弐拾伍 秘術

『とっておきを教えてあげましょう』


 何処かから、フィンの声が聞こえたような気がした。

 美冬は何度目かになる誘惑に頭をふり、首元に下げた笛を取り出した。肌着につけたブローチに当たり、カチリと音がする。深く息を吸い込んで、笛に吹き込んだ。

 爆裂音と悲鳴が飛びかう中、甲高い音が鳴り響く。

 美冬がもう一度、吹こうとした時だった。

 業火のごとく陣が敷かれ、美冬が作り上げた氷壁が崩れ落ちた。放たれた銃弾も業火に融かされ、形と勢いを無くして地に落ちていく。

 戦の音が遠退いた気がするのは間違いではない。白い炎に気をとられ、戦は一時中断されていた。最後に砲弾が放たれてから間が空きすぎている。

 美冬は息が上がるのを感じた。過分な異能を使い、薄くなる空気も相まって目眩を覚える。耳も遠くなる。


「お嬢様」


 戦場に似つかわしくない言葉で呼ばれた。体で暴れるあらゆるものを押さえつけた美冬は声の主を睨み付ける。


「遅い」

「すみません」


 謝罪しながらも、秋人の表情は一寸も動かない。大掛かりな白炎を今もなお展開しているのに涼しい顔だ。

 秋人の後ろには幾人かの部下が付いてきていたが、息を切らしている。再開された爆裂音に美冬の心臓はさらに加速した。

 美冬は秋人の頬にできたかすり傷を睨み付ける。反対は煤で汚れていた。

無理に押し通してきた男を罵る時間も力も残っていない。憤る思考を叩きのめして、手短に話を進める。


「退路は」

「確保しました」

「運びなさい」


 美冬の命令を聞いた秋人が彼女の横に立つ。

 美冬は意図が読めずに顔をしかめた。

 秋人の手が美冬に届く寸前、その手は払いのけられる。


「何を呆けているの! こっちの怪我人を運べと言ったのよ!!」


 ついでに、後方の部下にも渇を入れた美冬は膝に手をつき立ち上がる。よろめく美冬に手を伸ばした秋人を一睨みで止まらせた。

 部下の一人が進み出て、詞を背負う。

 佐久田は呻き声を上げ、目を覆う包帯に滲む血が広がった。

 白い炎の道を進む。退路だと言っていたが、背丈の倍はある炎が立ちのぼる道は地獄へ続くようだ。弾の心配はないが、灼熱が体をあぶる。

 全力で進んでも、上からの飛んでくる爆薬は防げない。秋人についてきた隊員が異能で退かせるのも限界がある。後方から立ち退くのも難しいほど乱戦状態になっていた。

 死にもの狂いで野戦病院に転がり込む。多数の死傷者を乱暴に処置する軍医や衛生兵の怒号が飛んでいた。

 美冬はテントの影で詞の応急処置を済ませ、兵站病院には向かう車に無理矢理押し込んだ。まだ着いてこようとする秋人を振り返り、燃える瞳で怒鳴る。


「戻りなさい!」

「無茶をしないでください」


 動きを止めた秋人は悲壮な目を返した。

 荷台に許容以上の人を乗せて、車は動き出す。半分は死んでいるような状態だが、かろじて息をしている者が詰め込まれていた。


「無茶とか無理とか、ずっと前からしてるわよ。お前も一緒でしょうッ」


 表情を改めない秋人に美冬は舌打ちをした。

 一歩、秋人が踏み出す。白と黒が混濁した瞳の中で理性と本能が暴れていた。

 陽は傾きかけている。今日の戦はもうすぐ終わりを告げる。そのわずかな時間で命を落とす者を少しでも減らしてほしい。

 自分の想いがわからないのかと美冬は車体から身を乗り出して声を張り上げる。


「秋人、私を助けたりなんかしたら、殺してやるから覚悟なさい」


 悲痛そうに眉をひそめた秋人は外套を翻し、美冬に背を向けた。

 美冬はそれを一時だけ見送って、詞に向き直る。

 詞は荷台の囲いに背を預けた状態で、出血が著しい。骨が傷つくことも厭わず、きつく止血したが赤い染みは少しずつ包帯を染めていく。出血が続けば、輸血のない戦場で救うことは不可能だ。せめて、静江のいる兵站病院まで戻れば、救う手だてはある。

 美冬は祈るように、時間が過ぎるのを待った。

 その時、離れた場所でもわかる爆音が響いた。屋敷一つを壊すような勢いだ。

 爆風から詞を守り、後方を振り返った美冬は血の気が引いた。

 爆煙の影から、狙撃手の乗った車が駆けている。その銃口は白炎の死神に向けられていた。白炎の中、数多ある銃声のどれが秋人を撃ち抜いたのか。白い頭は後方に倒れ、歓声が上がる。歓声を上げた者はすぐに銃弾の嵐を受け、荷台から転がり落ちた。タイヤも撃ち抜かれ、漏れでた燃料に火が燃え移り、赤い炎を上げる。

 赤い炎だ。白い炎ではない。

 真っ白になった頭に、呻き声が響く。呆然と振り返った美冬は首をもたげる詞を目に映した。何度も見た、死にゆく姿だ。

 内地に留まった佐久田の悲痛な顔が脳裏をすぎる。家族を失う苦しみを美冬は身をもって知っていた。

 母のように生きたくとも生きれない人がいる。母が帰らぬ人になっても、信じていた友に裏切られたと思っても、どんなに絶望しても、死ぬことは選ばなかった。他人が始めたくだらない戦争で死ぬなんで間違っている。

 自分は何が何でも生き残ると決めていたのに、噴火した火山のように生じる感情を止められなかった。

 秋人は至近距離で爆発を受けていた。無事はおろか、四肢が残っているかさえ怪しい。こんなに離れた場所から駆けつけても間に合うはずがない。

 秋人が死んだかもしれない。助けたい。美冬の理性は働いているのに、衝動が止められない。今にも荷台を飛び出して駆けつけたい。でも、死んでいたら、もうどうしようもできない。美冬の神力は半分も残っていない。フィンが記していた秘術を試しても生き返らせることはできないだろう。 

 秋人が死ぬことも許せない。死ぬぐらいなら、殺してやると相反した感情がぶつかり合っていた。

 わがままで強欲な美冬は気付けば本能で動いていた。詞の腰に下がる短刀を取り、自分の掌に押し当てる。

 今からすることは死に繋がるだろう。そう直感しているのに、痛みと共に流れる血は止められない。

 美冬は滴る手を詞の口に押し当てた。虫の息の口に血を流し込み、自身の神力を流し込む。

 人の傷を移す禁術だ。


『移すには相手と繋がる必要があります。自分か相手の一部を共有するのです。手っ取り早く、深く繋がれるのは血ですね。そして、ただ願えばいい。この地で受け継がれてきた血が、移す方法を覚えています』


 美冬を鼓舞するようにフィンが耳元で囁いているようだ。まやかしの声を心で聞く美冬の腹に割かれるような痛みが走る。それでも止めずに続ければ、四肢が焼き焦げるような熱さを感じた。まだ行けると集中すると、ぶつりと頭の何処かで音がした気がした。目を開いているはずなのに、視界は真っ暗だ。

 

「美冬!」


 声が聞こえるのに、自分が何処にいるのかさえ危うかった。

 倒れる感覚を遠くのものとして受け取った美冬は、何も見えない瞼を閉じた。何も見えないはずの瞼の裏に白い炎が揺れている。さすがの秋人も怒るかしら、と心の中で笑った美冬は意識を混沌に落とした。

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