第12話「現場検証」

 幸は藤堂やアリスと共に、ある家の居間にいた。

 ごくありふれた木造平屋。家主は裕福ではないが、貧しくもない。一目見れば誰しもそう判断する家だった。

 既に遺体は警察によって運び出されており、居間には何もない。けれど、ここで人が死んだという事実が、氷で背筋を撫でられるような不快感を与え、居心地を悪くしていた。


 事件があったのは四日前。

 被害者は、この家の家主である佐藤一太郎四十五歳。二年前に妻を事故で亡くしており、二人の間には子もいなかったため、一人で暮らしていたという。

 勤務態度は真面目であり、就業時間になっても職場の商社に来なかったため、不審に思った勤務先の同僚が自宅に様子を見に来たところ遺体を発見した。


 死因は窒息死とされているが、首の骨が粉々に砕けていたという。

 遺体の首には太い縄で絞められたらしい痕跡が残っているものの現場のどこにも凶器と見られる縄は落ちていなかった。

 犯人が持ち去ったものと考えられ、警察では他殺の線で捜査を進めているとのことだ。


「検死によれば死亡推定時刻は深夜だそうだよ。どうだいアリス?」


 藤堂が鏡を凝視しているアリスに声をかける。

 アリスは、首を横に振りながら眉間にしわを寄せた。


「気配は残っているけど、ここにはもういない」

「文魔であることに間違いはないんだね?」

「うん。だけどいなくなってから大分経つ。この気配の残り方……犯行は警察の見立て通り二十七日の夜だと思う」

「事前にも事件の直後にもアリスの鏡で察知できなかったわけか。本当に最近は調子が悪いね」


 藤堂の語気に責める色はない。しかしアリスは真に受けたのか、唇を尖らせて、叱られた犬のようにいじけている、


「藤堂がプレッシャーをかけるせい」

「そういうつもりはないんだけどね」


 束子のような髪を掻きながら弁明する藤堂だったが、アリスのご機嫌はより一層斜めに傾いた。


「無言の圧力を感じる。とてもとても感じる」

「それはごめんよ。気を付けます。さて、幸さん」

「は、はい!」


 話が自分に飛ぶとは思っていなかったため、声が上ずってしまった。恥ずかしくて頬から耳まで熱湯をかけられたように赤くなっていく。

 しかし藤堂は、これといって幸の反応を気に留めていないらしく、いつも通りの飄々ひょうひょうとした口ぶりで尋ねてきた。


「普通の人が大の男の首を絞めたとする。その場合、首の骨を粉々にすることはできると思うかい?」


 大の男の首の骨を粉々にする。人間業で可能なのか?

 数拍ほど考えてから幸は答えを返した。


「……いえ、難しいと思います。犯人が熊のような膂力りょりょくを持っていたとすればあり得るかもしれませんが」

「うん。俺もそう思う。まともな人間じゃまず不可能だ」


 藤堂は、右手で顎をもむように撫で回している。


「警察もその点を不審に思っているらしい。被害者の首の骨は粉砕されていた。折れるというのは聞いたことがあるけど、粉々になるとは尋常の力じゃない。それにアリスが気配を感じている点からも明らかだ。これは文魔の仕業だよ」


 アリスは、鏡を抱きしめながら天井を見やった。


「藤堂の言う通り、微かに文魔の気配が残ってる」

「問題は、どんな物語から生まれた文魔か……なんだが」

「それは私の御伽の異能テイルセンスでも分からない。魔法の鏡が教えてくれるのは文魔の気配だけ。正体までは教えてくれない。だから――」


 視線を幸に移して、アリスが一歩近づいてくる。


「私と藤堂の頼りは幸」

「わ、私ですか? でも私なんかが一体どうやって二人のお役に」

「幸は、藤堂よりも本を読んでいる。思い当たる物語はない?」

「縄で首を絞める物語ですか……」


 アリスに問われた幸は、人差し指を顎に当てて頭の中に作った本棚を覗き見る。

 十二年間、現実逃避のため多くの物語に触れてきたおかげで、今まで読んだ本の情報は数千を下らない。これまで読んだすべての物語がここに納められている。

 読書量は数少ない幸の自慢できることだ。


「そうですね……例えばドイル著作の冒険小説にホルムスという探偵が出てきますが、ああした推理小説なら」


 アリスは、小首を傾げた。


「ドイルの……ホルムス?」

「アリスさんはご存じありまりませんか? 英国イギリスを舞台にした作品なんですが――」

「もしかしてシャーロック・ホームズ?」

「シャーロック……」


 そういえば幸の実母である雪も原著を読み聞かせてくれたときシャーロック・ホームズと呼んでいた。英国での発音は、そちらの方が正確なようだ。


「そうです。そのシャーロック・ホームズです」


 藤堂は、感心したように喉の奥を鳴らした。


「なるほど。推理小説か。ホームズにも殺人事件を扱う回が確かにあったね」

「ええ、あのような作品なら人を殺める描写も出てきます。ですが、そういう描写のある作品は国内国外を問わず多岐に亘るのも事実ですから」


 殺人鬼が縄で相手の首を絞める描写は、推理小説ならありふれている。

 それ以外の物語にも首を絞めて相手を害する描写は枚挙に暇がない。

 どんな物語から生まれたのか、現状では判断材料が少ないと言わざるを得なかった。

 一刻も早く文魔の正体を突き止めて封印しなければならないのに、的を絞り切れない。

 藤堂の事務所に出入りするようになって物語と接する機会はより濃密になっているのに、肝心な時に限って頭に浮かんでこない。

 どうして肝心な時に役に立てない!?

 必要としてくれている人がここにいるのに!


「すいません。藤堂さん、アリスさん。私全然思いつかなくて……」


 役に立ちたいと願っても幸にできているのはゴキブリ退治ぐらいだ。

 御伽狩りとしてはまるで無能、まるで無力。

 せっかく藤堂とアリスが傍にいることを許してくれているのに、これでは二人に顔向けできないではないか。

 穴があったら入りたい。今日ほどその言葉を実感した瞬間もなかった。


「……役立たずでごめんなさい」

「幸さん。そんなことはないよ」


 藤堂は、幸の肩をそっと叩いた。

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