第36話

「当店は、お一人様ワンドリンクワンメニューからのご注文となっております。本日のケーキはマンゴータルトです。また、大変申し訳ありませんが、本日は栗を使ったメニュー、モンブランと和栗のタルトは売り切れとなっております」


 馴れた様子の早口で、店員はメニューの説明をこなす。

 スイーツに力を入れたこのお店は、おやつの時間にはまだ早いのに、既に賑わいを見せている。客層は主に女性、時おりカップルも散見されるが、私たちのように女友達同士で来ている子が多い。


「お決まりの際には、こちらのボタンを押してください」


 それではごゆっくり、と頭を下げて店員が姿を消した。私は、春子の様子を窺う。


「迷うなぁ。……美雨も、お昼まだだよね」

「うん」

「おかず一品と、デザート一品にする」

「たぶん、飲み物もひとつ頼まないといけないんじゃないかな」


 私の指摘に、春子はそっか、と頷く。


「美雨は決めてる?」

「私は……ミニパスタと、ミルクレープに、コーヒーにする予定」

「いいね、ミルクレープ。私、ミルクレープとモンブランで迷っていて……」

「春子。ごめんね、気が利かなくて。逆の位置に座れば良かったね」


 さりげなく、まるでなんとも思っていないかのように、私は謝罪をした。動揺がバレるのはダサいから。


「美雨は怪我人なんだから、そんな気を遣わなくていいの」


 春子はやはり、事も無げにそう返す。


「……モンブランは売り切れだって。栗がもうないみたい」


 私がそう言うと、春子はそう、と言いながらメニューを捲っていた。





「……そういえば、智輝くんとの入籍は?」

「ついさっき、済ませてきた」

「おお、タイムリー。おめでとう!」

「ありがとう」

「予定外だろうけど、ジューンブライドじゃん」

「言われてみれば、確かに」


 ジューンブライドが一体どうして特別視されるのかよく知らないが、めでたいことっぽいので少しだけ嬉しくなる。


「幸せになってね」


 私は小さく頷いた。幸せになってね、なんて言葉、事故以前の私ならなんの意味も成さないものだった。既に私は幸せだったから。一点の曇りもなく幸せで、結婚によって、さらに夢みたいな生活がプラスされるというだけの話だった。右目の視野が狭くなったからってなんだ、と思える日もある。しかし、今までの私と比較すればやはりなにかが欠けているわけで、例えば右足を机の角にぶつけたり、階段の上り下りに恐怖を覚えたりする度に、失ったものを求め、やりきれない気持ちになることだってしょっちゅうだ。たとえ、異動先の学校でどんなに出世しようと、どんなに楽しい職業生活を送ることができるようになろうと、そして、これからの智輝との生活がどんなに素晴らしいものになろうと、「事故に遭ってよかった」なんて綺麗事を心から口にできる日が来るとは思えない。

 それでも、別の形で幸せを享受することを諦めているわけではない、そんな私の気持ちをよく汲み取ってくれている言葉であるような、そんな気がしたのだ。


「いいなあ、私はちょっと、まず恋愛自体お休みって感じかなあ」

「……なんかあったの?」


 春子がわざわざそんなことを言うから、至って自然に私はそう訊いてしまったのだ。


「え、聞きたいの?」

「……ごめん、話のノリっていうか。無理に聞こうとは思ってない」

「私はいいけど……ほら、美雨って、重い話とか、他人の辛い話みたいなの、嫌いでしょう」


 実際、そうかもしれない。学生時代、春子から相談を受けてもまともに取り合わなかったし、今だって、他人の複雑な事情に足を踏み入れることには躊躇してしまう。結局、根本的に私は学生時代となんら変わっていない。――春子が自殺しようとしていた原因を聞き出せていないのも、こういうところにある。春子が話してくれなかったのではない。私が、話させなかったのだ。


「……私もね、美雨の家に来る直前まで、彼氏がいたんだよ。結婚間近だった。職場で知り合ったの」


 春子は高校時代だけでなく、常に彼氏が途切れない人間であった。驚いたのは、小学生時代にもお付き合いをしたことがある、という話を聞いたとき。周りの女の子たちは「どうせお遊びでしょ」と鼻で笑っていたけれど――なんというか、「人種が違うな」と感じたのを覚えている。


「同棲していて、三ヶ月後の彼の誕生日に入籍しようねっていう話もしていて……それなのに、裏切られちゃって」

「……そう」

「気になっているだろうから言ってしまうとね、浮気とかじゃないの。私のわがままに耐えられないって、そう言って突然、一緒に住んでいたマンションを追い出された」

「追い出すって……その人だけの家じゃないでしょ」

「ううん、その人のだよ。……私、家賃とか生活費とか払ってなかったから。彼、年上だったし、経済的にも余裕があるからって、私に払わせなかったの」

「そうか」


 それなら仕方がない。……のか?


「それからしばらくはウィークリーマンションを借りながら、なんとか次の仕事を見つけようとしてたの。……私、彼との結婚が決まったときに仕事を辞めちゃっていたから」


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