その3
子どものキャッキャと楽しそうな声でわたしは目を覚ました。今日は随分と楽しそうな音だなぁと耳を傾けつつ、朝ごはんの準備をする。
昨日の生活音は途中まで楽しかったけれど、最後には修羅場だったなぁ……。と思い出してげんなりする。今日の子どもたちの声は本当に楽しそうで、目覚めの音にふさわしいような気がした。
『Хүрэлцэн ирж барилдъя』
『Хэрвээ намайг ялж чадвал би удирдагч гэдгээ хүлээн зөвшөөрөх болно』
『За, чи бэлэн үү? явцгаая!』
少年と思われる声の掛け声と共にガサガサと草を踏む音が聴こえる。
『Сайн байна』
勢いある声と共に、ドサッと何かが転がる音がした。
『Миний ялалт!』
別の少年の声と共に複数人の子どもの笑い声が聴こえた。その声にほっこりしながら耳を傾けていると、
ドカーン。
いきなり、耳を劈くような破裂音が聞こえてきて、わたしは驚いて体が硬直する。
何かの爆発音。わたしの周囲で起こった訳ではない。恐らくはここではない何処かで起こったものが耳に流れ込んできているのだ。
爆発音の後に聞こえているのは女性の甲高い悲鳴。泣き叫ぶ子ども。か細い声で何かを必死に訴えている男性の声。今耳に流れ込んでくる音の全てに私は恐怖を覚えた。
破裂音は一定のリズムで起こっていた。その間に聞こえてくるのは拳銃か何かから発射される乾いた発砲音。発砲音の後にはドサッと何かが倒れる音も聴こえてきた。
もしかして、何処かの戦場で争いが起こっている時の音なのでは?
そう思うとドンドン恐ろしくなっていく。そうだ、アプリを削除すればこんな恐ろしい音は聴かなくて済むんだとわたしはスマホを手に取った。
わたしは急いでアプリの設定からパーソナルシェアを探す。しかし、アイコンはおろか、アプリの存在すら見つけることも出来ない。普通ダウンロードしたアプリは全てここに表示されているハズなのに。
やっぱりアンインストールしてしまったのだろうか?耳元でドドドドと銃器がけたたましく鳴り続けているのに怯えながらアプリのストアを開いてパーソナルシェアを検索する。すると、ヒット件数は0件。
おかしい。確かに、わたしはストアからパーソナルシェアをダウンロードしたはずなのだ。しかし、検索にはヒットしない。もしかして名前が途中で変更になったのかもしれないと、私はストア内のダウンロードしたアプリの一覧を開く。
しかし、ソレらしきアプリは一向に見つからない。
これではパーソナルシェアなんてアプリは元々存在していなかったようじゃないか。いや、絶対に何処かにあるはずと一覧にあるアプリを全て探してみたのだが、やはり“全てが共有できてるシェアアプリ”なんて無かったのだ。
じゃあ、なんでわたしの耳には勝手に音が流れ込んでいるんだ。アプリが存在していないのなら、共有なんて無効になっているわけであって、私の耳に音が流れ込んでくることなんてないのだから。
私がそう思考を考えている間も人の悲鳴、何かが爆発する音、けたたましい武器の音が耳にドンドン流れ込んでくる。
わたしは怖くなってベッドにうずくまる。早く、早く終わって。こんな怖い音なんて聴きたくない。
様々な断末魔が暫く続いたのち、ポロンとアコースティックギターの音色へと切り替わった。やっと終わった。いつもは音が切り替わるのが惜しいと思っていたのに、こんなにも早く時間が過ぎて欲しいと思ったことは無い。
怖い音を聴かされ続けていたわたしは汗をびっしょりとかいていた。息も少々荒い。まるで聴くこと全てがトラウマになりそうだった。
ギターの優しい音色に心を落ち着かせてからわたしはベッドから出る。かいた汗で肌と服が貼りついている。気持ち悪いから着替えなければ。
さて問題はパーソナルシェアがアプリストアから無くなってしまっていたことだ。共有アプリが消えても聴覚の共有が残っているというのならば、一生わたしの耳は世界中のありとあらゆる音を収集して共有してくるのだろう。
いい音もあれば、恐ろしい音も当然今日みたいに起こるわけで、一生この音たちに付き合っていかないといけない。どうにかしてソレを解決しなければならない。
それはパーソナルシェアというアプリが実際に存在していたのが前提となるのだけれども。
このアプリが今やアプリストアに存在しない、わたしのスマホの中にも無いということになれば、実は、パーソナルシェアはわたしが見ていた夢で、今のこの状況はわたしの精神的問題かもしれない。わたしが『世界中の音を聴きたい』と願うあまり、夢の中に【パーソナルシェア】という存在を生み出してしまって、それを夢だと気付かずダウンロードして耳に共有したとすれば、勝手に脳が想像で考えた音を聴覚の信号として送り込んでいるのかもしれない。
しかし、脳が勝手に妄想した音であそこまでハッキリと海外の言葉や生活音、全く知らない音楽まで再現ができるのだろうか?
わたしの妄想にしたって限度だってある筈だ。そう考えながら朝ごはんを食べ、終わった後の食器をシンクへと持っていったときに。
『ごめんなさい』
私の耳でハッキリと女の子が謝る声が聞こえたのだ。
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