その3
翌朝。重い瞼を開けながら体を起こす。なかなかガス臭さが消えなかったので眠いが浅い。まだ鼻にガス臭さが残っている気さえする。
げんなりしながらリビングに飾っている花の香りを嗅ぐ。花瓶に挿してから数日経っているのでだんだん花にも元気がなくなりしんなりとし始めていた。香りもだんだん弱弱しくなっていた。
花の微かの香りを嗅いでから俺ははたと気が付く。
そういえば、今日は何の香りも香ってこない。自分の嗅覚から感じ取れるのは花の香り、部屋に干してある洗濯物の洗剤の香り、など自分の部屋にあるものの香りのみだ。
まぁこれが元々の嗅覚なんだけれども、それでも毎朝の日課であった匂いを楽しむという行為が無くなってしまった事がなんだか少し残念でならなかった。
自分の嗅覚を取り戻して、またいつも通りの日常を送る。あの不思議な一件で“匂い”について気付いたことが様々あって、俺は深呼吸をして空気ってこんなに色んな匂いがするんだなと感心しながら生活していた。
「そっかー、いきなり匂いしなくなったんだな」
あの時の同期と飲みに行く予定があったので、俺は居酒屋でそのことを話す。
「そうなんだよ。毎日の楽しみだったんだけど、なんだか楽しみが減った気分だぁー」
「いいんじゃね? 嫌な匂いがやって来ないうちにそんな症状もなくなったんだから。そういえば耳鼻科に行った結果はどうだったんだ?」
「特に何も異常ないというか、俺の鼻がたんに良いだけっていう診断だった」
耳鼻科の先生に言われた診断を話すと、まぁそうだろうなと同期が返す。
「でも良かったじゃん。症状が改善して。というか症状というか奇妙な現象というか」
確かに俺の体の症状ではなく、勝手に匂うという現象ということにはなる。
「そうだな。相談に乗ってくれてありがとうな」
「いいって。とりあえず彼方の症状改善祝いに乾杯しようぜー」
俺たちはハイボールで乾杯をする。口に入れようとすると何だか独特な匂いがした。
「割っているウイスキーが違うのか? 何だか匂いが独特だ」
俺がそういうと、同期もハイボールをクンクンと嗅ぐ。
「そうか? なんの変哲もないただのハイボールだと思うが?」
同期がそう反論するので、俺は自分のを再び嗅ぐ。
何かが発酵、もしくは熟成し始めているそんな匂いがする。もしかして俺のだけ違うのか?
同期に俺のジョッキも嗅がせてみたが、答えは同じだった。ただのハイボール。
「発酵臭だろ? 何処かのテーブルがチーズ料理でも食べてるんじゃないか? メニューにカマンベールのアヒージョやブルーチーズなんかもあるし」
「そうか……」
同期がメニュー表を指差す。確かに発酵食品を使ったメニューがふんだんに掲載されていた。
「な? もしかして、やっぱりお前の鼻が良すぎるんじゃないか? お前は犬か!」
「俺はれっきとした人間だ!」
「アハハ、じょーだんだよ、冗談」
気を取り直して乾杯をする。同期は俺らもチーズ料理頼んでみるかとカマンベールのアヒージョを注文して食べる。
「にんにく効いてて旨いなコレ」
「そうだな」
料理を堪能しながら淡々と食べている俺たち。同期は楽しそうに飲んでいるが、俺の心情はとても複雑だ。
俺は同期には言えなかったけれども、ハッキリしたことがある。それは、
これらのチーズ料理たちと、俺の嗅覚を支配している匂いは全く別物だということだ。
コレは発酵臭や熟成臭なんかじゃない。モノが腐ったような匂い。
腐敗臭。
そう言い表した方がいい気がした。
「どうした? 顔色が悪いぞ」
同期が心配そうに俺の顔を覗きこむ。
「あぁ、悪い。仕事のことについて考えてた」
俺は嫌な予感を吹き飛ばすかのようにハイボールを一気に喉に流し込んだ。
腐敗臭は日を追うごとに強くなっていた。最初の数日は少し鼻につく臭いだなぁという程度だったのに、だんだん体調が崩すレベルの強烈な臭いの強さになって、トイレで我慢できずに吐くという行為が繰り返されるようになった。なかなか仕事にも手が付かなし、食欲もこういう状況だからなかなか湧かない。
何も出来ない俺は布団に転がりながらなんとなく原因を考える。
もしかして、俺の嗅覚はある時点から“誰か”に支配されていて、その“誰か”が匂ったモノが直接俺の嗅覚が感じている。だから、自分の部屋には存在していない匂いまで香ってくる。
匂いに方向があったのは、その支配していた“誰か”がその方角にいたから。
あのガス臭さの一件以来、支配していた“誰か”に何かしらあった。で、ナニかが腐っている場所に今居る。
そんな事まずありえないだろうし、空想の話でしかないけれども。
でも、この原因をなんとか突き止めないといけないという意識の方が強かった。もし、俺の予想が外れたら今度は大きい病院へと行こう。
そう思って俺は準備をして、自分の部屋を飛び出した。
結果、あんなことになるなんて……。
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