第34話




 若手会自体は全然久しぶりではなかったけれど、心の引っ掛かりが無い状態で参加したのは半年ぶりくらいかもしれない。もちろん、職場自体には色々と恨みはあるけれど、今ここに居る三人は間違いなく、私にとって大切な同僚だから。


「そう、ゴタゴタしていて報告が遅くなったんですけど、私、実は結婚するんですよ」

「なんとなく想像はついていたけど、おめでとう」

「竹下先生はもしかして病院で会いました? あのおっかない男と」

「もちろん。……おっかなくはないよ、しっかりした婚約者さんだね」


 智輝は何度か学園の人間とやり取りをしていると聞いていたから、竹下先生あたりに恐ろしい印象を与えているんじゃないかと心配していたけれど、杞憂だったようだ。


「えー、おめでとうございます。ってか竹下先生ずるい、原田先生の彼氏さん見たんですか」


 牧野先生は結構びっくりした様子。一度、入院中にお見舞いに来てくれたけれど、智輝は席を外していた。


「おめでとうございます。……先生、今年は本当に大変だったんですね」


 三島先生はしみじみと言葉を紡ぐ。


「仕事も恋愛も、友達関係も盛りだくさんよ、本当に」

「友達?」

「私、高校時代の同級生を半年近く自分の家に住まわせていたので」

「マジで? そんなの全然気づかなかったよ。……あれ、若手会で話題にならなかったよね」

「一応他人のことなので、あんまり言いふらすものでもないなって」


 先日のエンカウンターで、三島先生にはある程度説明をしてしまっているし、春子が自立した今、そこまで意地を張って隠すことでもないかと思った。――もちろん、詳細を語るつもりもないけれど。


「豊桜学園の同級生だった女の子です。学生時代は親友をやっていた……はずだったんですけど、卒業後、縁が切れちゃった子で」


 親友だったけれど、遠かった。互いに何も分かり合えていないことだけが分かっていた、そういう関係だった。


「その子とも、今度こそちゃんと友達になれたなって。……お互いに大人だし、全てをあけすけに話す訳でもないけれど、二十五歳の友人としてしっくり来る関係になれたなってところで、まあ、出ていかれちゃったんですけどね」


 正直、また彼女とは元の関係に戻ってしまうんじゃないかと不安だった。春子にとって私はつまらない人間だろうし、学生時代、そして二十五歳の辛かった一瞬を共に過ごした、せいぜい止まり木程度の存在でしかないと自覚していた。

 だけど、私が人生のどん底に居たあの日、病室に春子は現れたのだ。ちゃんと、来てくれたのだ。


「全部、完璧すぎたんですよねえ」


 幸せすぎたのだ、と思っている。人間に割り振られる幸福の量が皆一定だとは思わない。むしろ私なんかは今回の事件があったところで、相対的に見れば相当恵まれた方だと今でも思っているけれど、全てを手に入れるのはそんなに甘くはないということだ。


「……まあ、何はともあれ、私が絶対に手放すまいと思っていたものはとりあえず無事なんで、これ以上はもう求めません」


 結局、智輝との結婚が立ち消えになることもなく、春子との旅行は飛んでしまったものの、関係は良好だと自負している。仕事は――クビにならなかったからセーフってことで。


「そっかあ」


 竹下先生が重く相づちを打つ。あんまり暗い雰囲気にはしたくないのだが。


「……それで、実は今日から新居に移る予定なんです」

「これまた急ですね、無理なさらないように」


 退院後、今まで住んでいた一人暮らしのアパートは引き払い(残っていた引っ越し作業は全て智輝がやってくれた)、私は実家にお世話になっていた。しかしある程度体力が戻り、職場も変わる今のタイミングで、そろそろ智輝と一緒に暮らし始めようと思ったのだ。

 明日、婚姻届を提出しに行く。





 スマホを確認すると、智輝から大量のLIN○が入っていた。怪我してるんだから飲み過ぎるなよ、とか、迎えに行くから連絡して、とか。どうやら司法修習が長引いているようだ、勝手に帰らないように、安全なところで待っていて、とか。別に鬼電って感じでもないけれど、その場その場で必要なメッセージを送ったら、かなりの件数になってしまったみたい。


「とりあえず、A駅に向かいます」


 A駅というのは、乗り換え拠点の大きな駅で、引っ越し前も利用していたところである。駅ナカには本屋――春子の元・バイト先がある。

 A駅についた頃には、午後九時すぎ。智輝がここに来られるのは九時半頃だと言っていたし、本屋が閉まるのも十時。少しだけ本でも見ていくか、と思った。

 平積みになっている話題の新刊。普段、小説は文庫版が出てからしか買わない主義なのだが、どうしても気になるミステリー小説があったので、ここのところ大変だったし、もうすぐリハビリも始まるので、自分へのごほうび、なんて言い訳をしながら買い物かごにハードカバーの本を入れる。後は、教育書。今まで女子校で教鞭をとっていた私が、スムーズに男子校に馴染めるとは思えない。事前に、そういう本を読んで勉強していっても良いのかもしれない。

 レジに、本二冊と、気まぐれで買った紫陽花の模様の栞を持っていった。


「――四千二百五円になります」


 思いの外教育書が高くて舌を巻く。しかし、ここで引き下がってはカッコ悪いし、なんのために松葉杖をついてここまでやってきたのか。私は渋々、樋口一葉を財布から引きずり出した。結局、私は金のかかる女である。


「……あの、失礼ですけどもしかして永野さんという方をご存じ?」


 不意に店員に声をかけられた私は、一瞬ポカンとしてしまった。


「春子は……私の学生時代の同級生です」

「そうですよね! 良かった、人違いだったら恥ずかしいなって。ごめんなさいねぇ、突然声をかけてしまって」

「いえ」

「永野さんから、よく貴方の話を聞いていたから。……一緒に住んでいたんでしょう、仲の良い女友達って、羨ましいわぁ」


 ああ、この人が春子の言っていた先輩か、と納得する。悪い人ではなさそうだが、たしかに少々ぐいぐい来るな。

 その店員は、他に客がいないのを良いことに春子との想い出話を延々と続けた。春子目当てに通う客が居たこと、飲み会での一発芸、本の紹介のポップを考えたことや、彼女が来てから売上額が大幅に伸びたこと。春子は優秀な人間だだった。その店員の話を聞けば聞くほど、「ああ、まさに春子だ」と思ったのだった。


「……でも、永野さんも本当によく働いてくれたなぁ。辞めちゃったの、本当に惜しかった。片耳が不自由なのに、そんなことも感じさせないくらいに仕事ができたんだから」






作者からのお知らせ📘


こんばんは、まんごーぷりんです!

前回のお知らせにコメントありがとうございます。嬉しいです!

さて、今のところ

・春子

・智輝

についてのアペンディックスを書く予定です(二つのサイトで募集しております)。

いつでも募集しておりますので、これからもぜひ、お気軽にご要望いただけたらと思います。

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