第5話

 目覚めると、ユウは岸辺に流されていた。見渡す限り木々が広がっていたが、先程までいた密林ほどではなかった。森程度といったところだろうか。

恐らくだが、崖から飛び降りた後、滝の激流に流されて運良くここに流れ着いたのだろう。


「やってみるもんだ。まったく、運がいいとしか言いようがないね」


 マリアからの返事を期待して言ったのだが、一向に返ってくる気配がなかった。ハーネスでお互いの身体を固定して下りたので、こうして自分が無事という事はマリアも無事なはずなのだが……。


 不審に思い、横を見るとマリアは微動だにせずうつ伏せで地面に寝そべっていた。

 ハーネスを外しながら慌てて駆け寄ったユウは、彼女の脈と呼吸を確認した。すると、微かに脈はあったが息をしていなかった。


「冗談だろ……」


 そういえば泳ぎが苦手だと崖から下りる前に言っていた気がする。川の中を流されている過程で肺に水が溜まってしまったのかもしれない。


 ユウはマリアのバトルドレスを脱がせると、心肺蘇生と人工呼吸を開始した。心臓を圧迫し、鼻をつまんで口から酸素を送る。


「カフッ、ゴホッ!」


 何度か繰り返していると、マリアは派手に咳き込みながら水を吐き出した。顔を横にし、吐いた水が再び気道に入らないよう配慮する。それから絞った布を纏わせた指を彼女の口内に突っ込み水分を拭い取る。水なのかよだれなのかわからないもので指がベトベトになったが、今はそんな事を気にしている場合ではない。


「うぅ……」

 やがて目を覚ましたマリアは虚ろな目をしながらも、こちらをしっかりと認識した。


「大丈夫か?」

「ぎぼちわるい……」

「だろうな。大量に水を飲んだみたいだ」


 意識もはっきりとし、自発呼吸も出来ている。可能であれば今すぐ医者に診せたいところだが、残念な事にここは異世界だ。都合よくそんな人がいるとは思えない。


「蘇生して早々で悪いけど、歩けるか? 最低限安全を確保出来る場所まで移動したい」


「むりぽ……おんぶ」

「しょうがないな……」


 以前読んだ本の中で女性の体重はりんご3個分といったような表現がなされていたが、現実はそんなわけもなく、見た目より軽いとはいえそれでも人一人分の重量がユウの背に重みとなってのしかかる。


 崖を下りる前に小銃や予備弾倉の類を捨てていたので、身軽になったと思っていたのにこれではプラマイゼロどころかプラスである。


「うー……ダルいよお……身体に力入らない……」


「そんな君を背負ってる俺の身にもなってくれ。せめて明るい話題でも提供してくれるとありがたいんだが」


「むりぽ……頭もまわんない」

「じゃあ眠って体力の回復に努めてくれ」

「そうする。おやすみ」


 それからすぐにマリアは眠ってしまった。すうすうと規則正しい寝息が首元にかかっているので、時期体調も回復するだろう。


 ユウは黙々と森の中を歩いた。その間彼は、少年兵時代を思い出していた。あの頃のユウはまだまだ兵士として未熟で、カスミと出会ったばかりの頃だった。


「カスミさん……俺はもう駄目です。俺を置いて逃げてください」


「バカもん。生きる事を諦めるな。まだ二人共こうして生きているんだ。生き延びる可能性はある」


 国家解体戦争時、国家側PMCとして参戦していたユウとカスミは、企業側の圧倒的な物量に為す術なく敗退した。


 見渡す限り死体の山の中、二人はピックアップ地点を目指して戦場からの脱出を図っていた。しかし、ユウはその過程で大怪我を負い、自力で脱出する事が困難となっていた。


 一方のカスミも無傷とは言えず、子供とはいえ人一人を背負って脱出する事は困難な状況だった。


「いいかユウ、この世界で唯一信じられるのは家族だ。自分が信じられなくても、家族の事だけは信じろ。そして、私はお前の家族だ。私は私の命に代えてもお前を脱出させる」


「……どうしてそこまで」


「そういえば話していなかったな……私には弟がいたんだ。歳の離れた弟でな、いつも私の尻を追いかけているようなやつだった。私は比較的恵まれた家庭に生まれた。父も母も健在で、戦わずとも食べる事が出来たんだ。幸せだったよ。何も知らなかったとも言えるがな」


 そこまで話してカスミはギリっと奥歯を噛んだ。


「だがそんなある日、私達姉弟は身代金目的の人質に取られたんだ。父に私達が人質に取られているという事を信じさせるため、連中は私か弟のどちらかを殺すと言った。今でも後悔しているよ。殺すなら私を殺せと言えばよかった、とな。私は姐だ。弟よりも長く生きた。だがな、恐怖に身が竦んだ私は何も言えなかった」


 カスミは一度言葉を区切ると、「なのに」と続ける。


「弟は姉ちゃんを殺すなと言ったんだ。すると連中は迷う事なく引き金を引いた。もう少しやり取りがあってもいいと思わんか? だがな、現実なんてそんなものさ。結局、私はその後すぐ父が雇ったPMCに救出された。本来生きているべきは弟のはずだったのにな」


「……カスミさんにそんな過去があったなんて知りませんでした」


「こんな時でもないと言わんからな。ここまで話せばわかったろう? お前は私の弟に似ているんだよ」


「そんなに似てるんですか?」


「瓜二つと言ってもいい。あいつが生きていて、成長していればこんな風になったんだろうなという感じだ。お前に出会った時、私は思ったよ。神がやり直すチャンスをくれたんだとな。まったく、とんだ笑い話だ。とっくの昔に神なんて存在には縋っていなかったのに」


「でも、俺はカスミさんに出会って救われましたよ。こんな俺でも他人に愛してもらえるんだって思えましたから」


 カスミはふっと笑うとこう言った。


「そう言ってくれると私も救われるよ。なあユウ、もし二人共生き延びたら、今のPMCを抜けて二人で新しく会社を設立しないか? 私とお前、二人三脚でやりたい」


「いいですねそれ。正直今の隊長はあまり好きじゃないので」


「私もだ。あの髭面を何度ぶん殴ってやろうと思った事か」


「はははっ……俺がカスミさんくらい強くなれば代わりにぶん殴ってやりますよ」


「ふふっ、私が鍛えてるんだ、お前ならなれるさ」


「じゃあまずは生き延びなきゃですね」

「そうだな」


 それから二人は戦場にそぐわない笑みを浮かべたまま駆けていった。視線の先にはピックアップ用のヘリが映っていた。


「……懐かしいな。あの時とは状況が逆だけど」


 結局、あの戦場で生き残ったのは二人だけだった。だが生き延びた事に変わりはない。ジンクスとするには十分過ぎるだろう。それと似た状況にある現状、ひょっとするとあの時同様無事生き延びられるかもしれない。

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