充生は彼女を心配している。痛みだけではなく、ときおり生理とは別に不正出血もある。子供ができないことも心配の理由のひとつだった。結婚した直後から避妊はしていない。けれど、なぜか妊娠しない。まだ充生自身が子供だから、と彼女は思っている。時期が来れば、きっと自然に授かるはず。なんと言っても充生はまだ二十二なのだから。

 充生は納得していない。子供を望むというよりも、彼女の身体を心底心配している。病院に行ってみよう、と彼は言う。

 病院は嫌いだ。できるだけ近づきたくない。足を踏み入れるだけで気が滅入ってしまう。のらりくらりと充生の説得を交わしながら、ここまで来た。でも、このお腹の痛みは――


 電車が減速を始めた。まだそれでも離されているが、ほどなくまた速度が逆転するはずだ。気を緩めずに回転をキープする。

 また痛み。今回はいままでと違うような気がする。でもまあ、こんなに無理して身体を動かしているのだから、いつもと違うことが起きてもおかしくないはず。

 彼女は深く考えることをやめて、意識を充生だけに向けることにした。いまのところ心配事は彼だけで充分。


 ようやく電車が近付いてきた。もう、次の駅はすぐそこだ。彼女は腰をサドルから上げた。息が荒い。心臓が胸の中で跳ね回っている。コビトたちが肋骨の裏でスカッシュでもやっているみたい。

 最後尾の車両を追い越し、さらに前へと進む。四両目に追いついたところで充生をみつけた。彼は真帆を探して後ろの車両に移動していた。「まほ」と口が動くのが見えた。

「充生」と彼女も返す。彼は半泣き顔でドアの硝子に額を押し付けている。

 先頭がホームに入った。減速は続き、ほとんど歩くようなスピードになっている。彼女は脚の力を抜き、惰性で自転車を走らせた。

 ハンドルから片手を離し、OKサインをつくる。首を傾げ、それが疑問形であることを示す。

 充生が頷いた。遠慮がちなOKサインを見せる。泣き笑いの表情。

 よかった――

大きな不安発作には至らなかったらしい。長く息を吐き肩の力を抜く。真帆はカットソーの胸を指で摘んで上下させ、服の下にこもった熱気を逃がした。じっとり汗をかいている。

 彼女は充生に手を振り、改札に先回りすべく自転車の速度をもう一度上げた。


「大丈夫?」

 充生の顔色はかなり悪かった。

「うん、大丈夫だよ。真帆ちゃんは?」

「わたし?」

「うん、だって全開で自転車漕いでたでしょ? 苦しくなかった?」

 彼女は吹き出した。声を立てて笑い、それから「ありがとう」と彼に言う。

「あなたのほうが心配してくれてたのね。でも全然平気よ。これでも足は速かったほうなんだから。高校の体育祭でハードルの選手に選ばれたこともあるのよ」

「うん、知ってる」

「少し太っちゃったから、いい運動になったわ」

「そう?」

「そうよ」

「ならいいけど」

「でも、これができるのは一日一回ね。足がぱんぱん」

「家に帰ったらマッサージしてあげるよ」

「やった」

 帰りは充生が歩いて自転車を引き、荷台に真帆が横乗りした。

「あんなに真剣に真帆ちゃんのこと見たこと、いままでなかったかもしれない」

「そうね。すごい顔で見てたもん」

「でも、そのお陰で乗り切れた」

「わたしはお守りみたいなものね」

「うん」

 そして、ふと思い出したように充生が言い添えた。

「真帆ちゃんのその髪型、すごく可愛いね」

「そう?」

「うん」

「ありがとう」


 それからしばらくして、充生は隣町の職場に電車で通うようになった。

 雨の日はほんとに楽だよ、と彼は言った。吊革広告を読むのも楽しいし、乗っているほかのひとたちを見るのもおもしろい。こんなにたくさんのひとを見るのは、すごく久し振りのような気もする。とにかく、いろんな物を見ているうちに、すぐに到着だよ。どってことないね。そう言って彼は笑った。

 

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