第19話 黒い世界、白い世界12月19日

 九乃カナには聴こえる。

『違う、言いがかりだ! メロンパン食った奴なんて、他にいくらでもいる!』

 無月さんの弁解が。だが無駄だ。


 九乃カナはとなりの部屋のドアを開けた。ほうら、明かりがついていて服が脱ぎ散らかしてあってだらしない。メロンパンの袋がテーブルに放置されている。だって、ゴミ箱が見当たらなかったから。

 間違いない。隣は無月さんの部屋であり、ハイジ、いやハイデを刺したのは、あの隠し異世界通路から侵入した無月さんなのだ。冴えわたる頭脳。


 つぎに殺される美女と言ったら。ぎゃー! どんな残虐な殺され方してしまうの。

 これはズラかるしかない。ドアを閉めようとして思いとどまった。服は着てゆこう。手荷物ももってゆこう。

 九乃カナはコートを脱いだ。巻きつけただけのバスタオルはカーペットの上に落ちた。やっとパンツがはける。文明人はパンツがないとね。


 パンツと、やってきたとき着ていた服を着直して、部屋を出た。無月さんと執事は1階のハイデの部屋前で待っているはず。気づかれないように階段を降りて玄関のドアを出なければならない。

 木の床がぎいと鳴って、振り返ると無月さんが顔を向けて目が合う。なんてことはない。床も石で作られている。カーペットが敷き詰められているし、逃げ出すには有利。

 玄関ドアまでたどり着いて、開ける。体を隙間から通して閉める。目は中の様子を探った。刃物をもった無月さんが駆けてくるなんてことはなかった。閉めた。


 雨はあがったというべきか、濃い霧はあいかわらずで時間が経つと濡れることに変わりはない。

 さて、どちらへゆくか。この霧では車は使えないままだ。駐車場には用がない。反対に向かって歩き出す。懐中電灯は失敬してきたけれど、明りで見つかっては間抜けすぎる。濃い暗闇を掻き分けて進むしかない。


 暗闇では目を開けていても閉じていても同じだ。歩いていると感覚がおかしくなってくる。世界の上下の軸がゆらぐ。いわゆるZ軸のゆらぎだ。かっこいい言葉をひねりだしてしまった。

 水平な地面を歩いていても、振り出した足が着地すべきタイミングがズレてくる。膝ががくんとなる感覚。人は視覚に頼って歩いているのだ。


 ロクに眠っていないし、走ったり、歩いたりして、体も脳も披露がたまっている。頭の中まで霧がかかったようというか、頭も体も霧に溶けてしまったようだ。

 寒いし、腹が立つ。クソッ、なんでこんな目に。


 世界が白く反転した。足元は地面が見えた。ほかは白く、まとわりつくようで、でも実体のない電子的データで埋め尽くされている。肺に吸い込む空気にもまぎれこんでくる。ヒヤリとする。

 日の出だ。

 足元が見えるようになって進行がはかどる。


 みずうみに出た。湖面はすぐに白に飲み込まれている。

 わかった。

 お城のおもての主人がここでハイデを凌辱したのだ。右半身を湖水に浸して目をうつろにしたハイデの姿が見える。あちこちすりむいて内股に血の一筋。

 ぽたりと垂れて、小さく湖面に広がる。ぽたり。哀れなぽたり。


 湖でもたもたしている場合ではなかった。

 歩き出す動作。小さく振り返る。

 ぎらり。

 白い壁から手が出ていて、

 ナイフを握って

 いた。

 そんな。

 九乃カナは白いビットの息を吸った。

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