第12話




(二人、…いる)


 一人になってしばらくして、歳三は後をつけてくる気配に気が付いていた。いつの、どちらの客か、知るすべもないが、そのしつこさには閉口する。


(暇人かよ、一日付けまわしやがって…)


 苛つきは足取りに現れる。行きかう人の多い町家通りを大股で歩く歳三は、すれ違いざま一人の男と肩が当たった。


「っと、悪い」


 何気なく口にして相手の顔を見て、歳三が直観的に違和感を覚えた。


「──あ~、痛えっ! 肩が外れちまったよ」


(はぁ? なんだ? こいつ…)


 酔った風のその男は、大げさに肩に手を当て、わざわざ周りに聞こえるような大声をあげている。そのくせ、男から酒の匂いはしない。徐々に人の視線が集まる中、歳三は一瞬途切れた後ろの気配を慌てて探った。


(くそっ、気が逸れちまった)


 素早く辺りに視線を巡らせるが、集まってきた人に紛れてわからない。その間もぶつかった相手はある事ない事、大声を上げ続けている。


(力ずくで押しとおる事もできるが、面倒だな…)


 歳三は見た目には立派な武士である。むしろ見目だけでいえば、未だ下手な芝居を打っている目の前の男より、身なりがいい。対してそいつは、無精ひげに清潔さのかけらもない髷、くたびれた着物は上下とも黒い。


(──上から下まで黒…まさか、こいつ!)


 歳三の頭に一つの可能性がよぎった瞬間、唐突に後ろから両手を掴まれた。


「っ…」

「揉め事は困るちや…ちいっと来てもらうが」

「おい、離せっ、俺は何もしていない」


 いつの間にか人混みの中に、同じ黒ずくめの男が二人、後ろから歳三の両腕を抑え込んでいた。その姿を確認し、疑惑が確信に変わった。


(やっぱりこいつら…、いつかの夜の!)


 体格の良い男二人に腕を取られては、身じろぐのも難しい。苦し紛れに肘を打ち込むが、不発に終わった。


「離せっ! おいっ、どう見てもなんともねえだろうが!」

「言い訳は番所で聞くろ」

「…番所? 冗談じゃねえ、離せ!」


 あっという間にできた人垣は、気の毒そうに見守るものの、帯刀する相手に町人が口出しできるはずもなく、辺りを見回す歳三の視線を避けるように顔を俯かせるばかりだった。


「──くそったれ!」


 どこから出したのか、後ろ手に縄をかけられ、引きずられていく。しきりに痛がっていた男は、いつの間にか姿を消していた。



◇  ◇  ◇



──ジジ…。


 行燈の灯のはぜる音が静かな店に響いた。狭い店内にありとあらゆる物が雑多に並べられている。


 その店の奥まった場所に、小さな椅子を並べて男が三人が顔を付き合わせていた。総司と左之助、それとこの店の店主だ。


「──じゃあ、その荒っぽい奴らに追われるように立ち去って、それきりか」

「ええ、丁度昼八つの鐘が聞こえたすぐ後でしたな」

「………」


 案内された店主の店は、二人が居た目と鼻の先にあり、見落としそうに小さな『質』の看板が掲げてあった。店に戻り説明するという店主に、もう一人の若い男は店終いがあるからと出てきた店の中へ戻っていった。


 今日、歳三の一件で知り合ったという二人は、彼らが去った後、すっかり意気投合したらしい。何が縁を結ぶかわからないものである。


「お品を預かってすぐ、急に体調を崩しまして。しばらく店を閉めとる間に、あん人には何度も無駄足を踏ませてしもうたようで。すぐ買い戻す算段やと伺ってましたのに、申し訳ないことをしました」


「……なるほど。それで業を煮やした土方さんが、向かいの店の男に知らせる様、頼んでたと。──…今日受け取った文は、それか」

「………」


 総司は黙って小さく頷いた。朧気おぼろげながら線がつながってきた。歳三と一緒に居たという男は歳格好からして八郎で間違いない。


 いつ合流したのかわからないが、連れだってここまで来て居ても別段おかしい話ではない。八郎の実家と道場は、ここからすぐ目と鼻の先である。


 それよりも気になるのが、二人を追っていたという奴らである。もし預かった文の相手ならば、かなり厄介…というより、既に取返しのつかない事態に陥っている可能性もある。


「あの二人のことだから、取っ捕まるってこたぁない……と思いてえが、こんな時分になっても戻って来てねえのは、ちぃと気になるな」


 外はすっかり夜のとばりが降りている。門前町でもこの通りは昼営業の店が多いのか、夜は人通りがほとんどない。


「明日も朝から店は開けるつもりではおりますが、どうにも気になりましてな…」


 店主が小上がりの小さな座敷の奥から、一本の刀を出してきた。


「え、それっ…」

「あん人から預かったお品です」

「──…あ~あ、バレちゃった」


 目を丸くした左之助の隣で、総司が呆れた声を上げた。総司と刀を交互に見た左之助は、ようやく全てを理解する。


「あ~…、そういうことか、そりゃ是が非でも買い戻さねえことにはらちが明かねえわな。───あ、ってことは、土方さん、今、何下げてんだ?」

「そんなの、決まってるでしょ」

「え。まさか…」

「そのまさかです」

「……嘘だろ、おい。この状況でそりゃねえわ。……いやいや、ねえわっ」

「だから、馬鹿なんですよ」


 二人のやり取りを静かに見守っていた店主が、口を開く。


「本来は証文と引き換えですが、……わしはお二方になら預けてもええと思うとります。持って行きなさるか? お代は後で構いません」


 明後日の方を見ていた総司が、無表情に店主の方を見る。その先には畳の端に差し出された歳三の愛刀がある。


 目の前に置かれた刀を見つめて、それぞれ黙り込んだ。少しの静寂の後、左之助が緩やかに首を振った。


「──いや、申し出はありがたいが、あの人のもんを俺らが持っては行けねえよ」

「……そうですか」

「心遣い、感謝する」

「いえいえ、こちらこそ不躾ぶしつけな事を申しましたな。どうぞお忘れ下さい」


 口を挟まない所を見ると、総司も左之助と同意見なのだろう。店主はそれ以上何も言わず、しばらく話をした後、明日も店を開けることを約束して、店の外で別れた。




 人気のない通りを歩きながら、左之助が星の瞬き始めた空を見上げた。


「居どころがわかんねえんじゃ、預かってもしゃーないよなー」

「まあ、戻るって言ってたんだから、本人がどうにかするでしょう。ていうか、いい加減腹減りました」

「俺も。よし、飯食うか」

「そうしましょう。手がかりがないんじゃ、探しようがない」

「そんじゃ、吉原行くかぁ」


 左之助が上機嫌にはなった言葉に、総司が目を瞬かせた。


「──は? あなた、何言ってんですか」


 一気に下降した機嫌を隠しもせずに総司が声を低くする。左之助は楽し気に総司の肩を抱き込んで笑った。


「いいじゃねえか、吉原。たいして美味うまくねえ料理に綺麗な女。言うことなしだろ?」

「ありまくりですよ! 左之さん、お一人でどうぞ。僕はごめんです」


 冷たく言い放って背を向けた総司を、左之助が慌てて追う。後ろから肩に腕を回し、顔を覗き込んだ。


「冗談だって! 俺だってそんな金ねえよ。まぁ、後で覗きに行きゃいいか。それならいいだろ」


 肩に回された腕を指でつまみ上げながら、総司はわざとらしく息を吐いた。


「最初からそう言ってくれます? ほんとあなたって人は…」

「わりわりっ。はー、それにしても、よく大店なんか通えんなー、土方さん」


 小さく頭を掻くと名残惜し気に吉原の方向を振り返った。その様子を横目に総司はため息をついた。


「だから文無しなんでしょっ」

「ははっ、そういやそうか。通う男も大変だけど、花魁も大変だよな。客が付かなくても困るし、面倒臭えのに目を付けられても困るし」

「……花魁絡みって、まさか本当に女の取り合いですか」

「相手の方が難癖つけて来たんだかんな。あんまり土方さん、いじめんなよー? ──さぁ、何食うか」


 足取り軽く左之助が先導する。天下の浅草門前町。通りの向こうに提灯に明々と照らされた店が見えて来た。


「僕は腹に入れば別に、味は問いません」

「おまえ、もう少しこう…」


 今度は左之助が嘆息する番だった。夜の町を男二人、連れ立って歩いて行った。



 ◇  ◇  ◇



 夜五つ半頃、腹を満たした二人が、再び浅草門前を通りかかった時、例の質屋の前で誰かがしきりに戸を叩いているのが見えた。


「──左之さん、あれっ」

「おう」


 足早に近寄っていくと、木戸を叩いていた男が振り返った。


「───八郎さん!」

「え、総司さん…と、原田さん? どうしてここに…」

「いやいや、そりゃこっちの台詞だ」


 目を丸くしたのは一瞬で、すぐに顔を険しくして八郎は二人に向き直った。


「土方さん、見ませんでしたかっ」

「え?」


 ただならぬ八郎の様子に、二人の顔がさっと険しくなる。


「何があった」


 左之助が重々しく言った。



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