9.友達

「本当にすまなかった!!」


「ごめんなさい……」


 身を投げ出さんばかりに深々と頭を下げるダリル。傍らのユースティアもそれに倣って謝罪した。


 対して、ローガンとヘレナは何とも言えない表情を作っている。


「まあなんだ、幸いちょっとした小火ぼやみたいなもんだし大丈夫だ。いい加減頭を上げろよ」


「いいや! 全ては俺の見通しの甘さが招いた結果だ! ファリス君にも怪我をさせてしまった!」


「怪我をしてしまったのは残念だけれど、本当に小さな火傷だから……ねえ、ファリス?」


「は、はい」


 ヘレナの問いかけに、ファリスが答える。


 ファリスが首元に負った火傷はほんの少しひりひりするかな、といった程度で数日もすれば治るだろうものだった。患部も駆け付けたヘレナによって既に処置済みだ。


「いいや、今回はたまたまそれで済んだかもしれないが、一歩間違えば大火傷だってありえたんだ!」


「いや、それはそうなのかもしれんがな……」


 頬を掻くローガン。


 ローガンはこの件に関してあまり怒る気にはなれないでいた。それはローガンとダリルの仲、というのもあるが、主な理由は別にあった。


 ファリスとシスカは嘘をついていた。少し部屋のあちこちに火がついた、ぐらいの説明しかしなかったのだ。


 実際問題、部屋に残った火や燃え跡は燃え盛っていた炎に対して極端なほど被害が少なく、見ていなければあれ程の炎が発生していたとは思わないだろう。


 しかもユースティアが暴走した原因はファリスが泣かしてしまったからだと言うのだから、ローガンとしても怒るに怒れないのだ。


「……とにかく、この責任はいかようにも取るつもりだ。今はまず謝罪させてほしい。……ユースティア」


「はい……本当に、ごめんなさい……」


 再三に渡る謝罪。ユースティアはすっかり意気消沈していた。


 友人の娘をうちの子がきっと笑顔にする、そう息巻いていたのに結果は泣かした挙句にこの表情。ローガンは非常にやるせない気分になった。


 ファリス達だって泣かせようとして泣かせたわけではないし、ユースティアもファリス達を害する意図があったわけではない。言ってみれば不幸な事故なのだ。


「もう、今後は……」


 ダリルは言いかけて、続く言葉を濁した。だが、内容は容易に想像がついた。大方もう屋敷には来ない、とか関わらない、とかそんなところだろう。


 ローガンは怒っておらず、ファリスも気にしていないと言っている。となればあとは彼らが自分のことを許せるかどうかでしかないのだが、どうしたものかとローガンは頭を悩ませる。


「……わたし、まだ勝ててない」


「シスカ?」


 ふと、シスカが呟くように言った。


「わたし、まだあなたに一回も勝ててないわ。だから——」


 シスカはユースティアの眼の前まで行って、


「次こそはわたしが勝つわ!」


 そう、言い放った。


「それにいみ……じな? っていうのも、炎すごかったから、また見てみたいな! あ、あとね、実はわたしもファリスに争棋で勝ててないの。だからわたしが勝ったら、次は二人でファリスのことも倒しましょ!」


「次……」


 シスカの怒涛の喋りにユースティアが呆気にとられたような顔をして、シスカとファリスの顔を交互に見た。全くもって、分かっていてやっているのか、それとも天然なのか。恐らくは後者なのだろうけども。


 そんな思いと共に、ファリスは少しだけ笑みを浮かべて口を開く。


「はい、受けて立ちます」


「ぁ……」


 二人のそんな言葉に、ユースティアは一瞬声を詰まらせて——。



「うんっ……」


 涙ぐみながら、破顔した。




 その後しばらくは、ユースティアが笑顔を見せたことに感極まったダリルが、今度はシスカやファリスにひたすら感謝し始めてしまった。滂沱の涙を流しながらのその勢いたるやローガンやファリスはもちろん、シスカやユースティアですらちょっと引いていた。



「本当に泊っていかないのか?」


「あぁ、そこまで世話になるわけにはいかんさ。宿の手配も済ませてあるしな」


「そうか、まあ無理に泊れとは言わんさ」


 二人を待つ馬車の前、そんなやり取りを交わしてローガンはシスカ達に視線を向ける。


「こんどは剣も教えてあげるね、ユースティア!」


「……ユティって、呼んで欲しい」


「! うん! ユティ、またね!」


「……ファリスも……」


 おずおずと言うユースティアの視線はファリスの首元に注がれており、その声音もどこか不安げだ。


 そんなユースティアの様子に内心苦笑しながら言う。


「はい、これからもよろしくお願いします、ユティ」


 その言葉にユースティアはぱっと顔を綻ばせた。今度こそ泣き笑いではなく、花が咲くような純粋な笑顔だった。



「よがっ、よがっだぁ……よがっだなぁ、ユディィ……ずずっ……!」


「ダリル、お前なあ……」


 別れ際になってまた泣き出したダリルにローガンはすっかり呆れ顔だ。


「ぐずっ……じゃあそろそろ行こうか、ユティ」


 こくりと頷き馬車に乗り込もうとしたユースティアはしかし、ふと何かを思い出したかのように振り返った。


「ファリス、ひとつ、きいていい?」


「? なんですか?」


 このタイミングでわざわざ自分に聞きたいこと。はて、一体何だろうかとファリスは首を傾げる。



「ファリスは男の子? それとも女の子?」


「えっ」


 全く予想もしていなかった慮外の質問に、ファリスは固まった。





「くっくっくっ……」


 二人を乗せたが出立した後、ローガンの忍び笑いが木霊する。ファリスはそれに憮然とした顔をしていた。


「い、いやすまん……ふふっ……お前の反応が可笑しくてつい、な?」


 言いながら、なおも笑いを堪え切れていないローガンにファリスはジトッとした視線を向ける。


「うふふ、ファリスはかわいい顔してるものね。あとは……髪型かしら?」


 確かにファリスの髪はやや長い。しかし、別に自分の意志でそうしているわけではない。


 いつもファリスの髪を切ってくれている使用人が、これが一番似合っていると言って憚らないのだ。


「……やっぱり髪型でしょうか」


「えー、わたしは今のままでいいと思うわよ?」


「うーん……」


 やはり何か釈然としないファリスに、ローガンが切り出した。


「まあいいじゃないか。……ところでファリス、お前創術を使えたんだな」


 一転して真剣さを帯びたその声音にファリスはびくりと肩を揺らす。


 そうだ。ファリスはこれまでひた隠しにしてきた創術の使用を、決定的瞬間を見られてしまった。


「どうやって覚えたんだ?」


「……その、書斎の本で」


 嘘は言っていない。実際、書斎には創術に関する文献もいくらかあり、ファリスはそれによっての創術を学習した。


「ふむ……」


 叱責されるか、呆れられるか。はたまた不気味がられるだろうか。続く言葉を想像してファリスは身を強張らせる。


「凄いじゃないか!」


「…………え?」


 果たして、飛んできたのはそんな賞賛の言葉でファリスは一瞬呆けてしまう。


「創術を独学で、しかも忌想者イミジナでもないのにその歳で習得するなんて天才じゃないか! なあヘレナ!」


「ええ、将来は宮廷創術士かしら?」


 嬉々としてそんなことを話す両親。思っていたものとは違う反応にファリスは戸惑う。


「怒らないんですか……?」


「ん? 何故怒る必要が……あぁいや、そうだな」


 思わず漏れたファリスの呟きにローガンが不思議そうな顔をし、思い直したかのように首を振った。


「ファリスはどうして創術のことを隠していたんだ?」


「それは……」


 ファリスは言い淀む。真実を告げるとすれば、まず自身の特異性について話さなくてはならなくなる。


「まあ賢いお前のことだ。創術の危険性について理解していたんだろう?」


 ただ、幸いにというべきかローガンはそのように解釈したらしい。それも理由のひとつとして間違ってはいないので、ファリスは頷きを返す。


「創術は扱いを誤れば自身の身を傷つけかねないし、子どもの体には術の行使自体が負担になりかねん。それは今日のことでも実感できたろう」


 再びの首肯。


「だから、怒るとしたらそこだな。そういうことはちゃんと相談してくれ。何かあってからじゃ遅いだろう?」


 諭すようなその口調には心底からの思いやりが感じられて、だからこそファリスの胸はずきりと痛んだ。


「どうしても学びたいんなら俺が教えれんこともないし、何ならきちんとした指導者をだな…………ふむ、そうか指導者」


「?」


 ローガンはふと、何気ない自身の言葉を検討するように反芻しだした。


「ファリス、丁度いい機会だから新しく家庭教師を呼ぼう」


 そう告げてローガンはにっと口角を上げた。

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