*


真帆の三十回目の誕生日が近づいてきた。秋から年明けまでは充生との年齢差が六になる。ほんの三月ほどだが、そのあいだはなんとなく嬉しい。

「来週の土曜日、真帆ちゃんなんの予定もないよね」

 ミニチュアの町(最近は湖水地方の情景に凝っている)をつくりながら、充生が訊ねた。いつものようにソファーで康生の本(「地底世界ペルシダー」byE・R・バロウズ)を読んでいた真帆は、ページをめくる手を止め彼を見た。

「別に」と彼女は言った。

「ないけど」

「うん」

「どうして?」 

 誕生日のプレゼント、と充生は言った。

「プレゼント?」

「うん」

 真帆は本を開いたままソファーの上に伏せ、絨毯に膝立ちするとそのまま充生ににじり寄った。両手を床に着き顔を寄せる。

「なに? なにをくれるの?」

「物じゃなくて」

「うん」

「式――」

「シキ?」

 充生は頷くだけで、なにも言わない。

「シキってなに?」

「ん?」

 真帆は充生の首筋を舌の先でつついた。ひゃっ、と声を上げ充生が首を竦める。

「言いなさい。またやるわよ」

 充生は肌がひどく敏感にできている。こんな人間たちが戦争を起こしたら、羽箒はねぼうきが格好の武器になるかもしれない。

「別に――」と彼は少し身を退き加減にしながら言った。次の攻撃に身構えている。

「隠すつもりはないよ」

「じゃあ、教えて」

 結婚式、と彼は言った。

 真帆は一瞬虚を衝かれ、息を止めた。

「結婚――?」

 うん、と充生が俯いたまま頷いた。

「ほら、今度の誕生日は十年に一回の大きな区切りでしょ? だから、大きなプレゼントがしたかったんだ」

「ほんとに?」

「本当だよ。ほんとの結婚式」

 胸に込み上げてくるものはあるが、まだ半信半疑だった。

「でも――え? 土曜日?」

「そう」

「すぐじゃない。どこでやるの?」

「真帆ちゃんの教会」

 それがどこを意味しているのかすぐには分からなかった。

 教会――わたしの?

「もしかして――」と彼女は言った。

「それって、わたしが子供の頃通っていた教会のこと?」

「そうだよ」

「なんで知ってるの?」

「父さんに聞いたんだ」

 ああ――そうか。そういうことか。

 康生はどんな些細なことでも息子に話して聞かせていた。彼の体験は息子に語ることで完結する。好きな女性が現れたら、まっさきに息子に知らせるのが康生だった。当然、結婚の話も彼に伝えていたはずだ。

「あの夜、父さん張り切ってたんだ。地図買って場所を調べて。ぼくも出席するんだから車借りたほうがいいかなとか、真帆ちゃんのドレスはどこに行けば買えるのかなとか」

 ドレス――そんなことまで。

「ありがとう」と彼女は言った。

「ふたり分の思いがこもったプレゼントなのね」

「ああ――そういうことになるね」

 そこで彼女は急に現実に戻り、充生に訊ねた。

「でも、なんの準備もしていないわ。ドレスだって」

 大丈夫、と充生は言った。

「全部終わってる。あとは行くだけ。ドレスはオーナーさんが用意してくれた。新品じゃないけど、まだ誰も着ていないドレスがあるんだ。サイズはもう調整済みだって」

「そんなの? ぜんぜん知らなかった。オーナーなにも言ってなかったし」

「驚かそうと思ってさ。ほら、誕生日のプレセントって『空けてびっくり』みたいのが嬉しいじゃない」

 そうね、と真帆は言った。

「ほんとにびっくりした。なんかじわじわと嬉しくなってきた。ああ、なんかすごく嬉しいかもしれない」

 彼女は自分の胸に手を当てた。その下で熱を帯びた興奮が渦巻いているのがわかる。

「当日、真帆ちゃんはお父さんの車で教会に行って。ぼくは電車で行くから」

 彼女は驚いて充生の顔を見た。充生は大したことないという顔をしているが、緊張が仕草に現れていた。顎を突き出してはまた戻すということを繰り返してる。

「電車って――一時間近く掛かるのよ」

「平気だよ」

「でも――」 

「だって、新郎と新婦は別々に教会にいくもんじゃない」

 ああ、と彼女は思った。

「充生――」

「うん?」

「そのために、電車に乗る練習したのね」

 ええ? と彼は誤魔化すような声を出した。

「そうなのね?」

 違うよ、と彼は言った。

「電車通勤がしたかったんだ。それだけ」

 彼の顔が赤くなった。それを見て真帆はもう追求しないことにした。

「分かった」と彼女は言った。

「でも、その日は一緒に行かせて」

 懇願するように語尾を上げて、彼の目を見る。

「なんで?」

「そのほうが楽しいから。それもプレゼントよ。充生と一緒に初めての電車旅行」

「それでいいの?」

「それがいいの」

 うん、と彼は言った。

「分かった。じゃあ、そうしよう」

 

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