第8話 文の道

本能寺の変から二年後、細川様に仕官が叶い松井康之様お預かりとなった。

松井様は十六才の重清様を父親のように見守って下さった。


思慮深く果敢なお館様に育ち我らにも漸く春が訪れたと思った矢先、病を得て亡くなられた。

思えばこの十年、朝鮮出兵、秀次様失脚、秀吉様薨去、石田三成様蟄居、関ヶ原合戦と息つく暇も無い情報戦を取り仕切って来られた・・・まこと悔やみきれぬ。

跡を継がれたのは宗清様十五才、年に似合わず肝の据わったお方だ。


最初、京・大坂に配下を置いていた。

徳川様にお味方すると決めた後、江戸と京の間に配下を置いた。

徳川様推挙により豊後国木付6万石が加増され松井様が城代に成られた頃、兵庫津に足場を作った。

忠興様が豊前国中津藩主に成られた後、山陽道にも配下を置いた。


配下を置いたは良いが金が無い。まったく足りない。

忠興様は黄金200枚の返却で金が無い。松井様には無い袖を振り絞って頂いている。

このまま行けば金食い虫だ、止めてしまえと声が上がるのは必定・・・かといって止めれば配下が路頭に迷う、考えあぐねて宗清様に話をした。


「金が無いなら稼げば良い。」

宮仕えが長くなり頭が固くなっていた。稼げば良いのだ。いつもそうやって来たではないか。

「宗清様、何か考えが有りますか。」

「銭を取って文を運ぶのはどうだ。金をかけずにすぐ出来るではないか。」

目から鱗、思いもしなかった。

考えてみれば文を運ぶ事など造作も無い、そのために配下を置いている。


それから二月、江戸と大坂を結ぶ文の道が動き出した。顧客は江戸に支店を持つ商家に限り、料金はその都度払い。金はまだまだ足りないが、新たに借りずに済みそうだ。

どこから聞き込んだのか江戸の商人が文の道に入れて欲しいと言ってくる。事が大きくなる前に別組織にしなければ・・・間違っても「細川」の名は知られてはならない。


宗清様は「急げ」と言われる。

「文の道の事、真似をする者が出て来ぬ内に作り上げてしまえ。」

兵庫津・大阪・伏見を通り江戸までの文の道・・・顧客第一号の摂津の大店に知恵を借りた。


金を借りるのでは無く、金は出させれば良い。

飛脚屋をやりたい者に金を出させる。集まった金で経費を払えば良い。

大事な文は今までどおり我らが運ぶ。


街道沿いの町屋に拠点を移した事で距離も時間も短くなった。

“人目を避ける”を第一にしていたが、地元の商家に任せる事で人目の心配が無くなった。

今まで素通りしていた府中・掛川・浜松などの御城下にも飛脚屋が出来た。

宗清様に「爺の顔つきが良くなった。」と、言われた。

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