弐拾肆 失策

 ねぇ、秋人と名前を呼ばれ、『白炎の死神』と恐れられる男は顔を向けた。

 戦場には不釣り合いな細身の看護婦が膝を抱えている。肩から大きな救護鞄を下げてはいるが、使われる予定は無さそうだ。

 抱えた膝にはオルゴールが置かれていた。開いた箱からは西の大国の旋律が奏でられる。幼い頃にもらった箱の木の目を数えながら美冬は続けた。


「私、思うのよ。軍士官学校でも化学や心理学をもっと教えるべきだって。体育や兵法ばかりだとは思っていたけれど、火を燃やす方法も知らないなんて思ってもみなかったわ」


 秋人率いる陸軍第三特殊部隊は軍士官学校の生徒や、上の学校に行かずに異能の力を見込まれて軍に入った者ばかりだ。

 風の流れは火の勢いを増す。先日、美冬の言葉に当たり前だと頷いたのは秋人含むその場にいた全員だ。さらに、消毒用の過酸化水素水オキシフルを持ち出して、これでさらに燃えると言った美冬に頷き返したのは佐久田一人だけだった。結局は過酸化水素水の量に限りがあるで、小さな火を大きく燃やしただけで終わったのだが、異能だけに頼るでもなく、化学の理論で秋人達が思いもよらない作戦ばかり立てていった。

 高等師範学校出身の佐久田だけわかったことからも、美冬の指摘は真っ当なことだろう。

 美冬はぶつぶつと続ける。


「あと、一対一で戦うみたいな侍気質もいただけないわ」


 異能持ちは個々の能力を活かすことを軍では第一とされる。隊列の乱れは教えられても、共闘というものは教えられなかった。気付かない者達にも問題はあるだろう。

 現に風の異能持ちの力を借りれば、秋人の異能はいつもの二分の一の労力で保たれた。風の異能持ちが二人いたことも僥倖だろう。器用な風が戦場に音を運んでいる。


「一騎当千より、二騎で万人を相手した方がいいに決まってるでしょう」


 正論であるかのように美冬は言い放つ。

 そばにいた部下達は狐につままれたような顔で美冬を見た。視線に気付いた美冬が睨みつければ、すぐさまそっぽを向く。

 秋人は首席で卒業した美冬と、腕っぷしだけでのしあがってきた者達を同じ土俵にあげるのもどうかと思ったが口にしないでおいた。


⊹ ❅ ⊹


「こんなくだらないこと、早く終わればいいのに」


 美冬の呟きに反応した詞が振り返る。近くに落ちた轟音でよく聞き取れなかったのだろう。美冬に集中なさいと注意され、顔を元に戻す。


「指示を聞きこぼしてはいけないと思いまして」

「ただの独り言よ」


 口がよく回るのは血のせいだろうか。美冬は詞の言い訳に痛快なしっぺ返しをした。

 戦況が変わり、戦場の後方にも弾が飛んでくるようになった。塹壕の上では銃弾が隙間なく飛び交っている。

 看護婦姿の司令塔みふゆは標的を探していた。彼女は影の功労者としてオルゴールと組み合わせた強烈な嫌がらせで敵の精神を締め上げる。

 時には敵を土に埋め、操り人形のごとく宙で回し吐かせ、初夏を迎えた外地の空に隙間のない氷柱の天幕を作る。氷柱は太陽の熱にも溶けず、いつ落ちるかもわからない。鋭利な切っ先が揺れ、滴が落ちただけでも敵は悲鳴を上げていた。蓋を開ければ、美冬が作った氷を詞の操る糸にぶら下げていただけの簡単な造りだ。

 他には隊員達も青ざめる嫌がらせを、容赦なく実行した。司令塔みふゆが言うことは絶対だからだ。

 別行動を渋る隊長を扱き下ろし従わせたのも美冬だ。

 近くで敵か味方かもわからない叫び声が上がる戦場。充満するのは火薬と血の臭いだ。轟音と土煙が舞う切り詰めた空気の中、詞が美冬と行動を共にすることは珍しくない。

 一月前の殺伐とした再会に行き合ったせいか、能力が攻撃に特化していないせいか、詞は美冬にこき使われる。異能だけではなく、なぜか所用にも呼びつけられるのだ。先日は様々な色の人魂を作る資材探しにも駆り出された。

 黒い玉が降ってくる。戦場には油断する暇はない。幾度も見た光景に頭よりも体が反応した。詞は美冬を背中で庇い、砲弾の勢いを殺すように力を込める。

 火力で飛ばされ重力に引かれる砲弾の力は大人二人分を越えている。持ち上げることはできない。糸を編めば一枚岩のように勢いを止めることはできなくとも、弱めることができる。詞は判断を行動に変えたが、僅かに勢いをなくした砲弾は二人に迫る。

 自分の身で少しでも防げればいい、詞の甘い考えを嘲笑うように、氷の壁ができた。

 表面をへこました分厚い氷の壁。砕け散った欠片が空を舞い、きらきらと舞う。散弾の勢いも殺し、砲弾は完全に止まっていた。

 詞から乾いた笑い声がこぼれる。異能の能力の度合いは顕著に大きさに現れる。人の二倍はある障壁は、にわかには信じがたい。


「やりますね」

「自分の身は自分の身で守るのでお気遣いなく。ついでに守ってあげてもよろしくてよ」


 詞の言葉に舐めるなと美冬は顎をしゃくった。

 恐怖に突き落としたのも美冬ではあるが、狂気を作ったのも彼女であった。氷の壁を作ることで、そこに異能持ちがいることが知れる。

 恐怖の麻痺した精神で一人の男が立ち上がった。いつ死ぬかわからぬ命なら、銃弾も恐くない。銃弾が行き交う中を駆けるのは狂気の沙汰だ。銃弾が肩を撃ち抜け、血潮と共に握っていた銃が遠くに飛ぶ。反対の手で白刃を抜き、詞と美冬の所まで駆け抜ける。

 詞は敵が目前に躍り出ても、力を使いすぎたせいで異能を行使できなかった。体術も十分に会得しておらず、銃も使いこなせない。

 一方の美冬も動けないでいた。忘れたと思っていた、幼い頃の凶刀記憶が彼女の動きを止める。

 詞は美冬と敵の間に立ちはだかった。

 たった一瞬のこと。詞は顔と腹を切りつけれ、遅れた美冬が敵の両手と両足を氷付けにする。

 笑い声と血を吐くを敵はすぐに事切れた。体には無数の穴があいている。

 美冬は自分に倒れてきた詞の体を押し退け、地面に転がした。

 異国の地に流れる尊い血。本来ならば学校を卒業して教鞭を振るっていた。

 救護鞄の中身でできることなんてたかが知れている。止めどなく流れる血を睨み付けた美冬は、ありったけの布で傷を押さえた。


「戦争なんて、ばっかじゃないの」


 詞は吐き捨てられた言葉の意味がわからなかった。耳が働いてないのかもしれない。熱い瞼と腹の痛みで気が遠くなる。親と兄弟を思い出し、一人の友を思い出した。悲しませるつもりはなかったのになと一抹の後悔が灯る。それを最後に暗闇に落ちた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る