第6話:ロミオとジュリエット

 高二の秋。海が急に、学校に来なくなった。恋人にフラれたらしい。理由は教えてくれなかったし、引きこもって会ってもくれなかった。それでも私達三人は、彼女の家に何度も通った。


 そんなある日のこと、実家を出ていた姉がある男性を連れて実家に帰ってきた。連れてきた男性は、私がまだ小学生の頃に姉が彼氏と紹介してくれた人だった。胸がざわついた。

 彼は私の父を『お義父さん』と呼んだ。そしてこう続けた。『娘さんをください』と。父は快く承諾したけれど、私はふざけるなと言いたかった。私のお姉ちゃんをお前なんかにやるものかと。言いたかった。言いたかったけれど、言えなかった。彼が良い人であることも、姉が彼を好きなことも、ずっと前から知っていたから。

 おめでとう。その言葉を口に出来ずに泣いてしまう私を、姉は抱きしめてくれた。


「お姉ちゃん、幸せになるからね。帆波」


 違うの。違うのお姉ちゃん。私は感動して泣いているわけじゃないんだ。私が泣いているのは親戚や友人の祝福を受けながら好きな人と家族になれる姉が羨ましくて、妬ましくて、姉の幸せを祝福出来ない自分が嫌で、心が痛くて仕方ないから。


「帆波。結婚して苗字が変わっても、お姉ちゃんは帆波のお姉ちゃんだからね。ずっと、帆波のことを想ってるよ」


 姉の優しい声が、醜い心を容赦なく抉った。

 その日は一日、部屋に引きこもった。

 ふと、一本のビデオが目に止まる。白百合歌劇団という女性だけで構成される歌劇団の舞台のビデオ。演目は『ロミオとジュリエット』

 対立する家の男女が恋に落ち、駆け落ちをする話。だけど連絡の行き違いで、仮死状態になったジュリエットが本当に死んでしまったと勘違いしたロミオが自殺し、仮死状態から復活したジュリエットもそれを見てショックを受け、後を追う。

 しかし、結果的に二人の死が両家の和解のきっかけとなったという皮肉な話だ。


「……あぁ、そっか」


 この国が二度と戦争をしないと決めたのは、戦争によって多くの尊い命が失われたから。

 同じく、モンタギュー家とキュピレット家が和解したのは、両家の争いが原因で尊い命が失われたから。

 そのことから私は、私が死ぬことで差別の蔓延るこの世界が変わるきっかけになったりしないだろうかと考えた。ただ死ぬだけでは無理だ。どうして死んだのか、理由をはっきりさせなければ。まずは遺書を書こう。死ぬに至った理由を綴った遺書を。私達がなろう。ロミオとジュリエットに。

 私の頭は、恐ろしいほど冷静だった。死に対する恐怖や迷いなんて一切なかった。




 それから数日後。姉の結婚式に出席した。純白のドレスを着て、親族と友人達に祝福されながら、最愛の人と神の前で永遠の愛を誓い合う姉。その幸せと希望に満ち溢れた姿は、私にはあまりにも眩しすぎた。


「お姉ちゃん。おめでとう。凄く綺麗だよ」


 心の中に燻る闇を隠して、私は言う。ちゃんと笑えているか不安だったが、姉の屈託のない笑顔が、闇を隠せていることを証明してくれた。


「あんたもいつか着る日が来るよ」


 来ないよ。そんな日は。


「……想像出来ないなぁ。私には」


「そう?あたしには出来るけど」


「……そう。想像する花嫁姿の私の隣には、どんな人が立ってる?」


「どんな人だろうね。そこまでは想像つかないけど、きっと良いなんだろうね」


「ふふ。……そっか」


 嫌だ。立たせたくない。男なんて。純白のドレスを着た私の隣に相応しいのは、あの子だけ。あの子以外、月子以外立たせない。世間がそれを許さなくてももうどうでも良い。この世で結ばれることが許されないのなら、あの世で結ばれればいいだけだから。

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