第33話



 学生時代に春子に求められてもできなかったこと。それを大人になり、財力も、権力もある程度手に入れた今、実現してみたいと思ったのは事実だ。しかしそれだけではない。教師である私の仕事は、生徒から相談を受ければその対処をすることであり、生徒間のトラブル防止に努めることも含まれる。私が行ったのは、あくまで教師としての模範的な業務である。


「ねえ、春子。私、別に春子のせいだとか思っていないから。……仕事中に起きた事故。ただそれだけの話」


 春子と再会したことで、私の対応は何か変わっただろうか。断定はできない、ただ、仮に変わっていたのだとしても、結果として私がとった行動は間違っていない。そんなことは、教頭に言われなくても分かっていたし、ただ相手が悪かったということもゆっくりと理解している。


「ねえ、春子」


 しかしこういうとき、私が話しかけても、春子に私の声は届かない。彼女は私の話を聞かない。――不意に滑稽だ、と感じてしまった。春子のことを、完璧で、孤高の人間なのだと思い続けてきた。全然、そんなんじゃないじゃないか。自分にできなかったことを他人に求めていた、それだけの話だ。そういうもんなんだよな、人は自分の心の痛みには敏感で、他人の心の痛みにはひどく鈍感なんだ。全然、裏切り者じゃん。正しくなんてないじゃん。――ただ、私はそんな春子のことを、嫌いになれないでいる。





 翌週。私は教頭に呼び出された。


「……そういうわけで、原田先生のご希望は通りましたので」

「良かったです。今まで三年間、ありがとうございました」


 春子に送ってもらった翌日、私は豊桜を辞める旨教頭に申し出ていた。こればかりは仕方がない。智輝と結婚しなければならないのだから、「負けた気がする」くらいの理由でここに居座るべきではない。

 豊桜学園の女子部と男子部との間で、年に一度、人事交換が行われる。通常、四月に中堅教師一名ずつが入れ替わる制度なのだが、本年は男子部の方で適切な人員がいなかったとかで、四月の交換はスキップされた。――その、立ち消えになった人事交換を今さら行う、という扱いである。

 じゃあ、私の抜けた穴に誰が入るの? といった話ではあるが、再来月に一名、豊桜男子部に所属の教員が産休で復帰予定とのこと。復帰の際にいっそ、女子部に異動してもらうという、なかなか激しい対応である。女子部からは若手数学科教師、男子部からは中堅社会科教師、というアンバランスな人事異動。しかし事の成り行き上、私の希望は無下にできないという上層部の判断なのだと理解している。


 あの日以降、藤井は登校していないという。逃げたとか、無責任な、という言葉が職員室内でも聞こえてきたけれど、彼女が登校したとして別に私の視力が回復するわけでもないし、謝罪を受けたいわけでもない。どちらかというと、二度と会いたくもない。今度こそ息の根を止められたらたまったもんじゃない。

 ちょっと面白かったことがある。私の想像通り、藤井たちに指示を出したのは、中三の頃に出席停止措置を食らっていた本田たちいじめっ子グループだった。そのことが判明したのは、あの日、階下に倒れた私を放置して逃げ去った生徒たちのお陰だったという。竹下先生が、私の証言を元に彼女たちに話を聞いたところ、「突き飛ばしたのは藤井だし、そもそも倉庫に閉じ込めるように指示を出したのは本田だから、私たちはなにも悪くない」と言い出したのだとか。当初は本田らも否定していたものの、後にスマホで録音された本田らの声が流出した――

 保護責任者遺棄ガールズの無意味な保身のために、事件の概要が明らかになるとはお笑い草であるが、所詮子どもの浅知恵とはそのようなものなのかもしれない。そして彼女たちの保身もむなしく、事故の直接的な原因である藤井と、いじめ行為を繰り返していた本田は退学、その他関わった生徒たちも一学期間の停学処分となることが決定している。来週、その旨正式に通知される。


「私が、たくさんの優秀な生徒の将来を奪った?」


 一人、呟いてみた。この事件についてはちょっとしたニュースとなり、インターネット上でもそれなりに話題となっているらしい。有象無象の意見を目にしてうっかり傷つくのは不毛だから、私はここのところあまりSNSを見ないようにしている。






 豊桜女子部、出勤最終日。


「原田ちゃんとの同僚生活も、これで終わりかあ」

「あー、竹下先生。ちゃん付けはまた教頭とか三島先生に怒られますよ」

「明日で違う学校なんだし、セーフセーフ」

「今日はまだ、女子部の教員です」


 私は自分のデスク上の物を段ボールに詰めながら、竹下先生と無駄口を叩いていた。


「それにしても原田先生、本当に男子部への異動で良かったの? ……っていうと勘違いされそうだな、別に嫌な意味では言っていないんだ。ただ、所詮は豊桜学園、基本的に環境に差がないんじゃないかな、とか心配にならないかなって」

「まあ、多少はありますけれど……今回の件は運が悪かったってのもありますし、それ以上に転職となると、私を雇いたいと思う場所がちゃんとあるっていう保証もないなって」


 三年間、教師として生きてきた。それ以外の畑ではとてもじゃないが、勝ち抜ける自信はない。他校に移るという手段ももちろんアリだと思っているが、異動で済むのなら異動で良いやって。智輝にも、しぶしぶOKをもらっている。まあ、当面は頑張るつもりでいる。


「原田先生。……何もできなくて、ごめんなさい」


 牧野先生が頭を下げる。


「そんなことないよ、牧野先生はよく話を聴いてくれたし」


 私が彼女の立場なら、絶対にタッチしていない自信がある。上から目を付けられ、生徒からも嫌われていた先輩教員と仲良くするメリットなんて無いはずだ。先輩教師の目の前で、そんな私と堂々と絡んでくれただけでも、この人はすごいと思う。


「でも」

「何」

「……でも私、嫌です! 飲み会のメンバーが一人減るじゃないですか」

「そっち?」


 私は吹き出した。


「一緒に仕事はできなくても、飲みに行くくらいできるじゃん」

「本当ですか? ……そう言ってこっちが本気にすると、原田先生ってするりと交わしそうじゃないですか」

「そんなことないって」


 私は社交辞令が得意ではない。私が「また今度」と言えば本当にまた今度会う予定だし、「行ければ行く」と言えば、結構無理やり予定を合わせて参加してしまう、そういう人間だ。それなのに、どうしてそういう冷たい印象がついてしまっているのか。

 そうだ、自分からは一度も誘ったことがないからだと気づけたのは、我ながらナイスだと思う。


「なんなら今日、行っちゃう? ――私の壮行会、みたいなノリで」

「本当ですか? 私、店探します」

「原田ちゃん原田ちゃん。……怪我人が飲んじゃダメでしょ」

「大丈夫。私、ノンアルでも酔えるタイプなんで」


 ニヤリと笑うと、竹下先生は、酔ったらダメなのでは? と首を傾げた。





📖作者からのお知らせ📖

こんにちは、まんごーぷりんと申します!

いつも読んでいただきありがとうございます。

さて、この作品、もうすぐ終わりを迎えます。

本編が終わったら、後ろに複数話のアペンディックス(付録)を付ける予定です。

アペンディックスでは、美雨以外のいずれかのキャラクターの目線による短めの後日談を書きたいな、と思っております。

「このキャラの独白を読みたい」

「このキャラから見た美雨がどういう存在だったのか知りたい」

というご意見、ご希望がもしありましたら、ぜひ教えてください。個数制限はありません。来たものは全部書く予定です。


教えてくださったら、作者が喜びます。あと、アペンディックスとして収録します。

長いお知らせ失礼いたしました。

いつも応援ありがとうございます、最終話まで走り抜けます!


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