その5
「山中良子さんと面識はありますか?」
あの後警察署へと連れて行かれ、最初に警官に言われた言葉は全く面識の無かった女性の名前だった。
「いいえ。今日初めて聞いた名前です」
どうやらあの部屋で亡くなっていたのは山中良子さんという方らしい。深くは聞いていないが検死の結果、ガス中毒ではないかという診断だったとのことだ。
俺はどうして遺体を発見したのかという説明を署で警察相手に再びすることになった。通報したときと同じく半信半疑という感じだった。これが、俺にしか分からない臭いをたどったらあそこまで辿り着いたなんていったら更に疑いの目をかけられることだろう。
疑われないようにそこそこの説明をしたら俺の疑いは晴れたので、無事に帰されることとなった。帰り道に『すいません』と声をかけられ、振り向くと其処には少しばかりやつれて疲れた顔をした女性が俺のことを見ていた。
「大井彼方さんですよね?」
「ええ、そうですが。貴方は……?」
「山中良子の母です。この度は倒れて死んでいた娘を見つけてくださったようで……、ありがとうございます」
亡くなった彼女の母親は俺に深々と一礼をする。
「あ、すいません。娘さんに関しましてはご冥福を……」
俺も慌てて深々とお辞儀をする。
「娘は一人暮らしだったので、本当に見つけてくださらなかったら一生このままだと思うと……ううっ」
彼女の母親はそう言ってハンカチで目頭を押さえる。
「ちょっとお話いいでしょうか?」
彼女の母親の誘いで署にあるベンチへと腰掛ける。
「大井さんは良子とは面識は無かったんですよね? 署の方からもそう伺ったのですが」
「えぇ……」
俺はゆっくりと頷く。
「実は半月前に良子から電話があって、好きな人に振り向いて欲しくて共有したのに振り向いてくれない……もう生きていく価値なんてない、っていう意味深な電話がかかってきたんです。私は何のことか分からなくて落ち着きなさいと言ってから切ったのですが、それっきり連絡も出来なくて。バイトが忙しいとばかり思っていたのですが警察の方から連絡がきてそんなまさかと、それで見つけてくださったのが大井さんだったので、私はてっきり大井さんが娘の好きな人とばかり……」
彼女の母親は目に涙を浮かべながらそう語ってくれた。その中で俺が引っかかっている言葉が一つあった。
山中良子はその意中の相手と【共有をした】と母親が語っている。振り向いて欲しくて何かを共有した。
共有……、何か俺は忘れていることがある筈だ。思い出せ。
「あっ」
そうか、思いだした。
遡ること一ヶ月前。俺は確かに何かを共有したんだ。寝ぼけ眼で“誰”と“ナニ”を共有したのか全くわからなくって結局気のせいで終わってしまったけれども、亡くなった彼女の母親の証言でやっと分かった。
“俺”は“全く面識の無い山中良子”と“嗅覚”を【共有した】んだ。
山中良子はその嗅覚を意中の相手に共有したとばかり思ったけれども、何かの間違いで俺の元へ申請を送ってしまった。そして寝ぼけた俺が申請を承諾した。きっと、申請承諾通知が彼女の元へと届いているはずだ。彼女は意中の相手が申請を承諾したと思いこみ、振り向いて欲しくて様々な匂いのアプローチをするんだが、意中の相手には届かず俺に届いてしまった。
そのことを全く気付かずに意中の相手が振り向いてくれないことに絶望した山中良子は……。
全ては間違いが生んだ悲劇というヤツか。その後も、嗅覚の共有が残り続けていた俺が山中良子の遺体から発せられる腐乱臭をたどって彼女の遺体を見つけたということになる。
なんという奇跡的なファインプレーというかなんというか。少なくとも、そのことに気がついた時は心がぐっと苦しくなるのであった。
数日後、そんな彼女の葬式が執り行われて、最後にむせ返るほどの花と線香の香りの後、本当に彼女からの嗅覚の支配はなくなってしまった。
些細な間違いやすれ違いから起こってしまった今回の騒動。なんとなく切ない思いを感じながら、俺は彼女が好きだったであろうカサブランカの花の匂いを嗅ぎながら、煙になって天に昇った彼女の冥福を祈るしか出来ない。
Case4 終了。
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