第13話


(──ああ、最悪だ)


 冷たい土の上に転がされて、どれだけ時が経ったのか、少し気をやっていたのでよくわからない。鐘の音が聞こえた気がしたが、意識が浮上した時には止まっていた。


 黒ずくめの男らは、宣言通り番所に歳三を連れて行った。そこで形だけの尋問の後、問答無用で身体を打たれた。もちろん、無実を訴えたが、どうやら男らと番人は通じているらしく、鼻から話を聞く気などなかった。


(肩が当たっただけで、この扱いかよ)


 番所に連れて来られた時点で、腰の指し物と所持品を奪われた。懐に、愛刀を買い戻すための金を忍ばせていたのも裏目に出た。


 こちらの言い分を聞く気のない輩である。それは相手からすった金だろうと言われた。あまりの馬鹿らしさに閉口してしまった。これ以上何を言っても無駄だと悟ってからは、ほぼ無抵抗だった。ひたすら歯を食いしばり声だけは出すまいと、耐えていた。


 天井近くにある、太い格子のはまった小さな窓から月が見えた。どうやらずいぶん遅い時分のようだ。


 座る気にもならず、地面に転がったまま、上を向いた。かび臭いそこはやけに埃っぽい。ふいに喉の渇きを覚えて懐に手を伸ばすが、何もないのを思い出すと、上げた手を目の上に置いた。


 番太は歳三の大刀が竹光だったことを、笑いものにした。取り上げられたのだ、当然その軽さに気づく。無駄な事を思いつつ、それを買い戻すための金だと説明したが、当然ながら鼻であしらわれてそれきりだ。


(……金は、戻ってこねえな)


 番所詰めの役人は、賄賂わいろにまみれている。もちろん、番所に限った事ではないが、汚い金が世にはびこっているのが現実だ。金にも財布にも所持人の名前などない。俺の金だと主張したところで馬鹿を見るだけである。


(──もう、どうでもいい)


 おそらく、歳三の思い浮かべた連中が裏で手を回して、番人を取り込んだのだろう。


 打たれた身体があちこち悲鳴を上げる中、歳三は考えるのを止めた。それきり物音ひとつ聞こえなくなった。



◇  ◇  ◇



 八郎と合流した左之助と総司は、思いつく場所を探していた。


 八郎の話では、暮れ六つに落ち合う約束だったが、半刻すぎても一刻過ぎても現れず、嫌な予感に歳三が向かうはずだった質屋を訪ねて来たのだという。


 左之助らは、歳三が戻っていないのを知っている。その刻限には既にここに居たのだから、間違いない。


「何かあったのは間違いないな」

「──別れるべきじゃなかった」


 八郎が唇を噛み締めて言った言葉は、総司が首を横に振った。


「いや、どのみち狙われていたのは知っていたんですから、相手の手に落ちたというなら、それはあの人の落ち度です」

「………まあ、明日になったら、ひょっこり顔だすかもしれねえしな」


 厳しい顔を崩さないまま、三人は最後に吉原へ向かった。向かう道すがら花魁からの文の件を話して、八郎も昼間の一件をかいつまんで説明していた。


「どっちもこっちも面倒臭えことになってんなー」

「すみません…」

「別に、八郎さんのせいじゃないですから。謝る必要はありません」


 そうは言いつつ、眉間に皺を刻んだまま、総司は先頭を歩いていく。ほどなくついた吉原で、平治を呼び出してもらうが、空振りに終わる。花魁本人と話したい所だが、おいそれと会える相手ではない。何かわかれば知らせてもらうよう平治に頼み、三人は吉原を後にした。


 それからいくつかめぼしい箇所をめぐり、足取り重いまま市谷へ帰ってきた。



「遅かったな、飯はもう食ったか?」


 出迎えたのは、近藤だった。


「ん、歳は一緒じゃないのか」

「近藤さん…、あの」

「八郎さん、部屋行こうぜ。近藤さん、お休み」

「…ああ。ゆっくり休めよ」


 近藤は一瞬怪訝けげんそうな顔をするものの、笑顔で部屋へ戻っていった。



◇  ◇  ◇



 事態が動いたのは、翌朝だった。


「土方さんが番所預かりに?」


 早飛脚がもたらした一報は、試衛館に激震をもたらした。文は屋敷の長である近藤が受け取った。早朝から近藤の自室へ呼び出された八郎達は、その内容に目を見開いていた。


 想定される中で、最も状況が悪い。いや、予想すらしていなかった事態だ。歳三本人の状況は書かれていないが、無事とは考えにくい。


「歳が身元引受人として、俺を指名してきた。もちろん、すぐに迎えに行くが、……お前たち、何か知っているんじゃないのか」


 ぐっと息を詰まらせた八郎を横目に、左之助が口を開いた。




「───そうか。大体わかった。とにかく歳が心配だ。後は帰ってからだ。すぐに出る」

「私もお供させて下さい!」


 八郎が腰を上げた近藤にすがるように進言した。その隣では総司も同じように頷いている。左之助はじっと黙って近藤を見つめている。


「では八郎君は一緒に。あとの二人はここで迎える準備を頼む。風呂を沸かして、床を用意してやってくれ。客間を使っていい」

「わかった」


 何か言いたげな総司を、左之助が手で制すると深く頷いた。近藤がそれに頷きを返してすぐに部屋を出て行った。八郎は二人に頭を下げると、急いで近藤の後を追った。




◇  ◇  ◇



 明るい朝の光が辺りを照らす中、近藤と八郎は小石川にいた。門番に近藤が名乗って用向きを告げると、不躾ぶしつけな視線を上から下まで浴びせられた。横柄な態度で、そこで待つ様に言うと門番は屋敷内に消えた。


 四半時ほど待たされた後、あくびをしながら出てきた番人が中へ案内した。終始態度を崩さない近藤と違い、その後ろに付き人よろしく付き添う八郎は、腸が煮えくり返りそうになるのを必死で押し殺していた。


 明るい場所から一転、瞬きを繰り返してようやく見えてくる薄暗いそこに、歳三は居た。対して広くない土間のど真ん中に寝ているのか、背中を向けたままぴくりともしない。


「市谷試衛館主あるじ、近藤勇とはその方か。こちらで預かっている、土方歳三の身元引受人に相違ないか」


 その声に歳三の身体が、ぴくりと揺れた。近藤は平身低頭頷いた。


「相違ありません」

「ふん、…多摩の百姓ふぜいか」

「確かに私は百姓の生まれですが、今は近藤家の跡目を継いでおります」

「百姓が田舎から金を集めて、道場経営か。えらくなったもんだな」


「……恐れ入ります」


 近藤はゆっくり頭を下げる。八郎は呆然と立ち尽くしていた。小石川と言えば、幼い頃より慣れ親しんできた地元の橋向こうである。


 大名屋敷に囲まれた町で生まれ、武家人ばかりと接して育ってきた八郎にとって、目の前のやり取りは頭を殴られたような衝撃をもたらした。信じていた世界が足元から崩れていく感覚に、胃の腐がせりあがってきそうだった。


 とはいえ、すべてを飲み込んでいる近藤の努力をここで無にする訳にはいかない。八郎は視線を地面に落とし、ぐっと唇を噛み締めた。


 そこでようやく八郎の存在に気がついたのか、番人がちらりと見て言った。


「そちらは誰だね」


 横柄な態度のまま八郎へ問いかけてきた。八郎はどう答えたものか示唆したが、正直に答えた。


「近藤道場に世話になっている、伊庭秀業が息子、伊庭八郎と申します」

「──は?」


 番人が口をあけたまま、目を見開いて固まった。


「えっ、あの、い、伊庭…って、御徒町おかちまちの練武館の…?」

「? ええ、そうですが」


 その驚き様に若干いぶかしみつつ、八郎が頷くと同時に、気怠そうな態度は一変した。


「そ、それは、大変失礼いたしました!」

「……は」


 呆気に取られたのは八郎の方だった。あっという間に歳三は番所預かりを解かれ、人が変わったかのように米つきバッタのごとく頭を下げられ、丁寧に門の外まで見送られた。


 手の平を返した相手にも、近藤は実に柔軟な対応をした。最初と変わらぬ態度を取り続け、番人にも後から慌てて出てきた番所役人にも丁寧に頭を下げ、歳三に肩を貸して番所を出た。


「さあ、帰ろう」

「……勝ちゃん、すまねえ」

「何を言う、当然だろ。さ、籠を呼んでくるから、少し待ってろ」

「あ、なら、私が行きます」

「いいから、いいから。少し待ってなさい」


 そう言うと近藤は路地裏に消えた。塀にもたれる歳三を改めて見た八郎はそのまま絶句した。陽の光の下に、すべてがさらけ出されていた。


「土方さん、ひどい怪我…っ」

「…大したこと、ない」

「どこがですか!」

「骨はやってねえ」

「そういう問題じゃ…」


 それでも言い寄る八郎を手で制すると、そのまま顔を覆って重い息を吐きだした。


「くそったれ…」


 事情を聞くまでもなく、番人らの態度からも冤罪えんざいの匂いがぷんぷんしている。そして近藤に対する態度と、八郎への態度。八郎がつい昨日、歳三に食ってかかった事が、目の前に現実となって体現していた。


 誰に対しても態度を変えなかった近藤は、尊敬に値すると思うと同時に、やるせなさが身の内に降り積もっていく。


「すみません…って、謝って済む事じゃないですけど」

「あんたは、関係ないだろ」

「…っ、……」


 つい半日前に少し近づけたと思った歳三との距離は、以前より開いてしまったように感じた。元から近づいたつもりで居たのは八郎だけだったのかもしれない。それ以降、近藤が戻るまで二人の間に言葉が交わされることはなかった。



◇  ◇  ◇



 同日、品川の下屋敷。朝のみぞぎを済ませたばかりの容堂の元へ、深尾が挨拶に訪れた。


「なんだ、やけに早いな」

「例の田舎侍ですが、少しばかりご報告が」

「…ああ。おい、下がれ」


 容堂は上座に座ると、脇息に持たれて小さく手を振る。控えていた侍従らが、頭を下げて部屋を辞していく。ぴたりと襖が閉められた所で、容堂が口端を上げた。


「朝早くから押しかけてきたからには、良い知らせなのだろうな」

「相応には」

「ふん。──申せ」



 深尾の落ち着いた声で部屋が満たされて行く中、容堂に暗い笑みが浮かんだ。


「ははっ、番所で夜を明かしたか。胸のすくことよ」

「小石川はかねてより便宜をはかっていましたので、手筈通りに相応のもてなしをしたと報告が」


 江戸の治安を守る奉行所の役目も持つ番所は、交通の要所ごとに置かれている。その重要度によって役どころは違うが、時に身元不明者を番所で預かることもある。それを悪用したのだ。


 正当なまつりごとにおいても、貢物で心証を良くするのは、人の古来よりの知恵ともいえる。ましてや後ろ暗い事案となれば、金が物を言うのは当然といえば当然だろう。地獄の沙汰も金次第、とは言いえて妙である。


「昨夜の仕置きは相当堪えた様です。さすがに、しばらく大人しくなるかと」

「深尾」

「はっ」


 容堂は帯に差した扇を手に取ると、口元を覆って声を潜めた。


「しばらく…でわしが満足するとでも?」

「いえ、まさか。承知しております」

「なら良い」


 扇をぱちんと閉じると、容堂は未だ笑いをかみ殺していた。


  


 主君の部屋を辞して畳廊下を行く深尾の背後に、一人の従者が近寄ってきた。深尾は歩みを止めぬまま抑揚のない声を上げた。


「何だ」

「小石川からの報告に、あの、少々追加がありました」

「追加…?」

「はい」


 そこで足を止めた深尾が、素早く辺りを見ましてから脇の小部屋の障子を小さく開けた。使われていない小部屋はとりとめのない調度品が、所狭しと置かれている。


 従者を引き入れると自らも部屋に入り、深尾は静かに障子を閉める。深尾が振り返るのを待って、従者は畳に片膝をついて頭を下げた。


「今朝、迎えが二人出向いて、かの者を放免したと先ほど知らせが」

「一晩でか。なんと手ぬるい…。こちらの要望が伝わっていなかったのか? 今しがた、殿に報告した所だというのに」

「申し訳ありませんっ。…ただ、ひとつ面白い事がわかりました」


 深尾は目線で続きを促した。


「かの者の所持品を押収した際、大刀が竹光だったそうで。事と次第によっては使える情報かと」

「竹光か…。分不相応な振る舞いのツケだろう。所詮、武士気取りということだ」

「ええ。あと、昨夜の〝もてなし〟の程度ですが、番太に任せていたと言う事で、どの程度だったか現在確認中です」

「早々に解放したのでは、あまり期待はできぬな。それで、迎えの二人とは?」

「はい。一人は本人指定の道場主、近藤勇なる人物。もう一人は意外な人物でした」


 ここで初めて深尾の表情にわずかな変化が現れたが、それもすぐに消える。


「名は」

「伊庭八郎と名乗ったそうです」

「伊庭…、練武館の小天狗か」

「はい」


 深尾は顎に手をやり少しだけ黙ると、おもむろに顔をあげて言った。


「確か、伊庭道場に協力を頼むと言っていたな」

「はい。昔の伝手で協力を得られたと、報告がありました。そちらはすでに昼には接触したはずかと」

「ふむ…」

「ただ、その際の報告にも伊庭八郎の名がありました。昨日はこちらが接触する直前まで、かの者と行動を共にしておりました」


 深尾は片眉をわずかに上げると、従者を見下ろした。


「伊庭はこちらに協力すると確認したはずでは?」

「それが…、協力関係にあるのは前当主である伊庭秀業個人のようでして。何やら事情があるらしく、現当主秀俊は無関心、嫡男である八郎は、少なくともここ数日、近藤道場で寝起きを共にしていた様でして」

「その事情とやらはどうでも良い。個人だろうと協力が得られるのなら、利用するまで。報告はそれだけか」

「いえ、あの小石川の対応が…その」

「なんだ?」


 言葉を濁した従者は深尾の温度の感じない視線に、再び頭を垂れて報告を続けた。


「予期せぬ伊庭八郎の登場で、対応に当たった番太らが、その…」

「申せ」


 淡々と声を紡ぐ深尾に、家臣はさらに深く頭を下げる。


「伊庭八郎の名に覚えがあったようで、文字通り〝丁重に〟放免いたした、と」


 床につきそうなほど首を垂れる従者を見下ろしたまま、深尾は深い息を吐いた。


「……下手を打たれては困るな。殿の立場上、やるからには徹底してもらわねば。ただでさえ、今は殿にとって大事な時だ。お前もわかっておろう」

「はっ。承知しております」


 深尾はおもむろに視線を上げた。見つめる障子の先には、先ほど辞してきた主君の部屋がある。


「殿の火遊びにも、困ったものなのだが…」


 対外的には謹慎中の身である。本来なら無暗に出歩くこともままならない。申し開きのできない行動は控えるべきとはいえ、鬱憤うっぷんを晴らしたい気持ちも理解できるだけに、深尾としては実に頭の痛い事案だった。


 感情をそのまま表す容堂に対し、影のように付き従う深尾は静そのもの。常に冷静沈着な静でありつづけている。彼の采配は一切の私情を挟まない。深尾は表情を変えぬまま、頭を切り替えた。


「それにしても、郷士は使えぬ。そうは思わぬか」

「はっ。おっしゃる通りです」

「うむ、今回の番所の件、そなたに任せる。しかと〝処理〟するように。次の手立てを早急に考えよ。殿はこの程度のもてなしでは、満足されておられぬゆえ、お主も肝に銘じよ」

「──はっ」


 未だ頭を下げたままの従者に背を向けると、深尾は障子を静かに開けて部屋を出て行った。


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