオは喋らなくなった。






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