閑話4 もに、もに ~諒太郎、中学時代の話~
「職業体験さぁ、希望どうする?」
中学からの帰り道。
頭の後ろで両手を組んで歩くウヨが聞いてきた。
「まだ決めてない。消防署だけはやだけど。きつそうだし」
二人が通う中学では、二年生の六月に職業体験というイベントがある。地元の企業等にいって、二日間そこで働いて社会経験を積むというものだ。
「たしかに。俺、腕立て十回もできねぇ」
ウヨがこれ見よがしに二の腕の筋肉を見せつけてくる。
「さすがに、それは非弱すぎじゃね」
諒太郎もウヨに対抗して力こぶを作る。
「ウタもそんな変わんないじゃん」
けらけら笑いながらウヨが諒太郎の膨らんだ上腕二頭筋に触れる。
もに、もに。
マッサージでもされているかのように、ゆっくりと二回、親指と人差し指で挟むようにもまれた。
「と思ったけど俺よりはあるのか。まさかドーピング? お前、そんなことするやつだったのかよ! そんなことして嬉しいのか!」
「してねぇよ。こんなに成果が出ない薬でアウトなら、たんぱく質を豊富に含んだ鶏むね肉すらアウトだわ!」
そんなアホみたいなやりとりでも、友達同士だと世界一面白い話になる。
二人は互いの力こぶを触り合いながら笑い続けた。
「でもさ」
交差点で信号待ちのために立ち止まった時、ウヨがそれまでとは違うしんみりしたトーンの声を出した。
「職業体験なんて、意味ねぇよな、ほんと」
「なんで?」
「中学生がやらせてもらえるのなんて大した仕事じゃないし。今回のリストには俺がやりたいものはなかったし」
「じゃあ、ウヨはなにやりたいの?」
「まだわかんねぇ」
「わかんねぇんかい!」
「そういうウタは?」
「まだわかんねぇ」
「そっちもわかんねぇんかい!」
ウヨが軽快にツッコんだところで信号が青に変わる。二人で横断歩道を渡り、ちょうどその真ん中くらいで、ウヨがまた頭の後ろで両腕を組んだ。
「俺たち、大人になったらどんな風になってんのかなぁ」
「知らねぇけど、ウヨはなんかすごくなってそう」
「なんかってなんだよ?」
「会社とか作ってたり?」
「なんだそりゃ」
ウヨが苦笑いを浮かべる。ということは、そんなつもりはないのか? なんて思っていると。
「でも、ウタとは大人になってもこうして一緒に歩いてる気がするわ。歳を重ねて、いろんなことが変わっても、変わらない気がする」
「いきなりクソさみぃこと言ってんじゃねぇよ」
諒太郎はそう茶化しつつ、嬉しいことを言ってくれたウヨの気持ちに応えようと。
「でもまぁ、とりあえず二十歳になったら、一緒に酒飲もうぜ」
「うわぁ、さむっ。オーロラ見えるかと思って空見上げちゃったじゃん」
「ウヨてめぇ裏切ったな。お前が先に言いだしたんだろ」
「寒いものは寒いんだよ」
逃げていくウヨを諒太郎は追いかけていく。ウヨと過ごすバカげた日々は、オーロラに匹敵するほどカラフルに輝いている。
***
「もしもし、泰道くん」
その日の夜、突然神薙から電話がかかってきた。
「なんだよいきなり。わかんない問題でもあったのか?」
「そんなわけないでしょう。あんたたちになんか死んでも聞かないから」
神薙は謎のライバル意識をまだ持っている。
早く諦めれば楽になるのに。
「俺に対してのライバル意識ならわかるけどさ、ウヨは別世界の人間なんだから、素直に聞いとけって。すげぇわかりやすいから。めっちゃ効率的だぞ」
「私はまだ別世界だなんて思ってない。いつか必ず勝つって決めてるの。ってかそもそもその話じゃないって言ってるでしょ」
「じゃあなんの話だよ」
そう聞くと、神薙は少しだけ黙った。
「明日、あんた近藤くんと遊ぶんでしょ?」
「……は? なんで神薙がそれ知ってんだよ」
諒太郎はちょっとだけ寒気を感じた。今日の帰り道で唐突に決めたことなので、神薙が知っているはずがないからだ。
「近藤くんが言ってたのよ。さっきまで電話で話してたから」
「なんだ、そういうことかよ」
「うん。……そういうこと」
神薙はまた黙る。だから、お前から電話してきたんだろ。
「いいかげん本題を話せよ。お前も一緒に遊びたいのか?」
「違うわよ。そんなんじゃなくて……、そんなんじゃ、なくて……」
神薙の声が震え始めたので、何事かと諒太郎は身構えた。
もしかして、重い話?
「あんたは、近藤くんの親友、なのよね」
「……は?」
「だから、親友なのよね」
「そうだけど。そんなこと当たり前のことが聞きたかったのかよ」
諒太郎は肩透かしを食らったような気分になった。
わざわざそんなことをたしかめてなにがしたいのだろう。
「そんなこと……そんなことなんだけどね、一応たしかめておきたくて」
「なんで?」
神薙らしからぬ歯切れの悪さが、妙に引っかかる。
「それは、……とにかく! 私はあんたを信じてる。それが言いたかっただけ!」
謎に怒鳴りながら言って、神薙は一方的に電話を切った。
「おいっ、……なんだよ、いったい」
神薙はなにがしたかったのか。まったくわからない。不審に思いつつも、諒太郎は学校の宿題にとりかかることにした。
ただ、今になって考えれば、この時神薙がなにを伝えたかったのか、はっきりとわかる。
心の準備をしておけよ、と言いたかったのだろう。
まあ、その真意に当時気がつけていたとして、なにかが変わっていたかどうかは、わからないけれど。
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