第38話


 カフェでデザートを食べ終えた後、私たちはすぐ近くのゲームセンターへと足を運んだ。店の前の大きなのぼりにはカリスマJKモデルの女の子が、瞳の周囲をキラキラさせたメイクで、アンニュイな表情を浮かべている。プリクラの最新機種の宣伝である。最近はどうやら、極端に盛るよりも、ある程度自然な範囲で、あたかも「もともと美女ですが?」みたいな感じでかわいらしく見せるのが流行りらしい。


「美雨、希望の機種とかある?」

「ない。っていうか、何があるかも知らない」

「美雨って、普段高校生と接しているのに、あんまり若い子のトレンドに興味ないよね。……インス○とかもやってないんだっけ」

「まあね」

「興味ないっていうか、わざと遠ざけてるって感じ?」


 春子にそう指摘されて、どきりとした。本当にそのとおりだったから。豊桜女子部に勤めていたころ、「豊桜の先生というより、豊桜生」という悪口にしょっちゅう晒されてきた私は、とにかく生徒と距離を取るような在り方を選んだ。彼女たちが好むものをあまり知らない、というより知ろうとしなかったのは、そういう理由もある。


「……あ、これにしよう。この間インス○でバズってたやつ」

「今時プリクラもバズるんだ」


 長毛種の白猫を抱いた、瞳も髪も透けるようなブラウンの女の子が微笑む、そのプリクラ機に春子は向かっていった。

 複数のポーズで写真を撮り、落書きコーナーへと身を移す。ついさっき撮った写真を、成績発表のように見せられるこの時間が少し苦手だ。学生の頃、学校行事でカメラマンに撮影された写真を校内に展示され、どれを買おうか選びに行ったのを思い出す。多分私は、少し自意識過剰なのだと思う。春子はそういう気持ちにはならないのだろうか。ならないだろうな、だって彼女はいつだって、私を誘って写真を見に行きたがる側の子だったから。嬉々として購入したい写真の番号をメモする春子を横目に、いつも何が楽しいのだろうと思っていた。


「こういうの書くの、苦手なんだよね」

「プリクラ撮りたいって言ったの、春子だよ」

「嫌っていう意味じゃなくて、迷うのー」

「迷うのが醍醐味ではあるよね」

「そうね、服とか、お化粧品とか、夕食のメニューとかもね」


 なにかを決定することに苦痛を感じる人間もいるという話はよく聞くが、私たちはそうでないという点では一致していた。


「時間無いよ」

「分かってるって」


 春子はペンを取ると、なにかを書き始めた。


『美雨と初プリ♡』


 たったその一言で、私はこれでもかというほどに笑ってしまった。


「ハートはダサい? アラサー感でちゃってるかな」

「ううん、それはそれでいいの。……ふふ、こっちの話だから、春子は気にしないで」

「ええ? そんなこと言われても……」


 そうだ。春子はそういうやつだ。出会ったばかりの頃に、音楽会の練習の後に寄り道して、プリクラを撮ったことなんて覚えていやしない。絶対にそんな気がしていた。一見社交的に見える彼女は決して義理堅い人間などではなく、楽しかった思い出も、一緒に行った場所も、一緒にしたことも、こちらの半分くらいしか覚えていないのだ。そういうやつだから仕方がない。

 彼女の世界は忙しい。私がいつもの友人グループと春子との関係の両立に悩んでいる間に、彼女は私と友だちになり、クラスの目立つ女子に嫌われ、系列校の男子と恋に落ち、あっという間に別れ、行事も勉強も一生懸命で、だから私がちまちまと覚えているような二人きりのミニイベントなんて、心に留めておくスペースがないんだ。

 でも、そういう彼女に憧れているみたいなところはあるし、そういう軽い関係も案外、好きだ。


「ねえ春子」


 私はつい、彼女に呼びかけた。


「なに」

「初めて話した日のこと、覚えてる?」

「今、こっちで忙しいから」


 春子は笑いながら、ペンを振った。全然覚えていなかったらいい、とすら思っている。





 プリ機の外側にチェーンで繋がれた大きめのはさみで、印刷されたプリクラを分ける。そんなところまで私たちの学生時代と変わっていないのか、と驚きを隠せない。

 春子ははさみを動かしながら、ふとつぶやいた。


「初めて話した日のことはさすがに覚えてないかな。……そもそもうちら、何かビッグイベントがあって出会ったわけじゃなくて、同じ音楽の授業で何となく席が隣になって、って感じだったじゃん」


 私の中では、音楽室に二人で残った十六歳のあの日がその「ビッグイベント」だったわけだけれど、彼女は決してそのように認識していない。一方で、ずっと隣の席だったことを覚えていたのが、意外だった。


「じゃあ、私から美雨に逆に質問! 大人になって、うちらがドン〇で再会する前の最後のLIN〇での会話、覚えてる?」

「え? ……なんだ?」


 春子と数年来、縁が切れていた理由を、思い出せない。私たちの関係は高校二年生でちょっぴり拗れこそすれど、絶交することもなく高三の一年間を平和にやり過ごし、高校卒業後、偶然にも同じ大学に進んでからもなんとなく続いていた。こういうのを、もしかすると「腐れ縁」というのかもしれない。その後お互いに新卒で就職はしたものの、引っ越しや喧嘩等、ドラスティックな出来事があったわけではないと記憶している。――そもそも、春子が大手コンサルに勤めることになったと知ったのは、本人からの報告だったっけ? 春子は大学生になってからはサークルや恋愛に忙しく、私自身も教員免許の取得や友人関係にまい進していたため、なんとなく縁が遠くなってしまった、という認識でいる。


「私がね、……やっぱやめとこう」

「ええ、なんで?」

「わざわざ言うことでもないなって。LIN〇のやりとりだから、いつでも見られるだろうし」

「ええ……もったいぶるじゃん」


 春子はうふふと笑った。


「でも、私が死ぬか死なないか迷っていたときに助けてくれたし、結局それがすべてだと思ってるよ」


 私のあずかり知らぬところで、私は春子にとんでもない不義理を働いているのかもしれない、とは思う。

 切り分けたプリクラを見せられ、「どっちがいい?」と問われる。「初プリ」と書かれた写真が載っているほうを指さした。十年前に撮ったプリクラと一緒に仕舞っておこう。圧倒的矛盾、って感じで面白い。いつか、春子にその二つを一緒に見せてやろうか。

 しかしその「いつか」って、本当に来るのだろうか、と思ってしまう自分がいるのもまた事実。約束していた二人での旅行も、果たして本当に実現するのか? 正直、その辺は五分五分だと思っていて、そしてこれまたほとんど確実にそうだ、といえることがあるのだけれど、私たちは一年後には頻繁に連絡を取り合ったりはしていないだろう。ただこの先の人生で、いつかまた大切なものを失ったり、死んでしまいたいと思うようなことがあったとき、私のことを思い出してくれればいい、と強く思う。私は間違いなく、彼女に死んでほしくないと無責任に願うことができる人間だから。そして、私が同じような目に遭ったら、絶対に春子のことを思い出し、会いたいと願うだろう。彼女は私以上に、私の身に起きた不条理を怒ってくれる人間だということを、よく知っているから。そういうの、丁度いいな、なんて思っている。




『彼女の瞳に映る蒼、あるいは紺色の空』――fin.


 この後、Appendix A、Appendix B、Appendix Cを投稿した後、完結といたします。

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