第32話 お墓参り

 せっせとお墓を掃除している諒太郎の汗ばんだ体を、さわやかな風が心地よく包んでいく。


 ウヨのお墓参りに来たのはいつぶりだろうか。


 もう長いこと来ていなかった。


 お墓に刻まれたウヨの名前を見ると、ウヨはもうこの世にいないんだという現実を突きつけられるような気がして、近寄らなくなってしまったのだ。


 世界で一番嫌いな場所だといっても過言ではなかったと思う。


「バカだよなぁ、俺って」


 そんな場所にまた、来られるようになった。


 墓石って意外と輝いているなぁ、なんて思っている自分が、少しばかり信じられない。


「本当に、バカだ」


 ここに来なくなった本当の理由は、自分の過去と向き合いたくなかっただけなのだ、と諒太郎は磨き終えたお墓を見て思った。お墓の前に立てば、いやでも過去を思い出して、後悔の渦の中に投げ出され、惨めになる。自分が苦しみたくないからという身勝手な理由で、ウヨを長い間放ったらかしにしてしまっていたのだ。


 ウヨのお墓の前で手を合わせて目を閉じ、「ごめんな」と心の中で謝る。


 ようやく、本当の意味でいろんなことを謝れたと思った。


 心にずきりと痛みは感じたけれど、その痛みは泰道諒太郎という人間が背負うべきものだと思うから、しっかりと受け入れる。その痛みが心の中にあることを忘れてはいけない。大切な人を傷つけたという過去を忘れてはいけない。


 でも、今回はそれだけで終わらない。


 取り返しのつかない過去に想いを馳せるだけじゃない。



 ――ウヨ、俺、生きていくことにしたよ。誰かの大切な人になりたいんだ。



 その覚悟を、ウヨの前で宣言する。


 これからのことを、未来への希望をウヨに伝えられるようになった。


 それがものすごく嬉しかったし、本当は最初からそうしなければいけなかったのだと、諒太郎は今、そう思っている。


 ウヨは喜んでくれているだろうか。


 重苦しい空気をずっとまき散らしていたんじゃ、ウヨだって見ていて辛いだろう。笑っている姿を見せないと、ウヨも安心できないよな。


 笑ってくれないよな。


 そんな簡単なことに気づけなかったなんて、本当にバカだ。


 ゆっくりと目を開けると、日差しがとても眩しかった。


「なぁ」


 隣で合掌している神薙花火に声をかける。彼女はちょうど目を開けたところだった。どうやら神薙もウヨとの対話を今、終えたらしい。


「神薙。今日はありがとな。来てくれて」


「あなたが誘ってきたんだから、来ないわけにはいかないでしょ」


「なんで?」


「私にも、思うところがあったのよ」


 目を細めた神薙が、ウヨのお墓をそっと指先でなぞる。


 彼女の言う通り、今日は諒太郎から神薙を誘った。


 神薙に、ここで伝えなければいけないことがあったから。


「あのさ」


「私は」


 同時にしゃべり出してしまった。一瞬の空白ののち神薙が言葉を続けたので、諒太郎は順番を譲ることにする。


「私は、あなたを恨むことで自分の中にあった醜いものを、見て見ぬふりしてた。あなたのせいじゃない。そんなことはわかっていた。私がどれだけ頑張っても、ウヨとウタの関係性には敵わないんだって、絆以上のつながりの間には入れないんだって、ずっと嫉妬してたのかもしれない。だから、これまで私はあなたにひどいことをして」


「もうそういう話、なしにしないか」


 彼女の目に涙が見えたから、諒太郎は言葉を遮った。


 神薙が驚いたように目を見開く。


 諒太郎はにっと口角を上げた。


「ウヨの前ではさ、笑っていたいじゃん。笑ってる姿を見せたいと思うじゃん。見たがってると思うじゃん」


「……そうかもね」


 流れ落ちそうになった涙を拭った神薙が、ようやく笑顔を浮かべる。それから、その笑顔のまま、神薙はもう一度ウヨの眠るお墓に手を合わせて目を閉じた。


「私、あなたのことが、好きでした」


 とても素敵な告白だと思った。


 彼女が手をおろした時に、袖口から茶色の細かな粒が落ちていった気がするが、まあ、そんなことはもうどうでもいいか。


「そうだ。カナタ」


「ん?」


 諒太郎がカナタと呼ぶと、神薙は普通にこちらを向いた。


 おい、もっとなんか反応しろよ。


 こちとら初めてお前をそう呼んだんだぞ。


「あの、俺、さ」


 諒太郎はそこで言葉を止めて、ウヨのお墓に手を伸ばした。太陽の熱で思ったより熱くなっている。こうしてウヨと手をつないで、この場で宣言しなければならないと思ったことを、すがすがしい気持ちで、うそですちょっとだけ恥ずかしいけれど、口にする。


「今の高校で、成績、一位を目指そうと思ってるんだけど」


 諒太郎の宣言を聞いた神薙は目を見開いた後、くしゃりと笑った。


「そっか。じゃあ私も、一位、また目指そうかな」


「だったら一緒の塾にでもいくか?」


「それなら私たちの勝負、再開しないとね。負けるつもりないから」


「俺だって負けないさ」


 二人の笑い声が空へと突き抜けていく。


 久しぶりに神薙と笑い合ったなと、諒太郎は思った。


「ねぇ、ウタ」


 二人でひとしきり笑い合った後、神薙がスマホを取り出す。


「今日のお礼がしたいんだけど、来週の日曜日って、空いてる?」


「自慢じゃないが、俺は結構暇人なんだ」


「おっけー。んじゃ、ウタもコスプレオフ会に参加っと」


「はっ? コスプレ?」


「暇だって言ったじゃない」


「その後出しズルくねぇか」


「ウタも来るって、今リサに伝えちゃった」


 それで、これがリサからの返事。


 神薙が白い歯を見せながら、スマホの画面を諒太郎に向ける。


《ほんとに? じゃあ私がリールス大佐の衣装作るね!》


 リサの喜んでいる姿が脳裏に浮かんで、諒太郎は断ることができなくなった。


 こいつ、いや、もしかしてこいつらグルかよ。


 はめやがったな。


「仕方ねぇ。一回だけな」


「それでいいのよ。それで」


 神薙は悪戯が成功した子供のように笑っている。


 諒太郎のスマホにもメッセージが届いた。


 リサからだ。


《カナタから聞いた! 衣装作るから採寸させてほしい。今から来れる?》


 ああ、もう逃げ道はないのですね。


 しょうがねぇなと、諒太郎は開き直ることにする。


 こうなったら、とことん楽しんでやろう。

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