第一期 再契約編
EPISODE1 雨の中の出会い
最終下校時刻を知らせる、校内放送の淡々とした音声によって。
図書室の机に突っ伏して眠っていた
中間テストに備えて少し復習しようとしていたのだが、図書室の空調がいい感じに効いていたせいで、ついうとうとしてそのまま睡魔の誘惑に敗北してしまったのだ。
幸いなことに涎の付いていないノートを閉じると、ため息を吐き出してペンケースと共に鞄に仕舞い、座っていた椅子を立ち上がる。
カウンターに座る女性の司書教諭と、隣で貸し出しカードの分類を行う男性型の人形に軽く挨拶をして、蹄人は図書室を後にした。
嫌な夢を見た。あの日のことは思い出したくもないのに、眠るとたまに夢に見るのだ。
「最近はほとんど、見てなかったのに、な」
昼休みの時にクラスメイトたちの話す、露骨な陰口を聞いてしまったせいだろうか。独り身になってもう一年だというのに、あの日の出来事の余波は、未だ蹄人の生活と心を蝕み続けているのだ。
この世界では子供が十歳になると、人形管理協会から必ず、「動く人形」を一体与えられるという決まりがある。
自分の性別と対になるその人形は、「
あの日、人形管理協会の主催する世界大会、「ラストホープ・グランプリ」の準決勝で敗北した蹄人は、パートナーの人形であるミルキーウェイに見限られた。
対戦相手の、
だがあの戦いの中で、蹄人は己のパートナーであったミルキーウェイに裏切られ、敗北後に向こうの方からほぼ一方的に見限られた。
残された蹄人は人形に対する扱いに問題があったとされ、大会規定によってミルキーウェイとの契約を強制的に破棄させられ、公式大会への参加権を永久剥奪された。
パートナーに見限られる、無様な蹄人の姿は、全国どころか全世界へと放映されて。中学を卒業してこの
パートナーである人形を道具扱いしたせいで、見限られて捨てられた男。それが蹄人に貼られたレッテルだった。
校舎を出て、校門に向かって歩いていく途中。楽しそうに話す女子生徒たちと、そのパートナーである男性型の人形二体とすれ違う。女子生徒たちは蹄人の姿にぴたりと足を止めて、はっきりと聞こえる声で言い始めた。
「あの人、まだ新しいパートナー見つけてないんですって」
「当り前じゃない。人形を道具として扱う人のパートナーになろうとする人形なんて、どこにもいないんだから」
もう慣れたこととはいえ、ダメージを受けないわけではない。歩く速度を少し早めて、蹄人は校門を通り抜けた。
彼女たちの陰口に、蹄人の心は抉られるものの。その言葉自体を、違うのだと否定することはしない。
蹄人は人形のことを、対等な存在ではなく「道具」であると思っている。それは蹄人の信念であり、何を言われようと変えるつもりはない。
そもそも少し前までは、人形を道具として扱うことは公式に推奨されてきたのだ。古来より奴隷や兵士として使役されてきた人形は、人間と対等な存在であると思わずに、道具として扱うべきなのだと。
だが一年前の世界大会、ラストホープ・グランプリの優勝者が決まって以来、その風潮はがらりと変化してしまった。
高層ビルが立ち並ぶ、発展目覚ましい街の中を、蹄人は鞄を揺らして歩いてゆく。道行く人はほぼ全員、パートナーの人形を連れている中。たった独り、時折空を見上げながら。
今日は天気が悪いのか、もうすぐ雨が降りそうな分厚い雲が立ち込めて、辺りはもうかなり暗くなっていた。
首筋に雨粒が落ちた気がして、蹄人が立ち止まって顔を上に向けると。ちょうどそこにあった街頭ビジョンに、蒼井結翔の姿が映っていた。
蹄人に勝利した結翔は、そのままラストホープ・グランプリを優勝した。世界の頂点に上り詰めた彼は、「ドールマスター」の称号とトロフィーを手にして、「人形を人間と対等に、仲間として扱う」という己の信念を大々的に宣言したのだ。
初めのうちは結翔の思想に、批判的な存在もいたのだが。圧倒的な実力で次々と挑戦者を退けてゆく結翔の姿に、周囲は感化されていって、やがて批判する者は誰もいなくなった。
おそらく準決勝での自分とのやりとりも、ここまで彼の思想が広がった要因の一つだと思うのだが。口に出せば人形師たちから総叩きに遭うため、絶対に言うことはできない。
大画面には今日の試合のハイライトが映し出されて、結翔の操る銀髪の人形が氷の魔法を放つ姿が見えた。
そういえば、ミルキーウェイは今結翔と契約していると、風の噂で聞いたことがある。もしかしたらミルキーウェイを使っているかもしれないと、結翔の公式試合は出来る限りチェックしているのだが。今のところミルキーウェイが使われているのは、ただの一度も見たことがない。
「ミルキーウェイ……」
パートナーだった人形の名前を呟いて、目を閉じると。蹄人は首を横に振って、再び歩き出す。
帰宅するなら、この先にある駅から電車に乗るのだが。あえてビルとビルの間にある、裏路地へと踏み込んでゆく。
相変わらず怪しい空模様の中、裏路地の入り組んだ通路を通り抜け、時々歩く速度を速めてみるものの。やはり何も、変わる様子はなかった。
さっきから誰かにつけられている。不味そうなラインナップの自動販売機の前を横切り、蹄人は早くなった呼吸を落ち着かせようと、息を大きく吸い込んで吐き出す。
今まで陰口を叩かれることは何度もあったが、こうして尾行されることは初めてだった。いくら人形を道具として扱うからといって、物理的な手段で攻撃をするのはやりすぎなんじゃないだろうか。
こんな時に人形がいれば、対抗できる手段はそれなりにあっただろうが。独り身である蹄人は、ただ逃げるしかなす術がない。
ただし基本的にインドア派の文系であるため、逃げるにしても体力が乏しすぎるのだが。それでも無抵抗で袋叩きに遭うよりは、少しでもあがいてやりたい。
裏路地を抜けて、住宅街に出たところで。完全に意気が上がって足も重くなってきたが、それでもまだ逃げようと走り続ける。
だが蹄人のささやかな抵抗を嘲笑うかのように、ついに頭上の雲から大粒の水滴が降り注ぎ始めて。
雨と追手から逃げ込む場所もない、住宅街の薄暗い路上で。蹄人はついに足を止めると、立ち止まって鞄を投げ捨て、両手を広げて見せた。
「僕のことを、つけているのは分かってるんだ。もう逃げないし、抵抗もしないからさ。そっちも早く、姿を見せろよ」
荒い呼吸の中で絞り出すように言って、精一杯の笑みを浮かべる蹄人に対し。
大通りからずっと尾行してきたその人物は、蹄人の正面に立つと、身に纏った汚いレインコートを脱ぎ捨てた。
「―――え」
汚れで曇ったレインコートの下から現れたのは、何も身に着けていないボディに、ピンク色のペンキで塗られた頭髪。そして鋭く輝く深紅の瞳をした、一体の女性型人形だった。
即座に周囲を見回してみても、パートナーらしき人間はいない。改めてその人形に視線を戻すと、汚れと傷にまみれた、ろくに手入れもされていない酷いボディをしていることが、雨の中でもはっきりと分かった。
「君は、一人なのか」
やっと口から出てきた言葉がそれだった。蹄人の問いかけに対し、人形は静かに頷いて見せる。
「ああ。私は一人だ、主人はいない」
やや低いものの、女性らしい響きのある声だった。
「主人に、捨てられたのか」
言ってからすぐに違うと気が付く。たとえ契約を解除していても、人形を管理協会の許可なく廃棄するのは、重い刑罰が課せられる重罪だ。捨ててリスクを負うよりも、正当な手順で契約を解除して、新たな人形と契約を交わす方がずっと安全で手軽なのだ。
だとしたら。人形との契約を破棄する方法はいくつかあるが、最も可能性が高いのは。
「いや、主人に死なれたのか」
契約を交わしたどちらか片方が死ぬか、あるいは壊れるかすると、自動的に契約は破棄されることとなっている。
その場合は身内が契約を引き継いだり、人形管理協会に回収されて素体に戻されたり、場合によってはパートナーと共に埋葬されることもあるのだが。
極稀にこういう風に、管理協会が回収し損ねる人形が出てきてしまうのだ。主人の人間が身寄りのない存在だったり、人形が協会に登録されていない非合法なものだったりする場合は特に、である。
果たして、蹄人の問いかけに人形は頷く。やはりパートナーの人間に死なれた後、何らかの理由で回収されずに彷徨っていたのか。
ならば管理協会に連絡を入れて、早急に回収してもらわねばならない。そう思い、蹄人は制服のポケットから防水のスマートフォンを取り出す。
「私は主人を殺して逃げてきた。だから管理協会には連絡しないでくれ」
ぴたり。番号を入力して、あとは発信ボタンを押すだけだった指を止めて。蹄人は目を見開いて、目の前の人形に顔を向ける。
「殺したって、無理だ、不可能だ、人形にはみんな、人間を殺せないようにロックがかかっているはずだ。命令を聞かせることのできる主人なら、猶更のこと―――」
「普通なら、お前の言っている通り、人形に人間は殺せない。でも抜け穴があるんだ、一つだけ。人形にも人間を殺せる方法が」
人形の言葉に、蹄人は息をのむ。人形は人間にとって無害で有益な存在だから、今まで共存が上手くいってきた。だが人形が人間を殺せるとなると、話は違ってくるだろう。
目の前の人形が、嘘をついているなら良かったのだが。人形は基本的に、契約していようとなかろうと、人間に嘘はつけないように出来ている。
だからこの人形の言っていることは真実だ、その抜け穴とやらを使えば、人形に人間が殺せるのだ。
「その……抜け穴って、なんなんだ」
恐る恐る、蹄人が人形に問いかけると。人形は頷き、口を開く。
「それはあまりにも曖昧で、不確かなもの。話すには少し長くなる、その前に私の頼みを聞いて欲しい」
「頼み?」
首を傾げる蹄人に対して、人形は真っ直ぐな眼差しで言った。
「私と契約してくれないか、藍葉蹄人。私には、私のことを道具として扱ってくれる、君の存在が必要だ」
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