第15話 ミルクココア
諒太郎にとって地獄とも呼べたあの日――神薙に連絡をしてから、二週間がたっていた。
毎度おなじみの黒のジャケットを羽織って、最寄りの
「まだ三十分もあるのか」
スマホで時間を確認すると、午前九時半だった。
休日の、しかも朝から遠出することなどない諒太郎がここに来た目的はただひとつ。
聖澤と待ち合わせをしているのだ。
ちなみに、なぜ聖澤と最寄り駅で待ち合わせしなかったかと言うと、それは聖澤がクラスで築き上げたキャラを守るためである。諒太郎たちの最寄り駅は、当然クラスメイトの最寄り駅でもある。クラスでボッチなやつと一緒に行動しているとこなんて見つかったら大変だからね。
「あいてるとこは……」
諒太郎は、前の壁がガラス張りになっていて駅構内が見渡せるカウンター席に座り、持ってきていた大剣女子戦記をリュックから取り出す。ちびちびとコーヒーを飲みつつページをめくっていると、すぐに待ち合わせ時刻の五分前になった。
《もう着いてる?》
スマホに聖澤からのメッセージが届く。
《カフェにいる》
《おけ。待ってて》
諒太郎は大剣女子戦記をリュックの中にしまった。顔を上げてコーヒーショップの外を見ると、海外旅行か! ってくらいの大きさのキャリーケースを持った聖澤がいた。帽子を深くかぶり、赤フレームの眼鏡とマスクで完全防御しているので自信はないが、きょろきょろしているので間違いない。どうせ着替えることがわかっているからか、この前家にいった時と同じく短パンにTシャツというラフな格好をしていた。ってかそこまで変装するなんて、よほど一緒にいるところ見られたくないんですねぇ……。
なんてことを思いつつ、諒太郎は聖澤に《中だよ、中》とメッセージを送った。
ミーアキャットのような動きを止めた聖澤が、ポケットからスマホを取り出す。
ようやくこちらに顔を向け、キャリーケースをころころしながら店内へやってきた。
「すごい格好だな。芸能人かよ」
「クラスメイトに見つかって、これを誤魔化すのも面倒かと思って」
聖澤は眼鏡とマスクを取りながら横に置いてあるキャリーケースに視線を送る。
よかった。
一緒にいるところを見られたくないが、変装の理由じゃなかった。
「ってか泰道くん。それ」
聖澤はにやにやしながらそう言って、諒太郎の隣に座った。
「なんだよ? 気持ち悪い顔しやがって」
「だって、また雰囲気に合わせてブラックコーヒーを頼んじゃってさ」
「あっ……うるせぇ」
諒太郎は聖澤と反対の方を向く。顔が熱い。つい癖で頼んでしまったのをすっかり忘れていた。
「なに拗ねてんのさ」
「拗ねてねぇし」
「私がミルクと砂糖たっぷりの甘いやつ頼んであげようか」
「飲めないわけじゃねぇから」
「私の前では強がらなくていいのに」
ケラケラと笑った聖澤が、「荷物見てて」と言い残して注文しにいく。帰ってくると「はい。これ」と淡い茶色の液体が入った紙コップを諒太郎の前に置いた。
「これなら飲めるでしょ? ミルクココア」
「甘ったるいのも苦手なんだよなぁ」
「気にしなさんな。遠慮せずにお姉さんに甘えなさい」
「俺たちは同い年だろうが」
仕方なく、聖澤が強引だから本当に仕方なく、ミルクココアをもらってブラックコーヒーを譲ってやることにする。
「そういえばさ、昨日のドラマでね」
向かいに座った聖澤がすぐにしゃべり始めたので、神薙の到着を待っている時間も退屈しなかった。
本来の待ち合わせ時間の一時間前に聖澤との待ち合わせを設定したのは、心の準備期間があった方がいいのではないかと思ったからだ。
「でも、ついに来たんだね。今日が」
ブラックコーヒーに口をつけつつ、聖澤が横に置いてあるキャリーケースを見る。
彼女が本当に見たかったのはその中身だろう。コスプレの衣装が入っていることくらい、諒太郎にも理解できる。
「言われた時はすごい怖かったし、やっぱ断ろうなかって日に日に不安が高まってたんだけど」
ふぅと息を吐いた聖澤はこちらに顔を向けて、くしゃりとはにかむ。
「今はすごい楽しみだなぁって、そう思えてるんだ」
「なら、よかったんじゃねぇの」
諒太郎はミルクココアを口に含んだ。うめぇなぁやっぱ。わざわざ苦いものを飲みたがる人間の考えは理解できねぇ。
「うん。だからありがとね。泰道くん」
「俺はなにもしてねぇよ。感謝するなら、これから会う神薙ってやつにしろ。あいつが全部やってくれたんだから」
「素直に受け取ればいいのに」
唇を尖らせた聖澤は、しかしすぐに頬を緩め、
「ま、泰道くんがそういう人だってもうわかってるからいいけどねー」
とこつんと肩を小突いてきた。
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