第3話 変わらぬ想いに迫る影
アルスガルドには魔法が存在する
万人が『魔力』という、魔法を行使するためのエネルギーを操り、生み出す力をもっているのだ
問題は『どの魔法の才能か』『どれだけの魔力を持ち、放てるか』『どの程度魔力を操れるのか』という3点に尽きる
後者2つは努力と鍛練により育むことが出来る
一般市民の中でも軽い魔法を日常生活で使うことは珍しくないのだ
だが、これが戦闘レベルになると話は別であり、元よりどれだけの才能があるのか、という問題になる
鍛練と才能の2つを備えれば、それだけ強く魔力を操る事が出来るようになるのだ
では…どんな魔法を使えるか?
万人に使える魔法は無系統と呼ばれ、練習すれば誰もが使える魔法である
消費する魔力は極小であり、日常生活での利便性が高く、更には旅人や冒険者、商人などの間では旅のさなかに使えればその旅の難易度が半分以上は下がるとされる必須のスキルだ
市民の間では、灯りを灯す『
油による灯りや魔力と軽い魔法を付与された魔石で灯りを灯す方法もあるが、こちらは使用時に魔力を使わなくても良い代わりに魔力を充填する必要もある
魔力の充填はコツがいる作業だ
ちなみに下っ端魔法使いはこの魔石への魔力充填で小遣いを稼いだりしている
自分自身で灯りを灯せればそれに越したことはないのだ
そして、これが戦闘面でいくと『身体強化』『障壁』『
これらは日常生活に不要であるが、護身として学ぶ者も少なからず居る
消費する魔力は多くはないとは言え、日常生活で使う類の魔法に比べれば数倍にも及ぶ魔力が必要であり、そこから当てられるか、発動する速度を上げられるか、威力を高められるか等…使い熟すには修練が必要なのだ
これは主に戦闘職を生業とする者の中でも魔法使いに属する者達が主に使用する
しかし、これらは初歩の初歩…基本の魔法である
さらに上の魔法はどうすれば使えるのか?
答は簡単
完全なる当人の資質である
必ず1人1つしか持っておらず、資質の無い魔法は絶対に使えないものであり、逆に資質のある魔法は多く伸び代がある
炎系統の魔法に資質があれば炎を操る魔法使いに
水系統の魔法に資質があれば水を操る魔法使いに
この資質は基本と言われる自然型に
『炎』『水』『氷』『風』『雷』『地』
そして極めて希少な自然系に
『光』『闇』
万人にに1人と言われる超特殊系に
『治癒』
といった具合だ
だが、これらのさらに上の魔法
他の人間には存在しないその者だけの専用といえる特異系というものが存在している
他に類を見ない特徴を持つ魔法であり、この世にその魔法を持っていたものは存在しない、まさに所持者だけの魔法…
それを持つものは通称『オリジンホルダー』と呼ばれる唯一無二の魔法使いとされ、その希少さは上記の希少属性魔法などの比ではない
どのような魔法であれ、持っていれば一躍の活躍を見込め、国から声がかかるような天より与えられる特急の才能なのだ
現在確認されている限りでも……
「おーい、読み終わったか、ペトラさんや?」
「む?あぁ、すまん。読み入っていた…まぁ、だいたいカナタの教え通りじゃな。何か変わった知識があればと思ったが…」
「ま、そう簡単に新しい発見なんてあるわけ無いよな。ほら、あっちでマウラとシオンが屋台に並んでるから」
中古本の露天で立ち読みをするペトラに声をかけたカナタだが、その本は魔法の解説書のようだ
手にした本を陳列に戻すペトラは完全にただの冷やかしとなっていたのだが、その強さを秘めた眼を細めて読み耽る彼女の姿に見惚れていた店主は満面の笑みで「またのご来店をーっ」と声を張っている
「のぅ、カナタよ。オリジンホルダーとはなんだ?…やはり、その者1人にしか使えないただ1つの魔法…と言うものか?なんとも…書いてある本によって表現が違っておってな…」
「おう。系統でも分けられず、その使い手が居なければこの世に存在しない魔法だな。レア度は最高、どんなに地味な魔法でも、持ってること自体が凄ぇ!って感じ。有名どころでいくと…」
勇者ジンドー一行の聖女が持つ魔法
治癒と守護を司る大魔法
『
同じくその魔法使いである魔女が持つ魔法
自然系6系統の全てを操れる大魔法
『
戦闘国家バーレルナの国軍元帥が持つ魔法
自身を巨大な竜へと変貌させる大魔法
『
レルジェ教国の頂点、教皇の下に当たる枢機卿の1
人が持つ魔法
人ならざる者の一対の巨腕を生み出し、操る大魔法
『
「そして…」
いい淀むカナタの視線の先にある、銅像にペトラの視線が追うように合流し
「黒鉄の勇者ジンドーの持つ、あらゆる金属を錬成し、様々な力を与える大魔法『
「ま、有名どころはな?それにお前らこそ…」
「くくっ…だから気になったのだ。
「ま、その辺は諸々教えるからあんま先走って色々試すなよ?」
「分かっておる。…手ずから教えてくれるのだろう、カナタ先生?」
「う…せ、先生はよせって」
歩くカナタとペトラはそのままシオンとマウラが並んでいた大人気30cm巨大串焼き屋の屋台を目指して歩き出す
遠目で見ただけで長蛇の列だ…カナタは並ぶのが苦手なのだがこの巨大お肉が連なる串焼きをマウラが見逃す筈もなかった…目を輝かせて列に飛び込んでいったのにシオンも乗り気で着いて行ったのである
本を読み耽っていたペトラは気が付かず…
そんな2人が並んで屋台へ向かっていく
その肩はぴったりと触れあうほどに、ペトラからカナタへと近寄っていき、腕は触れ合い歩く揺れだけで体が当たるような距離…
それはまるで、彼女のカナタへの心の距離を表しているかのようであった
「むっ、いい空気ですね…羨ましいです」
「……シオンはもうやった……次は私……邪魔したら怒る…」
そんな2人を屋台から見つめるシオンとマウラは、むっ、とその良さげな雰囲気に隠すこと無く羨みを見せる
シオンは先程、勇者を名乗る山賊風のおバカに絡まれた後でちゃんと腕を組んで暫く歩き回っていたのだ
羨ましがるシオンの言葉に突っ込むように彼女の尻をマウラのネコ尻尾がぺしり、とはたく
息巻くマウラの表情は変わっていないように見えるが、その猫耳は期待を予感してか、ぴこぴこと可愛らしく動いているのであった
ーーー
時間は夕方
あれから王国のメインストリートを端から端まで堪能したカナタ達4人は予約を取ってあった宿へと向かう事になった
その宿も、普通の旅人や冒険者の泊まるような安宿ではない
少し洒落た玄関に、過度とは思えない程度の眼を引く装飾…造りは頑丈かつ上品な赤褐色の煉瓦を綺麗に積み上げて接着したもので、扉も鋼鉄の枠に厚めの木製を組み合わせた物で、重厚感が安心感を与えてくれる
客室の窓ガラスには鉄芯が十字に埋め込まれてあり、割れにくく加工され、敷地の外縁は綺麗な植木や草花で程よく装飾をされたお洒落な造り
特徴的な二本の太い煙突からはもうもうと、片方からは黒い煙が、片方からは真っ白な湯気のような煙がそれぞれ立ち昇っているのが印象深い
宿の敷地四方には監視兼、何かあった時の為の警邏を常駐させており安全面も充実
そう、明らかにグレードの高い高級宿なのである
「まぁ、たまの贅沢だからな。折角だし、良いところを押さえておいた…ちと値は張ったけどな。ここすっごいぞ?」
「おぉ…素敵です。分かっていますねカナタ…やはり、旅行は贅沢なくらいが一番楽しめますからね」
「…変な匂いもしない……良いところ…あとは…ご飯が美味しければばっちり…っ!」
「うむ、これでおかしな宿でも取っていたら張り倒しておるわ。これはかなり期待できそうだのぅ…それに、あの煙突…成る程」
これには3人娘もご満悦である
早速宿に入り、落ち着いた雰囲気のカウンターへと進む4人
ロビーにいる客も身だしなみから、ある程度上の社会層の者しか見当たらず、若者のみのカナタ達を少し珍しげに見ていた
この年齢でこんな宿を使えるような身入りならば、ただの少年では無いのは明らかなのだ。少しばかり視線も多く向けられるというものだろう
だが、フロントの受付を任された若い女性もこの宿の最初の対応を任される為に選ばれたプロである
容姿による差別などするはずもなく、不躾な視線など寄越さず穏やかな笑顔で対応
「いらっしゃいませ、お客様。ご予約ですか?」
「ああ、カナタ・アースで予約した4人だ。男1部屋と女3人で1部屋を……」
若い男だが、受け答えはしっかりしている
不相応さも見せず、物珍しさの視線に気づいていながら動じる様子も無い…受付の女性もそれに少しばかり評価を内心上げ………
がしっ
なんの問題もなく、予定通り男女で1部屋ずつ取ろうとしたカナタの肩に3つの手が食い込んだ
えっ、と振り返るカナタの口に突然マウラの串焼きを持った手が突き出され、屋台自慢の
タレが塗りつけられたその逸品が喉まで容赦なく突っ込まれ彼の言葉を一時的に奪い去る
「ふごっ…!?」
慌てるカナタの手にした財布から部屋代と予約表を素早く抜き取りカウンターに差し出すシオンが、取り戻そうとする彼の手を、まるで恋人が指を絡めるようにぎゅっ、と握って妨害
そして、そんな2人がカナタを後ろに下がらせるとカウンターの前に美しい銀髪を靡かせながら人差し指をぴっ、と立てて受付に見せるペトラは一言…
「5泊で、4人1部屋だ。……よいな?」
ぶんっぶんっ
なにも言わずに何度も頷く受付の女性
この時ばかりはクレーマーすら笑顔で追い返す彼女も笑顔がひきつって見えたのは気のせいではないだろう
世には逆のパターンなら多くあるだろう
男側が女性を自分の部屋に…そんな話は当たり前のようにあるのだが、今目の前で起きたのはなんとも珍しい逆のパターン
それも3人からだ
有無を言わせぬペトラの言葉と視線すら合わせずにコンビネーションを決める3人の姿にロビーの空気が一瞬止まり、談話していた者達も言葉を止めてカウンターを見つめていた
もしかして…3輪の花を抱えたけしからん男、と思っていた男は、実は花に絡め取られた憐れな獲物だったのでは…と認識を改めているところだ
カナタの両脇を抱えたペトラとマウラに、部屋の鍵を受け取って、その番号を見ながら「部屋は2階ですね」と前を歩くシオン
「待てお前ら!家でも寝室は別だろ!…っていうか力
ロビーの一同は全員が思った…
『凄いものを見た』、と
皆が夜の小話に一花持ち帰る事となったのである
ーーー
「おお…2階とはいえ、町がよく見えます。ほら、カナタも見てください」
「…分かった。もうお前らにさっき行われた奇行については聞かねぇ。…だって、答え返ってこないし…」
項垂れるカナタは、夕日が王都を照らす景色に見入る3人娘に諦めたようにそう溢す
幸いと言うべきか、広い部屋に注文通りベッドは4つあり、リビングスペースを四方から囲む形で配置されたそれは、ベッド同士の距離もある
これが真横やら大型ベッド1つで寝ましょう、なんてことになっていたら流石に地面やソファで寝ることも考えたカナタであったが広い客室と余裕とゆとりのある部屋取りを見れば少し安心できた
まぁ彼女達がいいならいいか…?と思うことにしたカナタは一息ついて荷物の中から替えの着替えやらを取り出すと気分一転、機嫌良さそうに用意を始めていく
「じゃ、俺は夕飯までに風呂行ってくるな。この宿、大型の入浴施設が付いてるから取ったんだ。1度来てみたくてなぁ」
早速とばかりに日本人ならではの木製風呂桶(自家製)に色々と詰め込んで浴場へと向かうカナタ
ちなみに自分の家にも風呂は造ってあるのだが、あの大きな湯船の「温泉」を知っているカナタにとって、ここの大型入浴施設はあまりにも魅力的だったのだ
そんなカナタの背中を窓の向こうの景色に向いていた筈の3つの視線がじっ、と追いかけていた
ーーー
男用の浴場内は広く、日本の温泉のように岩で囲まれていたりはしていないが、きれいに敷き詰めたタイルに装飾が、銭湯とは違う清潔感と高級感を醸し出していた
流石に地下から温泉を汲み上げている訳ではなく、水を温めて循環させているだけだが、それでもカナタは満足していた
「はぁぁぁ……これ、これだよなぁ。これがなきゃ日本人は死ぬに決まってる…」
その大きな湯船で筋力が死に絶えたのではないかと思わんばかりにぐったりと浸かるカナタも、やはり風呂は大好きであり、今の自宅にも風呂は作ってあるのだが、やはり浴場で入るお湯は格別なのだ
この世界の人達には長い間お湯に入る習慣がなく、日本人のように長湯できずに直ぐに出てしまう
なので今、湯船にはカナタだけとなっていた
広い湯船をただ1人で広々と使う…この贅沢は日本人でなければ分からないだろう
その最中…女用の浴場とを仕切る高い壁の上、換気のために開けられた隙間から聞き覚えのある声が僅かに聞こえてくる
『やはり、家のお風呂とは違いますね…』
『…広い…泳いだらダメ…だっけ…?』
『あー、カナタはそんなことを言っておったな。まぁ、見ていないなら良いのではないか?』
どうやら彼女達も浴場に来ているらしく…実際はカナタを追いかけて来たのだが…偶然にも聞こえる会話に、最初はなんの気も無かったカナタ
しかし、そこから先…カナタは少し気になる声を聞くこととなる
ーーー
【side女湯】
泳ごうとするマウラを見送るペトラは体を流すべく湯を流せる平たいバケツのようや桶を手に取った
彼女達は、体にタオルを当てて浴場に入ってきていたのだが…その裸体はどれも一瞬で男の理性を消し去ってあまりある物だ
女性から見ても羨望やらの視線が一身に突き刺さること間違い無しの3人だが、今はそんな事は気にしなくても良さそうだ
現在、女湯はあまり人がおらず、おそらく人が来るのは日が暮れてからなのだろう
3人だけの広い湯船…そう考えて少しワクワクするペトラだが、いざ体を流して湯船に入ろうとした時、湯煙に隠れていたもう1人の女性の姿が目に入る
3人娘が湯船に入ってきたことで向こうもこちらに気づいた様子で、立ち上がり近づいてくるその姿は…
美しい金髪を綺麗にタオルに収めて頭に巻いた美女の姿だった
重たげながら重力に負けない圧倒的なボリュームの胸に細く括れたウエスト…女性的な曲線をこれでもかと描いた、これぞ「豊満」と呼べるボディラインの美女…その声が聞こえて来た瞬間に、ペトラもシオンも「あっ」と声を上げそうになった
「あら、珍しいですわね。お若いのに湯船に浸かりに来るなんて。ふふっ」
彼女の名はラウラ・クリューセル
世界に名を轟かせる世界で最も有名な名前の女性の1人…勇者ジンドーの一行が誇る最高のヒーラーにして聖女の頂に立つ者
その彼女が、一糸纏わぬ裸体で湯船に浸かっていたのである
「お、驚いた…っ…そなた…まさかあの聖女ラウラか!勇者と旅をしたという…っとてつもない有名人ではないか!」
「…本当です。な、何故こんな街の宿で浴場に居るんでしょうか…?貴女ほどの方だと、王宮や自身のお屋敷でお過ごしなのでは無いのですか?」
勇者一行の顔はジンドーを除いて全て割れている
各国を訪れる際は王族以上の歓迎がされ、決して失礼の無いように丁重に扱われる
ラウラはそれに加えて大貴族クリューセル家の長女であり、挙句の果てに世界に根を下ろす聖女教会が誇る最高位の聖女…大聖女の名を己が物にする女性
そんな彼女が魔神討伐を成した一員とあらば…まさしく、世界で一番のスーパースターのようなものなのだ
それが、高級宿とはいえ街中にいるなどとんでもないサプライズだ
この宿を囲むように人だかりが出来て握手会が始まっても可笑しくないようなことである
「ふふっ、ここのお風呂が好きなんですの。あまり王宮にいると堅苦しくて、肩が凝ってしまいますもの。それに…ここのマスターとは、昔からの知り合いでして、こうしてお忍びでお邪魔させてもらっていますのよ?」
いや、肩が凝るのはその立派と言う言葉でも足りないお胸のせいでは…
と珍しくシオン、ペトラの視線が物語る
実はスタイルが育っている自信があったシオンも彼女の体を見ると「…まだ、私は成長期です。成人したばかりですし…」とちょっと悔しそう…
彼女の体は奔放に動けるように鍛えられた別の美しさがあるのだが…ラウラの美しさは完全に女性としての柔らかさやその他諸々が詰まった物で…その点に関しての敗北を感じ取る
そんな中、奔放なマウラはととっ、とラウラに近づき、思いっきり…その胸元に抱き、顔を胸にがっつり埋めはじめ
「…おぉー………沈みそう…なのに押し返される……」
「あら、あらあら、ふふっ。可愛い獣人さんですわね」
楽しそうな声をあげて飛び込んできたマウラを逆にぎゅっ、と抱き締めてしまうラウラに、伝説の勇者一行の聖女の気さくな一面を垣間見たシオンとペトラも少し緊張が落ち着いてくる
「実際に顔を逢わせたのは初めてですが…予想を超える美人ですね。男性は放って置かないのでは?」
「おお、確かに…聖女ラウラの浮いた話はまだ聞いたことがないのぅ。で?ここだけの話どうなのだ…?」
ちょっと興が乗ってきた2人は世界的英雄に女子会の勢いで話をかける
彼女も19歳とうら若き乙女だ、何かしらの浮いた話の1つでも有るのではないか?と気になってしまうのも仕方のないこと
ラウラも少し楽しげで
「あら、そんなことありませんわ。実際…今勇者様から熱いアプローチを浮けてますのよ?」
と答えた
その一見楽しげな笑みに、一瞬の影が射したのに気づく3人はその言葉が額面通りの物ではないことなどすぐに分かってしまう
そもそも…勇者は不明のままなのだ
「……その勇者…本物……?…ラウラさんなら…分かるよね…。……お昼に…偽物の勇者見たから……もしかしたら…」
「いえ、お恥ずかしいですが…私もジンドーの顔を見たことはありませんの。召還されたのがまだ12歳の少年だったと…そう聞いただけですわ。…あら、確かこれは極秘だったかしら…?」
「ですが…そのアプローチを受けると言うのですか?その…言いにくいですが、本物の勇者では無いように思えますが…」
「分かっていますわ。ですが…口八丁があればある程度は成りすませてしまいますもの。私達も手を尽くして彼を探していますが…その影すら見えませんわ。折角魔神を討ち倒しましたけれど…少し、不完全燃焼ですわね…」
「そんな…で、ですがっ、流石にそのまま受け入れる…なんてことはありませんよね…?それではあまりにも…っ!」
「あら、心配してくださるのね。ふふっ、大丈夫ですわ!この手の輩は貴族にはよく居ますのよ?…ですけれど、その男の勇者ジンドーを否定する材料もまた、無いのも事実…ジンドーは12歳でしたが、これは厳しく緘口令を出されていますから使えませんし……」
苦笑混じりに話す聖女ラウラ
その言葉端には…勇者を『彼』と言ったときの彼女は聖女でも貴族でもなく…淡い想いを持つ女性の顔をしていたのに、3人は気が付いた
顔も知らない男の話…その筈なのに、ここまで顕著に感情が露わになる…並々ならぬ思慕の念があるのは目に見えていた
「彼とはまた、話をしたかったのですけれど…それもまだ叶いませんわね…。感謝も、謝罪も…この心も…まだ何も伝えられてない…。彼は無事なのか…穏やかな時間を得られたのか…今何をしてるのか…それが気になって、気になって…仕方がありませんの…」
きっと…魔神討伐の旅の最中からその想いを胸に抱いて来たのだろう
顔すら知らない彼に…彼女はまだ恋をしているのだろう、と
「……もうのぼせてしまいますわね。お先に上がらせていただきますわ。ふふっ、話せて楽しかったですわよ?」
そういって今までの空気を消し、『聖女』ラウラは浴場から姿を消していく
その後ろ姿を眺める3人は少し、考えるような表情で見送るのであった
「ラウラ…ラウラ、か。あのお節介のヒーラー…今一何考えてんのか分からなかったんだけどなぁ…」
1人ごちるカナタ
一部始終を耳にしたカナタが思い出すのは旅の最中の彼女の姿
出会った時、まだ12歳のカナタと14歳のラウラ
歳が一番近い彼女は今思えば、もしかすると…姉のように親身に接そうとしてくれていたのだろうか
旅の最中…あまりにも余裕がなく、追い詰められ、疑心暗鬼に陥り、全てが敵に見えた
近寄る者は尽く、その腹にドス黒い悪意を持ち、自分を不幸にして悦に入る輩ばかりがハエのように自分の周囲に纏わり付いている…そのようにしか感じていなかった
あの聖女が何か自分に言葉をかけていたのは覚えているが…殆ど聞いていなかったような気さえする
その度に、思ったものだ…「…なんで、まだ着いてくるんだ…?」…と
ーー何の余裕もない俺は…それを気づかずに放っていただけなのだろうか…まさか、本当に…この世界に自分の味方は居たのだろうか…?
シオン、マウラ、ペトラ…彼女達と出会って、自分は人としての心を取り戻した
旅の最中…そんな事は考える余裕も余地も無く、只ひたすらに前に進む事だけを見ていたが、その余裕がある心で、精神で…そして、旅から時間を経て成長した精神で考えれば…これを放おっておける筈は無かった
3人娘が黙ってラウラを見送る中、カナタも静かに思考に耽るのであった
ーーー
【side …】
「どうだ?ラウラは僕の誘いを受けそうかな?」
とある貴族の邸宅…その屋敷の主である27歳と言う年齢に達する男は家令の男に上機嫌で尋ねた
豪奢な机を前に装飾された椅子に座り、脚を組んで窓の外をニヤニヤと妖しい笑みで見ながら手にしたワイングラスを揺らすその男…
まだ若いが、この男は貴族の当主の座に着く男である
とは言え、男の貴族家は良くて中堅が良いところ…とてもではないが、権威や権力とは遠く、本物の上位貴族や大貴族には逆立ちしても家格がで及ばない…それが男のコンプレックスでもあった
当主としてはまだ若いが、この男も一端の貴族の長であり、そして自分の台でこの家を誰も無視の出来ない大貴族にしてやろうと画策する野心家でもある…それは、この男が珍しい訳ではなかった
貴族とは概ねそのような生き物だ
自身の立場を、力を強めて存在意義を見出し、他者より1つ抜きん出て存在になりたい…その為に様々な手段を講じる
商売にや販路に精を出し、時に兵力を高め、王国の統治に価値を示す…方法は多様、だがそのどれもが貴族としての格や価値を底上げするものだ
そしてその野心と欲望は今…1人の女性に向けられていた
ラウラ・クリューセル
救世の大聖女
彼女を我が物に出来れば自分の発言力はラヴァン王国に留まらず世界的に力を増すのは間違いない
聖女の頂点、大貴族クリューセル家とのパイプ、勇者の一行、聖女教会との関係…本来であれば足蹴にされて当たり前の格差、一笑にふされて仕舞いの身の程知らずな計画だ
しかし、ある筋からの助言により彼はある方法で彼女に婚姻を迫ったのだ
それが…
「いやはや…まさかここまでハマるとはなァ。『勇者ジンドー』の名は凄まじい…くっくっ…っはっはっは!あのラウラの顔を見たか!否定したくても出来ないって、顔にありありと書いてある!」
『勇者ジンドー』の自称
この世界を救った勇者からの求婚を断れる女性などこの世には存在しない
顔が世間に知られていない彼に成り済ますのは簡単だ…何せ「自称」するだけでいいのだから、それだけで誰もがそれを否定出来ない
理由は不明だが王国側もそれに関しては一貫して黙秘を貫いており、実は王国すらも勇者ジンドーの正体を知らないのではないか?とさえ言われている
問題は自身を勇者ジンドーだと証明するための物だ
彼の造り鍛えた道具や武具は神器といって差し支えないアイテムであり、形状だけでも真似するなど到底不可能だ
あれは勇者の持つ異能…
世界中の職人が知恵を出し合って100年掛けても再現は出来ないだろう
だが…そこは適当に言葉で撒けばいい
「鎧なら『魔神を倒したから形を変えてみた』とか『平和な世の中ならあの武具は必要ない』とか、適当に言っておけば問題ない。それに…あのラウラの美貌と肢体は素晴らしい。あのすました美しい表情に、男に使われるためにあるような肉体…くくっ、せいぜい、可愛がってやるさ。僕の世継ぎをしっかり孕んでもらわないといけないし、なァ」
「では…お次はどうなさるおつもりで?」
「招待状だ。僕の邸宅でする夜会で、そこで彼女にプロポーズをする。配れる限り貴族に配れ、町の平民にもポスターなりなんなり、ばら蒔いて周知させろ。この僕…勇者ジンドーが聖女ラウラに求婚をする、と!」
立ち上がり、手を広げてのうのうと理想のプランを語る
もはや、成功のビジョンだけが見えている状態となった
「あぁ!あのラウラを僕の妻として迎え入れれば誰もこの家を…そして僕を蔑ろには出来ない!そう、国王だって僕の重要性に気が付く筈だ!そうなれば王宮の上級士官…いや、ゆくゆくは政治顧問や宰相だって夢じゃない!それにあの美貌だ…接待で使わせればどんな格上の奴らも舌を出して飛び付いてくる…!僕の子供を産ませた後は積極的に体で働いてもらおう…!聖女教会とのパイプも役に立つ、世界で初めて「聖女を動かせる貴族」になるのも夢じゃない!」
まさに外道、下衆…世界を救った者に対してこれ程までに穢れた欲望の矛先を向けることなどそうそう出来る事でもないだろう
そこに愛や好意の感情があれば、まだ救える話だったのだが、そんな事はゼロ…ラウラを「極上の女」としか見ていない、己の階段を上に進むための手すりにしてステータスの為だけに欲しているただの道具
表には出せないような仕事や接待だってさせる算段を付けており、実際裏ではそのような好事家による交渉が成される場合もあるのだ
ラウラ程の美貌…あの極上の肢体に眩い美しさだ。
金糸のような髪、抱きやすく括れた腰元、欲望をぶつける為にあるような実った胸、素晴らしいラインを描く尻、肉感のある健康的な脚…凛と気品を常に纏う、美しく柔らかながら強い力の籠もった目…
もはや接待に使えば我先にと長蛇の列が出来るのは確定的だ
こぞってこの家を盛り立てたい輩が鼻息を荒くして彼女を求めてくるのは間違いない
その発想に酔いしれ、今からどんな事が出来るのかを頭の中で張り巡らせる男は機嫌良さそうに笑いを堪えることなく、声高々に嘲笑のようや笑い声をあげた
しかし、それは様々な要因からまかり通ってしまう可能性があるのは間違いなかった
1つ運命が違えていれば
彼の口から出た妄想は叶う筈だったのだ
ラウラの凄惨な未来は直ぐそこまで迫る筈だった…この男を勇者では無いと否定しきれず、退路を塞がれて望まぬ男に身を捧げ…そんな絶望的な悲劇は確かにすぐそこまで来ていただろう
ただ1つの、偶然…いや、ラウラ・クリューセルが呼び寄せた奇跡だろうか
それが、彼女の未来を変えた
3年間も追い求めた男…その耳に、彼女の声は届いていたのだ
故に、計画は破綻へと向かい始める
何故なら、その話を
本物の勇者が聞いてしまったのだから
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