第31話 本当の気持ち
聖澤の家の前で、担任の鈴木が頭を下げていた。
「すみません。私の力が及ばず」
鈴木の謝罪を見て思う。
ああ、応接室でやった自分のそれは、今みたいに惨めだったのだと。
「本当です。娘がああなったのは」
「どけ!」
クソババアの声を遮りながら、諒太郎は頭を下げていた担任を押しのける。
「……は、泰道?」
よろめいた鈴木は、砂の瞳で困惑を現した後、尊いものでも見たかのように、満足げに笑った。
「ちょっと、なに?」
クソババアが表情を歪めるが関係ない。そんな彼女を押しのけ先に進もうとするも、聖澤の父親に腕を掴まれてしまった。
「なんだね、いったい。君の存在は娘のためにならないと」
「うるせぇ。お前らなんかにリサを任せてられるか!」
諒太郎は二人に向けて怒鳴り散らす。
「お前らは最低だよ! なんで自分たちに非がないような行動を取れるんだ!」
「は? ふざけないでよ!」
聖澤の母親が口火を切る。
「あの子はねぇ、あなたに会うまで礼儀正しくちゃんと育ってきたわ。頭が痛い、なんて簡単にばれるうそをついて学校を休むような子じゃなかったの」
「なんでそれがうそだってわかんだよ! お前らはリサじゃねぇだろ!」
諒太郎は、両親がそれをうそだと決めつけていることが、一番許せなかった。
「お前らの中の娘じゃなくて、今ここにいる娘を信じてやれよ!」
「私たちの娘はそんなうそをつかないと言っているじゃないか!」
今度は父親の声が荒くなる。
「だからなんだよその理屈。お前らの信じてる娘は、お前らが心の中に作り上げた、お前らが理想としてる娘の方だ!」
「話にならん。娘がうそをついて騙そうとしたことに変わりはない」
「ほんとにそうなのかよ? お前らが最初に裏切ったんじゃねぇのかよ。本当のことを言ったリサを信じてやらなかったから、リサは失望して、真実を言わなくなったんじゃないのかよ。うそじゃないかもしれないだろ! 今この瞬間! 頭が痛くて苦しんでるかもしれないだろ!」
自分のことを一番信じてほしい存在の親に、本当の自分を信じてもらえない。
言ったことすら信じてもらえない。
そんなの悲惨すぎる。
「娘がいきなりお前らに対してうそをつき始めたって言えるのかよ。頭が痛いってことすら信じてくれない親になんか、俺だったら、苦しい時に寄り添ってくれない親なんかに俺は! 死んでも本当のことなんか言うもんか!」
糾弾しながら思う。
ウヨもたぶん砂の鎧をまとっていた。
本当の自分にうそをついて、他人の期待に応えるため、神童と呼ばれる人間を演じていたのだから。
「リサはな、お前らの理想の娘を演じることに疲れてんだよ! まだそれがわんねぇのかよ!」
聖澤の父親を睨みつけると、諒太郎の腕は自由になった。
「俺がリサを救う」
諒太郎は聖澤の両親を置き去りにして、階段を駆け上がる。
リサの部屋の前に立ち、扉を何度もノックする。
「リサ! リサ!」
彼女が返事をしてくれるまで、この部屋から出てきてくれるまで、たとえこの声が枯れ果てようとも、彼女の名前を呼び続ける覚悟だ。
「リサ! 離れろなんてうそだ! かかわりたくないなんてうそだ! 俺とずっと一緒にいてくれよ!」
扉の向こうからは、なにも聞こえてこない。
それでも、彼女の心に届くと信じて、諒太郎は叫び続ける。
「俺はこれからも、ウタでいたいんだよ!」
「……私は」
ようやく扉越しに彼女の声が聞こえた。
涙の混じった弱々しい声だ。
「私は、ウタのそばにずっといていいの?」
「ああ、俺のそばで、ずっとリサでいてくれ」
「信じていいの?」
「もちろんだ」
「じゃあ、私が出ていくまで、待っててくれる?」
「当然だろ。リサが出てくるまで、俺のことを信じていいと思えるまで、ずっとここで待つさ」
それくらいお安い御用だと、諒太郎は扉に背中を預けて座る。
彼女の信頼が回復するまでじっと待ち続けるくらい、なんともない。待ちたい。寄り添っていたい。また笑顔が見たい。楽しいを提供してほしい。楽しいを提供したい。彼女の大切な場所でありたい。
諒太郎は、胸の中に湧き上がってきた思いを尊く感じていた。
だから、彼女のためならいつまでも待ち続けられると、そう思った。
***
部屋の中で、翼は立ち上がった。
ウタが来てくれた。
扉の前で、私のことを待ってくれている。
私のことを本当の意味で理解してくれた、認めてくれたウタにできることはなんだろう。
勇気の炎が燃え上がる。
翼は、机の上のメイク道具を手に取った。鏡の前で、カナタさんからもらったとある写真を見ながらメイクを施す。この日のために私はメイクの技術を磨いたんだ。コスプレを好きになったんだ。そんな気がしてならなかった。ウタを救うために、私は、私たちは、出会ったんだ。
「待ってて、ウタ」
これまでにないほど集中している翼の体から、砂の鎧が、ぼろぼろと落下していく。
***
扉の前で座ってから、どれくらい経っただろう。
わからないけれど、リサのために、大切な人のために、なにもせず待っているこの時間がすごく愛おしく思えた。
砂で覆われた掌をぎゅっと握りしめる。
体の奥がうずいている。
ものすごくどきどきしていた。
「……ウタ」
ようやく、扉の向こうから声が聞こえた。
「もう、大丈夫だよ」
「リサ!」
立ち上がって、ドアノブに手が触れるか触れないかのところで動きを止める。
「本当に開けて、いいのか?」
「……うん。今すぐ会いたい」
諒太郎は息をのんだ。昨日会っているのに、なんだか彼女と会うのがものすごく久しぶりに思えた。いや、これまでは泰道諒太郎として会っていたのだから、ウタとして会うのはこれが初めてだ。
「じゃあ、開けるぞ」
ドアノブをぎゅっと握りしめ、ゆっくりとドアを開ける。
「リサ、昨日は――」
瞬間、諒太郎はなにも言えなくなった。
目を、この世のすべてを疑った。
なぜなら、
「――ウヨ」
目の前にウヨが立っていた。
死んだはずのウヨが、彼の希望通り女の姿になったウヨが、微笑みを浮かべて、こちらをじっと見つめている。
「……ウヨ、ウヨ!」
涙が止まらなかった。膝から崩れ落ち、そのまま腰に縋りつくようにしてウヨの体を抱きしめる。ウヨの足元には、背後には、ウヨの体から落ちたのであろう無数の砂が大量に散らばっていた。
「ごめん、ウヨ。俺は、あの時ウヨを否定して、ずっと謝りたくて!」
ウヨが抱きしめ返してくれる。
暖かい、甘い、匂い。
リサがウヨに似せたメイクをしてくれている。
だから目の前にいるウヨはウヨじゃない。
わかっている。
けどそうじゃない。
そういう現実じゃない。
心の問題だ。
リサの優しさが嬉しい。
償う機会をくれた。
彼女の「待ってて」は、俺のためでもあった。
ありがとう。
リサがウヨになってくれた。
俺があの時茶化さずに、肯定していた時の未来を、リサがくれた。
間違いなくウヨが目の前にいるんだ!
「ねぇ、ウタ。私の今の姿、どうかな?」
優しい声で、そう問われる。
そんなの、そんなの決まってるじゃないか。
「すげぇ似合ってる。可愛いじゃん。素敵だよ」
ウヨにそう伝えた瞬間、諒太郎の体に纏わりついていた砂の鎧が、ぼろぼろと崩れ落ちた。
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