第30話 やっぱり、俺は

 やはり、この世界の人間は砂の鎧で覆われているのがデフォルトらしい。


 教室に入ると、視線を一心に浴びた。


 でもそれは諒太郎が聖澤の両親に呼び出されたからで、諒太郎が砂の鎧をまとっているからではないと思う。


 それもそのはず。


 クラスメイトもみな、砂の鎧で覆われているのだから。


 その後に来た英語の先生も砂の鎧をまとっていた。


 みんな同じなんだ。


 英語教師の流暢な発音を聞きながら思う。


 黒板の英文をノートに書き写し、指名されれば教科書の英文を音読する。日本中の学生がやっているのと同じ行動を自分も同じようにやっている。


「…………あ」


 シャーペンを動かしていた手を止めた。


 いつの間にか、砂の鎧が薄くなっていた。


 消えているや、ボロボロ崩れ落ちていくではなく、薄く透明になっている。人間本来の肌色を視認できて、感動すら覚えた。


 顔を上げると、他のクラスメイトの砂の鎧も、教師の砂の鎧も、自分のそれと同じように薄くなっている。


 そういうことか。


 またも起こった状況の変化に、困惑していないといえばうそになる。


 けれど、それよりも納得感が強かった。


 みんなと同じだと認めたから、砂の鎧を認めたから、砂の鎧が見えなくなっていくのだ。


 見えている必要がないから。


 砂の鎧をまとったままの自分で生きていこうと決めたから。


「……そうか」


 諒太郎は思う。


 自分の体が砂に支配された瞬間に他人の砂の鎧が見えるようになったのは、【みんな同じだから安心しろ】と感じさせるためなのかも、と。


 だから、その生き方を受け入れれば、砂の鎧は見えなくなる。


 よくわからない理論なのに、なぜかそれが正解なのだと、本能レベルで悟っていた。


 授業終了のチャイムが鳴る。


 英語の先生が退出すると、クラスがざわつき始める。


「おい、お前が話しにいけよ」


「やだよ。だって俺、泰道と話したことねぇもん」


「でも、あいつがかかわってるんだろ?」


「おそろのキーホルダーつけてたよね」


「今それあいつつけてないぞ?」


「え、じゃあ別れたショックで不登校?」


「そんな」


「心配だよね」


「だね」


「どうしちゃったんだろう」


「そんなので休むような人だったのかな翼って」


「ってか泰道と話すって、翼そんなキャラじゃなかったよね」


 彼ら彼女らの声が、嫌でも耳に入ってくる。


 いいんだ。


 聖澤なんか関係ない。


 知らない。


 もう赤の他人なんだから。


 そう思っているのに、聖澤の話題が出るだけで、凪いでいた心に漣が立つ。


 キャラ?


 そんなことで休むような人?


 聖澤翼という人間を勝手に決めつけて、勝手に期待して、勝手に失望すんなよ。



 ――ウタ。



 心の中で誰かの優しい声が響く。


 誰だ、この声は。



 ――私は、ウタにも笑顔になってほしいんだよ。



 この甘ったるく脳にとどまる声は、間違いない。


 リサのものだ。



 ――なぁ、ウタ。



 今度は違う声、男の声だ。


 懐かしい、胸の内を激しく弄られるような、そんな声。



 ――俺さ、男が好きなんだよね。



 ウヨだ。


 ウヨの声がする。


 ウヨはあの時、どんな思いでその事実を告げたのだろう。


 それを諒太郎は拒絶した。


 俺は、そんな俺を恨んだんじゃないのか!


「そうだ」


 諒太郎ははっと顔を上げる。


 ウヨは最後まで普通に生きることに抗おうとしていた。みんなが敷いた神童という名のレールの上じゃなく、近藤洋平として、ウヨとして生きようとしていた。


 それを否定したのは、誰だ?


 ウヨの心の在り方を否定したのは誰だ?


 泰道諒太郎だ。


 そんな自分を否定したくて、ウヨの本心を認められなかったことが悔しくて、情けなくて、それで後悔していたはずだ。


「翼、大丈夫かな?」


「明日は来るよね?」


「さぁ、泰道がいる限り来られないんじゃね?」


 じゃあ、リサの本心は?


 わからない。


 わかるはずがない。


 わかろうとしていなかっただけ、じゃないのか?


 リサはおそろのキーホルダーをプレゼントしてくれたのに、勇気を出して教室で話しかけてきてくれたのに、コスプレ好きを伝えてくれたのに、ウタというあだ名をつけてくれたのに、一緒に遊んでくれたのに、笑顔になってほしいって言ってくれたのに、楽しいを提供したいと言ってくれたのに。


 じゃあ、俺は?


 そんな泰道諒太郎は、リサをどう思っている?


 ウタは、リサのことをどう思っている?


「なぁ、やっぱり泰道に聞こうぜ」


「あいつのせいなんだろ?」


「翼、心配だよね」


 クラスメイトのひそひそ話は止まらない。


 諒太郎に対する攻撃的な意見も増えてきた。


 彼らはリサを心配――いや、彼らが本気で心配なんかしているわけがない。無駄に猫をかわいがる人と同じように、クラスメイトを心配してる私って思いやりのあるいい人間でしょ? と他のクラスメイトにアピールしているのだ。


 せっかく我慢して、本心を押し殺して、俺がリサとのかかわりを絶ったのに。


 お前たちにリサを任せようとしたのに。


 こんなの、あんまりじゃねぇかよ。


「ふざけんなよてめえら!」


 諒太郎は、大声で怒鳴りながら立ち上がった。


 机を掌でバンと叩くと、クラス中のすべての視線が集まった。


「なんだよそりゃあよぉ! ふざけんなよ! 俺はこんなやつらのために身を引いたってのかよ!」


 本当にこいつらは、どうして。


 リサといつも話してたんじゃねぇのかよ!


「心配なら、なんで会いにいかない! ひそひそ話すだけ。心配してるふりだけ。授業なんかほっぽりだして会いにいけよ!」


 この言葉は、さっきまでの自分に向けても言っている。


「なぁ! どうしてだよ! お前らはあいつの友達じゃなかったのかよ!」


 本当の自分は、ウタは、リサとずっと一緒にいたいと思っている。


 諒太郎がしゃべり終えると、教室内はしんと静まり返った。


「こんだけ言っても動くやつはいないんだな。もういい。俺がいく! ふざけんなよ!」


 諒太郎は沈黙で固まった空気をぶっ壊すようして突き進み、教室を飛び出す。


 心のままに。


 リサのために。


「リサッ! 俺が悪かった!」


 諒太郎は思う。


 やっぱり俺は、どんなに落ちぶれても。


 ウタになりたい。


 ウタでいたい。


 ウタがいい。


 聖澤から与えられたものの大きさには敵わないかもしれないけど、それでもリサのために動きたい。


 ウヨに続いてリサまでも見捨ててしまうような人間ではいたくないんだ!


「リサっ! 待ってろ!」


 昇降口から外に飛び出すと、満点の青空が諒太郎を迎えてくれた。

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