EPISODE2 愛された過去

 人間がどんな親の子に生まれるかを選べないように、人形もどんな主人の元に来るかは選べないものだ。

 その人形が契約を交わすことになった主人は、今井優太いまいゆうたという一人の男だった。

 基本的に見目麗しく作られている人形とは対照的に、優太は不健康に肥満していて、顔もかなり醜い方だった。

 容姿に自信がないせいか、それとも裕福な家庭に生まれて甘やかされて育ったせいか、性格もとことん歪み切っていて。休眠状態から起動される際、人形はねばついた唇で接吻されることとなった。

「うーん、値段の割にはいまいちだけど、ま、十分かな」

 それが、起動した人形に掛けられた第一声だった。

 基本的にどんな子供でも、十歳になれば一体の人形を与えられるが。金のある家庭ではその際に、人形に様々なオプションを付属させるのだ。

 優太の両親は人形にたっぷりと金をかけて、多種多様なオプションを付属させていた。もっともそのうちのほとんどは、使用されることがなかったのだが。

 それでも初めのうちは、オプションの歌唱機能を使用したり、人形決闘ドールセションを行うこともあったりしたのだ。

 ただ歌唱機能はすぐに飽きられ、人形決闘はセンスがなさ過ぎたため、年下相手にもぼろ負けしたものだが。

「お前のせいだ、お前の出来が悪いから、僕は負けたんだっ」

 負けるたびに、優太は人形に当たって。それが何度も繰り返されるうちに、人形決闘をやらなくなった。

 それでもそういう風に使ってもらえるうちは、まだ幸せだった。たとえ名前ではなく、「召し使い」と呼ばれていたとしても。

 人間の為に働くのが、人形の使命であり。そう思い動くよう、作られているのだから。たとえ酷い主人でも、使って貰えるならなにも文句はない。

 だが中学に上がった優太が、ある人物と出会ってから。人形も優太も何もかもが、狂い始めていったのだ。

 親のコネもあって、優太は割と名門の中高一貫校に入ったのだが。一気に難しくなった学校の勉強に、あっという間についていけなくなって、さらに人形に当たるようになった。

 それでもストレスの捌け口になってやれればと、人形は何も言わずに耐えたのだが。現実はそう、甘くはなかった。

 容姿と性格の悪さも相まって、優太は次第にクラスの中で孤立してゆき。やがて学校に居場所のなくなった彼は、不登校になり部屋に引きこもるようになった。

 毎日暗い部屋の中で、パソコンの画面を見つめる日々。映っているのは淫らな漫画か、誰かが何かを批判する記事ばかり。

 人形が少しでも心配をしようものなら、怒鳴られて殴られ、酷い時は廃棄をちらつかせて脅されることもあった。

「お前は僕の召し使いなんだから、従順に従っていればいいんだよっ」

 それが優太の口癖で、そう言われるたびに人形は謝罪し、素直に頷いた。

 たとえ殴られ蹴られても、それで主人の気が済むなら本望なのだ。もちろん抵抗してくれと言われれば抵抗するし、泣けと言われればなく。主人の命令通りに動く存在、それが人形なのだから。

 だが。ある日たまたま再生した動画で、優太は彼女と出会った。出会ってしまったのだ。

 彼女の名前は「楽園桃香らくえんももか」と言って、ネット上で活動するアイドルのような存在だった。

 当時はまだ無名だった彼女に、優太はあっという間に心を奪われ、投げ銭やグッズ購入など、様々な形で彼女を支援するようになった。

 優太が画面の向こうの彼女に熱を上げている間、人形は見捨てられたように部屋の片隅で放置されていたが。構わないということもまた、主人の選択の一つであるため、素直に受け入れていた。

 もっとも。さすがに少しだけ、寂しさは感じていたのだが。また同時に、殴られたり罵倒されたりしないことに、嬉しさも感じていたのだが。

 主人である優太に聞かれない限り、胸の中のそれらの感情を、口に出すことはしなかった。

 桃香は優太の支援の甲斐あってか、徐々に人気が出ていき、ついにはデビューシングルを出すまでになった。

 生放送で、彼女はそのことを告知するとともに、今まで応援してくれたファンの為に握手会を開催することを宣言した。

 握手会にはデビューシングルに付属する、専用のチケットが必要だったが。既に数十枚単位で買い込んでいた優太は、大量のチケットを握りしめて握手会に出かけて行った。

 数時間後、久しぶりの外出から帰宅した優太は上機嫌で、出迎えた人形を見るとソーセージのような人差し指を向けて言った。

「そうだ、お前の名前を今決めた。お前は今日から『モモカ』だ」

「……はい、ご主人様。私は今日からモモカです」

 遂に名前を貰えたことが嬉しく、人形が微笑んで見せると。優太は満足そうに頷いた。

 名前を与えられてからしばらくの間、優太はいつもよりも人形、モモカに対して比較的優しく接してくれた。

 怒鳴りつけるのは相変わらずだが、殴ったり蹴ったりすることはなくなって、ずっとさぼってきたメンテナンスもしてくれた。

 もっともそれはモモカと、大好きな楽園桃香を重ね合わせているだけだと分かっていたが。それでもこの日々がいつまでも続いてくれたらいいなと、モモカは叶わない願いを抱いていた。

 優太がどういう人間なのかは、ずっと一緒に暮らしてきたから分かっている。恐らく近いうちに、この幸せは崩れ去るだろう。

 確かな予感を胸に、それでもモモカは束の間の幸福な日常を噛み締めていたのだが。

 優太が18歳になったある日、抱いていた予想通りに、モモカのささやかな幸福はあっさりと砕け散った。

 何が起こったかというと、優太の応援していた楽園桃香が、自分と同じネット出身の男性ミュージシャンと、出来ちゃった結婚をすることを発表したのだ。

 優太に限らず、楽園桃香のファンは阿鼻叫喚の様相を呈したのだが。優太は荒れに荒れ狂って、連日様々なサイトで顔立ちの整った男性ミュージシャンを罵倒した。

 だがいくら叩いたところで、楽園桃香の妊娠と結婚という現実が変わることもなく。衝撃が通り抜けると、祝福する声もちらほら上がってきた。

 それでもなお、優太は今まで応援してきた桃香のことを許せず。しまいには桃香本人のことを罵倒するまでにもなったが、かえって他のファンから非難されることとなった。

 自分が一番桃香を応援していたと信じていたのに、気が付けば他の桃香ファンから総叩きにされ、大炎上したSNSを見つめていた優太は。暴れたせいで破損した物が散らかった部屋の中、ただ一つ無傷で残っていたパソコンを破壊すると、静まり返った暗闇の中で膝を抱えて座り込んだ。

 ふさぎ込む優太に、モモカはなんと声をかけていいかわからなかった。人形であるせいか、こんな時に気の利いた言葉を思いつかない、自分が情けなかった。

 だから何も言わずに、ただ部屋の片隅で、優太のことを見守っていたのだが。

「……モモカ」

 名前を呼ばれて、モモカは顔を上げる。俯いていた優太が、モモカのことを見つめていた。

 その瞳に、今まで見たことのない光が、おぞましい光が宿っていることに気が付いて、モモカはその時初めて、優太に対して恐怖を感じた。

「そうだ、ここにいるじゃないか。桃香の、あの恩知らずくそビッチの代わりが。理想の桃香がいないなら、理想のモモカを作ればいいじゃないか」

 ねばついた唾液にまみれた舌を出して、優太はモモカにハムのような両腕を伸ばす。

「モモカ……愛してるよ……モモカ」

 そこから先は、とてもじゃないが言葉にはできない。優太の両親がモモカにつけたオプションの中に、あまりにも生々しい機能があったことを、モモカはこの時ほど呪ったことはなかった。

 それからモモカは、結婚して幸せに暮らしているであろう桃香の代わりに、優太に愛されるようになった。

 愛されることは、殴られたり蹴られたりすることよりもずっと残酷で。優太の愛という名の命令は、今までのどんなことよりもモモカに苦痛を与えてきた。

 まず優太は、楽園桃香に少しでも近づけるため、ピンク色のペンキでモモカの髪の毛を染めた。人形の髪色を変えるときは、普通なら調律師に頼むのだが、自分の手でやった方が愛おしいということらしい。

 それからモモカに、「理想の桃香」として振る舞うように求めた。「楽園桃香」ではなく、優太の「理想の桃香」として。

 モモカは命令に出来るだけ応えようと、頑張って理想の桃香として振る舞ったのだが。

 優太の頭の中だけに存在する、理想の桃香を完全に再現することは不可能であり。モモカが少しでも理想と違った行動をとるたびに、優太は泣き喚いてモモカのことを殴りつけた。

 ストレスで殴られるのはいい、命令を実行できなくて殴られるのもまだいい。しかし愛しているのにどうして応えてくれないんだと、言われながら殴られるのは辛かった。解決策も答えも見つからず、あまりにもどうしようもなくて。

 また優太は定期的に自己嫌悪に陥った。モモカをたっぷり愛した後は特に酷かった。

「ああ、僕は何をやってるんだろう……こんな人形なんかに夢中になって、ろくに働きもせずに引きこもって、本当に何をやっているんだろう……」

 当時優太は二十を過ぎていて、甘やかしてきた親からもいい加減自立しろと、度々小言を言われるようになっていた。それもまた、優太の自己嫌悪を加速させる要因だったのだろう。

 優太が自己嫌悪に陥るたび、モモカは必死に優太のことを励ましたのだが。そのたびにうるさいと、強く当たられ殴られた。

 ただモモカとしては、愛していると言われるよりも、うるさいと言われる方がずっと良かった。モモカを愛する優太より、自己嫌悪に陥って荒れている優太の方が、ずっと愛おしく感じられたのだ。

 そうして優太とモモカの、歪んだ日常は続いて行って。

 ある日のこと、両親が優太をニートの更生施設へと入れることを決めた日のこと。優太はモモカのいる部屋に、半狂乱の状態で戻ってきた。

「モモカ、僕はもう救いようのないクズだ。僕が死んだって、誰も悲しまないどころかみんな手を叩いて喜ぶんだっ」

「違うよ、ゆうくん。ゆうくんが死んだら、モモカとっても悲しいよ」

 叩き込まれた口調で、いつも通りに慰めの言葉を言い放つと。優太は鬼気迫る勢いで、モモカに近づいてきた。

「モモカ、モモカは僕のこと、愛しているよな?」

「うん、愛しているよ、ゆうくん」

「だったら、だったら僕のことを殺してくれっ。自分で死ぬ勇気はないからさあ、出来るならモモカの手で、モモカの手で愛されて死にたい」

「ゆうくん、それは―――」

 それは。

 それはとても。

 それはとても、素晴らしい考えだと思った。

 本来命令されたとしても、人形は人間を殺すことが出来ないようになっている。古来に兵器として使用されていた時代ならともかく、今はすべての人形に、作られる時点でロックをかけることが義務付けられている。

 だが。自分を殺してくれと懇願する優太の姿が、モモカは堪らなく愛おしく感じられた。愛おしく感じれば感じるほど、優太のことを殺してやりたいと思えてくる。

 気が付くとモモカの姿は、本来ドームの中でしか変身できない、戦闘形態へと変化していた。躊躇うことなく、モモカは手に持った深紅の拳銃の撃鉄を起こし、醜い顔を驚きに歪める、優太の顔に狙いを定める。

 引き金を引くことに、何の躊躇も罪悪感も抱かなかった。ただそこにあったのは、優太に対する愛情のみ。

 弾丸は優太の額にめり込むと、跡形もなく消え去った。だが効果はあったようで、優太は仰向けに倒れ込むと、そのまま動かなくなった。

 途端に、モモカの中で何かが弾けた。衝撃には驚いたが、なぜだか不思議と悪くない気分だった。

 いや悪くないどころじゃない。ずっと縛られていた鎖から解放されて、大空に飛び立つ鳥のような軽い気分だった。今ならなんだってできる、どこだって行ける、心からそんな気がした。

 いつの間にか、元の姿に戻っていたモモカは。そのままふらふらと部屋を出て、今井家の豪華な邸宅から飛び出した。優太の両親はちょうどその時、更生施設の職員と話し合いに行っていて、留守にしていたことも幸いした。

 こうしてかつて「モモカ」と呼ばれていたその人形は、最悪な主人から解放されて、自由の身となったのだ。


 過去を語り終えた人形は少し俯き、雨音に混ざるよう呟いた。

「抜け道は愛だ。愛を武器に乗せれば、主人の心臓にだって届く」

「……なるほど」

 人形が人間を殺すために、一体どんな抜け道があるのかと思ったが。主人を愛することが条件というのは、それなりに納得がいく。

 人形の心理ロックについては機密事項であるものの、恐らく愛、つまり主人に対する強い思いが、人形に掛けられたロックに不具合を起こし、弱めてしまうのだろう。

 また話の内容から察するに、人形の攻撃によって殺された場合、証拠は残らないようだ。銃殺ではなく、心臓麻痺として処理されたなら、例え殺した人形が近くにいたとしても、疑われることはまずないだろう。

 そもそも人形が人間に対し、愛情を抱くこと自体が不具合であるといえるのだ。それに愛情を抱き、そのうえで殺意を持つことなんて、人間同士でもそう滅多にないことだ。

 だから人形管理協会も、今までこの抜け穴を見つけることが出来なかったのだろう。レアケースである上に、「愛」なんていう不確かなものによる不具合なんて、あの頭の固い管理協会の連中が気づくはずがない。

 だが抜け穴の仕組みが分かった以上、管理協会に連絡して説明しなければ。そうすれば主人を殺したこの人形は、廃棄か調整したうえで再利用されることになるだろう。

 スリープ状態になっていたスマートフォンの電源ボタンを押し、管理協会の電話番号が入力された画面を表示させてから。

 通話ボタンを押さずに、蹄人は目の前の人形に顔を向ける。

 通報する前に、この人形には聞きたいことがある。その答えを聞くまでは、管理協会に引き渡すのは待つことにしよう。

「……お前の過去は分かった。けど僕と契約を求める理由が分からない。よりによって、なんで人形を道具として見ている、僕と契約しようとするんだ」

 酷いパートナーに、ずっと奴隷同然に扱われてきたのにもかかわらず。人形を大切に扱ってくれる人間ではなく、道具として見ている自分のような人間に、契約を求めるなんて。

 だが僕の前で、深紅の瞳を持つ人形は静かに頭を振った。

「だからこそだ。愛されるより、道具として扱ってくれる方がずっといい。街で色々な人間が、君の話をしているのを聞いた。君は人形を道具として扱ってくれるって。だから君なら、ちゃんと私のことを道具として扱ってくれるんじゃないかって、そう思って君の後をつけてきたんだ」

 早口で言って、人形は首を振るのをやめると、どこか求めるような眼差しを、蹄人に対して向けてくる。

「お願いだ、私と契約してくれ。私のことを、「道具」として扱ってくれ」

 頬のひび割れた顔を、紅い瞳を見つめ返して。蹄人は静かに、息をのみ込む。

 人間と契約していない人形は、長く生きられないという。人形の体を維持するには、調律師によるメンテナンスが必要であり。メンテナンスを受けるには、人間の持つ人形管理協会の会員証が必要なのだ。

 このまま放っておいたら、この人形は間違いなく壊れてしまうだろう。一度壊れた人形が、元に戻ることは二度とない。

 先程の過去の話によると、この人形には多数のオプションが搭載されているようだ。歌唱機能一つにしても、十数万はするというのに、そんなオプションがいくつも搭載されているという。

 そんな貴重な人形を、このまま見捨ててしまうのはもったいない。貴重な道具が壊れたり廃棄されたりするのを、黙って見ているのはさすがにもったいない。

 だから別に。道具として扱われることを望むこの人形を哀れに思っただとか、この人形とならもう一度踏み出せるかもしれないと感じただとか、そんなことは一切ない。

「……いいだろう」

 管理協会の電話番号を消して、通話アプリを閉じると、蹄人はスマートフォンを仕舞って片手を差し出す。

「契約だ。僕が責任をもって、お前のことを道具として扱ってやる」

 人形との契約方法は二つある。一つは協会から送られてきた、休眠状態の人形に触れること。もう一つはパートナーのいない人間と人形が、お互い合意の上で触れ合うこと。

 意志の籠った接触が、契約の誓いにして、証しとなる。

 相変わらず降りしきる冷たい雨の中、人形は差し出された手を見つめていたが、少しだけ笑みをむせると、しゃがみ込んで手を取る。

 雨のせいで、頭に塗られたペンキが落ちて。本来の色である深紅の髪が、蹄人の目の前に降りてくる。

「スカーレット」

 気が付いたら、口に出していた。三日三晩考えに考えた、ミルキーウェイの時とは違って。自分でも驚くほど自然に、心の底から湧き上がってきた。

「お前の、新しい名前だ。今日からお前は、スカーレットだ」

 スカーレットは一瞬だけ、驚いたように顔を上げると。すぐに嬉しそうな顔をして、深紅の瞳を閉じると、蹄人の手の甲に軽くキスをする。

 瞬間、蹄人の中に確かな衝撃が走って。契約が完了したことが、はっきりと理解できた。

 ミルキーウェイに見放されてから、もう二度と人形と契約することはないと思っていたが。捨てる神あれば拾う神あり、本当に何が起こるか、分からないものである。

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