10.閑話:とある使用人との一幕

「えっ。今日は短めに、ですか……!?」


 アールストロム家に仕える使用人の一人、ベティは思わずといった様相で聞き返した。


「はい、短めでお願いします」


「……その、理由をお聞きしても……?」


「それは……いつもお任せしてましたけど、たまには気分を変えようかと」


「気分……」


 ベティは呟きながらフラフラと数歩、よろめく様に後退した。


 数いる使用人の中でも特にファリスの身の回りの世話を任されているベティにとって、ファリスの髪を切るというのは数少ない腕の見せ所であった。


 というのも、ファリスは基本的に手のかからない子どもであり、着替えをはじめ大体のことは一人でも勝手にこなしてしまう。掃除であったり衣類の洗濯、収納などは流石に任せられているがそんなものはもはや専属の仕事でもなんでもない。


 仕事が楽でいいじゃないか、と言われそうではあるしベティとしても大変すぎるよりはいいとは思うが、如何せん張り合いが無さすぎる。何事も限度というものがあるのだ。


 それに、ファリスの役に立ちたいという思いもあった。


 貴族の中でもとりわけ善良な人間揃いのアールストロム家ではあるが、ファリスはその中においても際立って善良だった。


 ファリスは使用人に対しても非常に丁寧に接する。言葉遣いはその年頃とは思えないほどにしっかりしているし、使用人といえど年上だからと言って口調までも丁寧だ。あまつさえ困っている使用人を見かけたときに手助けしようとさえしてくれる。あと可愛い。


 使用人の中でファリスの人気が高まるのは当然の帰結と言えた。


 ベティも例に漏れずファリスを慕う使用人であり、それ故に専属の立場となった時にはやる気と使命感に充ち満ちていたわけだが、蓋を開けてみればどうか。


 今ではもう髪を切るためだけの人である。


 ただそれならそれで出来ることを出来るだけする、よりよくする。ベティは愛と向上心に溢れた心の強い使用人だった。


 髪を切るのにも妥協はしない。ファリスは基本お任せで適当にと言うが、もちろん真に受けて適当に切るなどありえない。日々暇な時間に同僚を犠牲——もとい協力してもらうことで腕を磨き、ファリスに似合う完璧な髪型を模索する。


 その結果、現在の長めの髪型がベティの中で最良と判断され、短いスパンで手入れ、ディティールの更新がなされている。可愛いらしさを際立たせる絶妙な出来栄えにベティは誇らしさすら覚えていた。


 言ってみればファリスの髪型はベティの努力の結晶であり忠誠心そのものなのだ。


 決して可愛い主君をより可愛くとかそんな私利私欲に塗れた動機からではない。断じて。


「……差し出がましいことかとは思うのですが、心境に変化を及ぼすことなど、何かあったのでしょうか……?」


「え……ない、こともないですが……」


「それは、どういったことが……!?」


 これまで髪型に関しては一切合切お任せで通していたのが、今日になって急に注文をつける。その違和感と、何より短くしたくないという思いがベティを食い下がらせる。


「…………その、この間女の子と間違われかけて……」


「ファリス様は可愛いですからね」


「!? ……と、とにかく、そのことはこの髪型が大きく影響してるんだと思うんです。なので今回は短くお願いします……!」


「ファリス様ぐらいのご年齢でしたらそういったことも珍しくはないのでは? それに間違われかけた、ということは確信を持って女の子扱いされたわけではないのでしょう?」


「それは……そうですけど、それならなおさら髪さえ短くしてしまえば」


「…………ファリス様。私は常日頃から少しでもファリス様のお力になりたいと、お役に立ちたいと思っております」


「え。な、何ですか急に……」


 困惑に眉をひそめるファリス。


「しかし、しかしですよ。ファリス様はとても良くできたお方です。私などがお手伝いできることなどほとんどありません」


「いえ、家事など色々助かっていますけど……」


「それはアールストロム家のお役に立っているのであって、ファリス様の専属たる仕事ではありません!」


「えぇ……?」


「そんな不甲斐ない私ですが、唯一ファリス様のために身を尽くせることがあります……こうして御髪おぐしを整えることです。私はファリス様に最も似合う髪型はどのようなものか、常に研究を続けています」


「は、はあ……」


「実際に切る腕についても、日々研鑽を欠かしてはいません。ともすれば他の業務などとるに足らぬ些末事!」


「……」


 ——いや通常業務の方が大事でしょ。喉元まで出かかったそんな言葉をファリスはすんでで飲み込む。


「この髪型はまだ至高ではないかもしれません……ですが! 現状私が出来る中では最高のものなのです! これだけは断言できます!」


 そこまで声高に主張すると一度言葉を切り、思いつめたような表情を作る。


「いわばこれは私の貴方様への忠誠心そのものなのです……それでも……それでも短く、切らねばなりませんか……?」


 冷静に考えて言ってる内容自体は心底ばかばかしかった。しかし当の本人にとっては死活問題らしく、本心から辛そうなことが伝わってくる。

 

 前提としてファリスはとても優しい。こうして悲しむ人をそうそう無碍むげには出来ない。というのも理由としてあるが、どちらかと言えば正直このちょっと危ない人とこれ以上問答を続けるのは精神衛生上、遠慮願いたいという方が大きかった。


 ファリスは僅かに顔を引きつらせながら決断を下す。


「…………い、いつも通りお任せで……」


「! はい、喜んで!」


 先程までの暗い表情はどこへやら、輝くような笑顔だった。

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