充生は自動改札機に切符を入れ、ゆっくりとした足取りでホームに向かった。階段の手前で振り返り真帆を見る。彼女は笑顔を見せ、顔の横で小さく手を振った。

 だいじょうぶよ。口の形だけでそう言う。

 充生は頷き、ホームへの階段を上った。それを見届けた彼女はすぐに駅舎を出た。ロータリーに停めていた自転車にまたがりペダルを踏み込む。彼女は駅の裏に回り、線路と並行して走る市道に自転車を停めた。ホームに立つ充生が見える。彼も真帆に気付き、遠慮がちに手を振った。彼女はわざとおちゃらけて投げキッスを送った。らしくない振る舞いだったが、なんとか充生をリラックスさせたかった。彼は慌ててまわりを見回す。ほかの乗客が真帆を見ていないか気にしている。

 そうそう、それでいいの。真帆は両手を挙げて大きく振ってみせた。彼がこちらに気を取られているあいだは、意識は内には向かない。

 やがて電車がホームに滑り込んできた。真帆は「来たよ」というふうに、電車を指さし、その指を今度は自分に向け、さらに進行方向を指し示した。彼が頷くのを確かめてから、ゆっくりと走り始める。充生がこちらを見ているのが分かる。真帆は何度か振り返って、彼に目でシグナルを送った。やがて看板が邪魔して充生が見えなくなると、彼女は一気に自転車を加速させた。立ち漕ぎでぐいぐいとスピードを上げていく。道は隣の駅までほぼ線路と平行して走っている。

 しばらく行くと、背後から音と振動が近づいてくるのがわかった。充生は二両目の一番めのドアにいる。真帆は腰をサドルに下ろし、背中を丸めて、身体の面積を小さくした。このほうがさらに速度を上げられそうな気がする。動きやすいようにカプリパンツに長袖のカットソーという格好だった。髪をゴムでまとめて後ろになびかせている。

 電車が真帆に追いついた。一両目がゆっくりと彼女を追い越していく。二両目――

 充生がいた。

 彼はドアに額を押し付けるようにして真帆を見ていた。ふたりの視線が繋がった。

「充生!」と彼女は叫んだ。

 彼も何か言っているがまったく聞こえない。彼女はさらに脚に力を込めた。

 前方と充生を交互に見ながら、必死に電車を追いかける。充生の表情が歪んでいる。発作が起きているのだろうか。彼は一瞬たりとも目を逸らさない。命綱にしがみつくように、彼は繋がれた視線にしがみついている。

 徐々に真帆は引き離され始めた。四両目が彼女を追い越していく。充生の姿を確かめることはできない。もう少しで電車は減速を始める。せめて、充生からわたしの姿が見えていれば。そう思い、強ばった脚を精一杯回す。

 ふいに下腹に鈍い痛みが走った。

 覚えはある。この痛み。馴染みの痛みと言ってもいい。なにもいま出なくても。

 彼女は痛みをこらえながら、ペダルを回し続けた。



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