第5話 恋人を思い出した12月5日

 スーパーのプライベートブランドのミネラルウォーターをマグカップに注ぎ、やかんへあける。

「あ、しまった。分量まちがえた」

 九乃カナとしたことが、コーヒーをいれるときの分量を量り入れてしまった。ほうじ茶のときはコーヒーより少なめでよかったのに。

 急須から注いだほうじ茶はマグカップになみなみ、たっぷんたっぷん、ぽよんぽよん、なんのこっちゃ。とにかく予定より多くはいってしまった。

 こぼさないように気を配らなければいけないのがメンドクサイ。どうにかデスクまで運んでひと口、まだあっつい。冷え性にして猫舌。九乃カナはわがままボディなのだ。人格がわがままなだけとも言う。


 ほうじ茶のおともはヤマザキのあんぱん。定番シリーズでお安い。500Wのレンジで10秒を脳内でカウントしてあたためた。ひと口。うん、パンがぱっさぱさ。あたためが足りなかったみたい。賞味期限まで2日あるというのに、どうなってんだ賞味期限。


 パソコンに向かってカクヨムのタブを出して、「リアルタイム」のあたらしいエピソードの編集画面をあたらしいタブで開く。ポチポチとよどみなく入力してゆく。ほうじ茶は熱く、パンはぱっさり。


 さて、今日のリアルタイム小説の展開はどうしようか。ツイッターでもチェックするか。

 ふむふむ、さっき投稿したツイートにいいねしているカクヨマーがいる。虫である。ただ虫と言っては失礼だった。飛んで火にいる夏の虫、今は冬、寒くて仕方ない。足は湯たんぽに置いているし、着る毛布は腰から下に巻いているし、エアコンのヒーターは沈黙を守っている。おい、働け。

 というわけで、お知り合いのカクヨム仲間を利用させてもらうことにしよう。


「橙 suzukake さん、12月2日の23時ごろはどうしていましたか」

「そんな時間は家にいましたよ」

「証明してくれる人はいますか」

「部屋でツイッターしているか、寝ているかって時間だからなあ。それは無理」

「やっぱりあなただったのですね」

 九乃カナは顔を伏せた。顔をあげキッと睨みつけた目には涙がたまっていた。まばたきして、涙が頬をつたう。

「わたくしの大切な人を、殺したのですね」

「はい?」

 レンガの壁で囲まれ薄暗い部屋。あんな寂しいところで血を流してひとり倒れていたカズキ。やさしかった笑顔が脳裏を埋め尽くす。涙は止まらず、なにも考えられない。カズキへの思い、カズキとの思い出が胸と頭を支配する。

「カズキ……」

 膝から力が抜け、床にしゃがみこむ。レンガのざらざらした肌触りが不快だ。


 カズキはカメラマンだった。日本の風景を撮って海外で賞を獲った。記念の個展に九乃カナは通りがかってはいった。

 よい写真だと思った。奇をてらわず素朴な構図で、でも最高の瞬間を切り取っている。そう感じた。最高の瞬間を写真におさめるには忍耐強くシャッターチャンスを待たなければならない。この写真を撮ったのは真面目で妥協のない人なのだと思った。

 撮影者に興味が湧いた。


 九乃カナは新刊の表紙カバーにカズキの写真を使いたいと編集者に直訴した。表紙のリクエストをするのははじめてだったものだから面白いと言ってノッてくれた。

 はじめて会ったカズキはイメージ通りの素朴で真面目な人物だった。九乃カナは、参考のためと言って書店に、打ち合わせのためと言って喫茶店にカズキを連れ回した。別れ際には撮影に立ち会う約束も取り付けた。もうカズキのことが気に入っていた。

 そんな出会いだった。


 カズキは約束どおり撮影のときに呼んでくれたのだけれど、九乃カナはデートだと勘違いしていた。勘違いだと気づいたときは腹が立った。でも、キスしてくれたから機嫌を直した。そうするように仕向けたのだけれど。カズキに任せていたらいつまでたってもふたりの仲は進展しなかっただろう。


 カズキには仲の良い女友達がいた。好きだという気持ちに気づいたときには男を作って逃げられてしまった。まさに告白しようというときに。ショックが大きかったみたいだ。


 そんな話を聞かせてくるというのも、カズキの間抜けなところ。くわしく聞き出すとカズキはその女にキープされていたことがわかった。男としても、カメラマンとしても。女もカメラマンだった。


 カズキと親しくなり、お互い取材や撮影に同行するようになった。そんな撮影旅行で雪の中の合掌造り集落を撮影に行ったとき。やっとカズキに告白させることができた。九乃カナは感激のあまり泣いてしまった。


 楽しかった思い出が一度に押し寄せてくる。頭の中がいっぱいだ。カズキを失ったことを思うと胸が苦しい。体を起こしておくこともできない。床に手をついて支える。


「大丈夫ですか、九乃さん」

「かならず事件の謎を暴いて、あなたの犯罪を追及します」

「冤罪だ」



 マグカップのほうじ茶は飲み終わっていた。過去作を利用するだけでなくカクヨム仲間まで巻き込んで、どうにかリアルタイム小説を本日も書くことができた。達成感でいっぱいです。

 きっと橙 suzukake さんも九乃カナの小説でひどい扱いをうけて喜んでくれるはずだ。おいおい。

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