第14話




 籠に乗って帰ってきた歳三の状態は、酷いものだった。本人も言っていた通り骨折こそなかったものの、容赦なく浴びせられた打ち身のいくつかは皮が破れ、血が滲んでいた。


 着物に隠された部分はさらに酷く、内出血で赤黒く腫れあがっていた。帰りつくなり力なく倒れ込むと歳三はそのまま高熱を出して寝込んでしまった。


 近藤は朝の宣言通り、客間の一室を歳三にあてがい、交替で看病をした。歳三の容体が落ち着いた頃は、数日が経っていた。


 隠しきれない歳三の怪我は、門弟らの間で様々な憶測をよんだ。近藤は改めて左之助らに話を聞いた上で、門弟と食客を集めて事の経緯を説明した。


 その内容はごく簡単な物だったが、有無を言わせぬ「一切の他言、詮索無用也」の一言で皆押し黙る他なかった。



 歳三は、熱が下がってからの回復は早かった。体調が段々と良くなるにつれ、それに反比例するように、一人考え込む事が多くなっていった。部屋に籠りがちで、たまに姿を見かけても近寄りがたい雰囲気で、次第に孤立していった。


 気晴らしに身体を動かそうと、誰かが道場へ誘いに来ても首を縦に振らず、人の輪から離れて部屋へ引きこもっていた。そんなある日、前触れなく総司が部屋に現れた。


「着替えて下さい」


 歳三の目の前に稽古着を放り投げると、その前に仁王立ちになった。怪我から実に十日余り経っていた。すでに総司は稽古着姿で、つまりそれの意味するところは、一つしかない。


「……気乗りしねえ。てめえで勝手にやれ」

「ああ、もう鬱陶うっとうしいなぁ。……着替えないなら別に構いませんけど、あなたが行くのは決定ですから」

「はあ?」


 ずっと不機嫌さを隠しもせず、それでも黙って歳三の面倒を見ていた総司は、ついに我慢の限界を迎えていた。そのまま、押し問答を繰り返して、最後は歳三が妥協した。


「しつけえな、お前はっ。ったく、行くだけだからな」

「はいはいはいはい。早くして下さい」


(はいが多いんだよっ)


 礼節を重んじる近藤の持論では、道場は神聖な場所である。毎朝、神棚に手を合わし、礼を尽くしてから稽古を始める姿を、歳三はずっと見てきた。渋々出向くとはいえ、最低限の礼儀は持ち合わせている。歳三が寝間着から稽古着に着替えるのを、総司は静かに待った。




 ほどなくして二人は、道場へ足を踏み入れた。久し振りの歳三の登場にざわつくも、先に入ってきた総司はいつもの笑みがない。板の間の中ほどに立ち、振り返った総司は歳三に向かって言い放った。


「お相手願います」

「──…おい。話が違うぞ」

「僕は元からそのつもりです。早く構えて下さい」

「……俺ぁ、戻る」


 顔を歪めると、歳三は背中を向けた。その背に被せるように総司が追い打ちをかける。


「いつまで、被害者面しているつもりですか」


 足を止めた歳三の肩がピクリと揺れた。誰かの息を飲む音が聞こえたが、口を挟む者はいない。その場に居る誰もが、手を止め事の成り行きを見守っている。


「いい加減、その辛気臭い顔、うんざりなんです」


 ついに歳三がゆらりと振り返って、総司を見据えた。その目には、沸き立つような怒りとも苛立ちとも思える灯が燃えている。絞り出すように掠れた声をあげた。


「──…てめえに何がわかる、クソ餓鬼」

「そのクソ餓鬼に、言われっぱなしで良いんですか? ねえ、大人な土方さん」


 いつの間にか道場にはほとんどの顔ぶれが揃っていた。左之助、新八、斎藤、源三郎に、近藤。さらにその数歩後ろ、戸口に隠れるように八郎がいた。水を打ったような静けさが辺りを支配する。


(この剣術馬鹿が…。こっちの気も知らねえで)


 一歩も引かないまま睨み合うと、ついに歳三が壁の木刀に手を伸ばした。それを見た総司は、今日初めて笑みを見せると、くるりと道場を見回して言った。


「誰か、審判をお願いします」

「──俺がやる」


 進み出たのは、いつになく神妙な顔をした新八である。


「ずいぶんと鈍ってるでしょうから、僕が三本取る間に、土方さんは一本でも取れたら勝ちでいいですよ」

「……好きにしろ」


 肩を回す総司に背を向け、歳三は木刀を持つ手を何度か握っては開いて、その感触を確かめていた。


(何を迷う事があるってんだ、俺は)


 着物の下に隠れていたあざは、ほとんどが黄色く輪郭を残すのみに変わっている。多少の違和感はあるものの、身体を動かす分には問題はない。


 歳三の中にあるのは、漠然とした焦燥感と、どうしようもないやるせなさだ。何をする気にもならず、だらだらと過ごしていた。このままでは駄目だと自分でもわかっていた。


『あがいても結果が同じなら、すべて無駄ではないか』

『侍の真似事をしたところで、真似は真似でしかない』

『剣以外に生きる道が、この俺にあるのか』


いくら考えても答えのでない問いを、数えきれないほど繰り返した。己の進むべき道を見失いかけていた。


 歳三をこの場に引きずり出した総司は、病み上がりだからと手を抜くような男ではない。承諾したからには、本気でかかるしかない。下手を打てば、また怪我人に逆戻りだ。


(くそっ、気持ちが定まらねぇ…っ)


 気づけば人だかりは遠ざかり、総司と二人向かい合っている。


「では、お願いします」

「………」


 揺れる気持ちのまま、小さく礼をして木刀を構えた──。 



◇  ◇  ◇



「そこまで!」


 静かな道場に新八の声が響いた。軍配は総司に上がっていた。歳三の完敗である。


 歳三の迷いは剣筋に如実に現れた。まるで勝ちに行く気迫がなかった。木刀を構えてはいたが、自ら打ち込むことはほとんどなく、防戦一方で勝てるはずもなく、容赦ない攻めに呆気なく勝敗がついてしまった。


 負けず嫌いな歳三のこと、さぞ悔しかろうと思いきや、眉間に皺しわを寄せていたのは、総司の方だった。


「──あなた、ふざけてるんですか」

「……ふざけてねえよ。無理やり連れて来たのはお前だ」

「総司、やめなさい」


 疲れ切った顔で木刀を壁に置いた歳三に、食ってかからんばかりの総司を制したのは、近藤である。それでも何かしら口を開こうとする総司を、近藤が首を横に振って制した。


 それを視界の端でとらえていた歳三は、そのまますべてを振り切るように背を向けた。道場を出て行こうとする歳三の、進路をふさいで誰かが前に立った。顔を上げた歳三は僅かに目を見張る。


「お前っ…」


 八郎だった。歳三は、『八郎は試衛館に居ない』と思いこんでいた。その彼の登場に、少なからず動揺してしまった。


 実は熱が高い頃に彼が様子を見に来ていたのを、歳三は知らなかった。意識がはっきりしてからは、八郎自身が忙しく試衛館を出たり入ったりしており、単純に顔を合わせる機会がなかったのだ。


 歳三の目の前に立った八郎は、一息に言った。


「あなたに仕合いを申し込みます。獲物は真剣で」

「何?」

「いつかの続きを、お願いします」

「あれは…っ、やるとは言ってねえ」


 目つきを鋭くする歳三の背後がざわつき始める。真剣を使った稽古は、そう珍しくない。実戦主義の天然理心流では、真剣を用いた稽古を定期的に行っている。


 だが、今の歳三に提示する条件としては、いささか驚きを隠せない。たった今、総司と繰り広げた一戦は、戦意の有無を差し引いても明らかに精彩を欠いていた。半月近く、道場に背を向け部屋に籠っていたのだ、当然の結果である。


 ざわめきが広がる中、意外な人物が声を上げた。


「よし、その仕合い認める。俺が審判をしよう」

「は?」


 近藤である。唯一この場をいさめる立場の人間が、進んで仕合を許可したことで、一気にその場が色めきたった。


「歳も総司もそれでいいな」

「…近藤さんが、そういうなら」

「…………」


(あんたが出てくるかっ…)


 総司は渋々頷くとそのまま背を向け、道場を出て行った。眉間に皺を寄せたまま、歳三は八郎を無言で睨みつけている。


 物言わぬ歳三を、近藤は無言の肯定とみなすと、さっさと仕合いの準備を進めていく。



「ちょ、近藤さんっ、本当にいいのか?」


 粛々と真剣稽古の準備が進められる中、困惑の声を上げたのは、先ほど審判を務めた新八である。その後ろで、幾人か同様に頷いている。


 それらを一蹴するように、近藤が未だ睨み合う歳三と八郎の肩に手を置いて、顔を覗き込んだ。


「もう傷は大丈夫なんだろう、歳? なあに、きゅうすれば通ずと言うじゃないか。な、八郎君もそう思うだろ」


 にこやかに笑みを向ける近藤にも、八郎は歳三から視線を外さない。その目線を受け止め続けていた歳三は、ふいに目を伏せて深い息を吐きだした。


その歳三の前に、道場を出て行ったはずの総司が、いつの間にか立っていた。


「これ、貸しですから。これでも腑抜けたことするようなら、いっそのこと僕が刀のさびにして差し上げますよ」


 物騒な言葉と同時に目の前にすっと掲げられたのは、総司の愛刀である。軽い口調とは裏腹に、総司の目は真剣なままだった。総司の後ろでは近藤がにこにこと頷いている。


 総司は、歳三と近藤の関係を羨むような事をたまに口にするが、歳三に言わせるとまるで見当違いである。兄弟のように一緒に過ごしてきた師弟は、時には言葉すら必要としない。今がまさにそうだ。


 歳三は目に見えない物は信じない主義だが、心と心が繋がっているとしか思えない出来事に幾度も遭遇しては、認めない訳にいかない。


 近藤の〝心の声〟を聞いた総司が、その意を介して部屋からわざわざ持ってきたのだ。確かに未だ歳三の大刀は預けたままになっている。そしてそれは同時に、歳三の愛刀の現状を、近藤も知っているということを示している。


 あの日、番所で奪われた所持品は、財布の中身以外は戻された。それを受け取ったのは他でもない、近藤である。大刀の正体に気づかない訳がない。それでも近藤は何も言わなかった。


 そして、今、目の前に出されたそれにも近藤は何も言わない。歳三はそんな近藤をまともに見ることができず、背を向けると、総司に小さく頷いてから出された刀を手に取った。


 久々に手にする大刀の重みが、ずしりとその手にかかる。もう後には引けない。


 二人が仕合いの準備をする間、左之助が脇に控えた近藤に、つつつ、と近づいて耳打ちした。


「なぁ、いつから知ってたんだ?」

「ん? 何をだ」

「土方さんの刀の事だよ」

「あ~、そのことか。……気づかん訳ないだろう。何年一緒に居ると思ってるんだ。最初から知ってたさ」

「…さすが、近藤さん」


 軽く言い放った近藤に素直に感服していると、ふいに近藤が歳三の方を見て小さく呟いた。


「馬鹿だよ、あいつは。……何に金が要ったか大よそ想像つくが、それにしてもだ。素直に俺に頼ってくりゃ、それくらい都合つけてやったものを。あの意地っ張りめ」


 そう言った近藤の横顔は、怒っている様にも寂しげにも見えた。左之助も近藤の視線を追って、新八と何やら言葉を交わしている歳三を見て、ふっと口端を上げた。


「あの人から意地を取っちまったら、もうそりゃあの人じゃねえだろ」


 その言葉に、近藤は目を丸くして左之助を仰ぎ見た。強面な顔に、意外と人懐っこい笑みを浮かべた。


「確かに、そうだ。こりゃ左之助に一本取られたな」


 そう言うと二人して声を上げて笑った。


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