8.忌想者

「なッ、は……!?」


「きゃぁっ!?」


 反射的に仰け反り、飛びのいたファリス達の肌を熱波がチリチリと撫でる。


 あまりに突然の異常事態に脳が思考停止に陥りかける。だが、ファリスは気づき、ハッとする。


 火柱だけではない。ユースティアの周りと部屋のいたる所、何もない中空で渦巻くように炎が燃え盛っていた。


「な、何これ、どういうこと!?」


「そ、創術……? い、いや、でも……」


 炎はユースティアを取り囲むようにして部屋中まばらに点在している。特にユースティアの近く発現している炎は非常に勢いが強く、彼女をほとんど覆いつくしてしまいそうな程だ。


 順当に考えれば彼女がこの炎を発生させたと考えるのが自然だ。しかし当のユースティア自身も驚いたように周りを見ている。


 こんな現象は創術でしかありえない。その一方で創術としては極めて異常な状態でもあった。


 創術は基本的に自身の体内に取り込んだ創素マナを放出する形で行使される。故に構築された創術は術者の体表にごく近い場所に発現することとなる。


 発現後は術者の意向次第で射出することも出来るが、発現の段階では原則的に自身の間近でしかありえないのだ。


 その前提を踏まえるとこの炎はおかしい。ユースティアからそれなりに離れた位置にも炎が唐突に発生している。


 ただ、何事にも例外というものは存在するもので、ファリスにはその心当たりがあった。


 忌想者イミジナ


 世の中には稀にそう呼ばれる者達が生まれてくることがある。彼らは生まれつき創術に関して強大な力を有する。ほぼ無尽蔵の創素許容量に、桁外れた術の出力。また、強大な術を形にする強靭な想像力は、体内のみならず周囲に漂う創素すらも自らの思うままに変質させるという。


 彼女の創術はその特徴に合致している。とするとユースティアは——



 ——術を制御できていない。


 思考を巡らせたファリスがその答えに至った瞬間、ファリスの間近に炎が発生する。慌てて飛びのくが、うねる炎に首筋を撫でられ火傷を負う。


「ぐぅっ……!?」


「ファリス!?」


「! だ、ダメ……! 逃げて……!」


 ユースティアが焦ったように声を上げた。炎は今も増え続けている。放っておけばいずれ部屋を覆いつくすだろう。だが、今ならまだ部屋からは脱出できる。



 ただしユースティアを置いて、なら。


 今のユースティアは自身の炎に囲まれて身動きが取れない。創術は扱いを誤れば容易に術者自身をも傷つける。


 世の中でその特異な力を以て活躍する忌想者は非常に少ない。理由はいくつかあるが、主たるものはふたつ。単純に生まれてくる数が少ないというのがまずひとつ。


 もうひとつ、それはするからだ。


 良くも悪くも忌想者は創術を簡単に扱え過ぎるのだ。常人が烈火の如く怒ったところで実際に炎など出はしないが、忌想者は違う。感情の昂りが、その想像イメージが現実に創術として形を成す。成してしまう。


 なまじ強大な力を持っているせいで、その規模も桁が違う。それこそ、ひどい例ではそこら一帯を巻き込んで更地にすることもある程に。


 よって、多くの忌想者は感情も創素も制御出来ない幼少のうちにその命を落としてしまうのだ。


 現に今、目の前の少女がそうなりかけている。


 ユースティアは自分を取り巻く炎に身を竦ませ、その乏しかった表情には怯えが見える。


 そのうえで彼女はファリス達に“逃げて”と、そう言った。自分だって怖い筈なのに。


 ——そんな彼女を置いて、逃げる?


 決心などとうについていた。これまで隠していた創術で水を生み出し、この炎を鎮火させる。ファリスは体内の創素マナを練り始める。


 だが、それには懸念もあった。


 単純に出力が足りるか分からないのだ。


 家族に秘匿しての練習という都合上、これまでファリスは掌で収まる程度の術しか試したことがない。そのため、自身がどれだけの規模まで扱えるかの見当がつかないのだ。


 半端な水量では炎を消せないどころか、水蒸気で怪我をさせかねない。


 故にファリスは限界まで創素を練り続ける。あとは少しでも火が弱まるタイミングさえあれば——。


「あなたを置いてはいけないわ!」


「!」


「……!?」


 ファリスが機を伺う中、シスカが凛と告げた。


「ぜったいに助けるからっ!」


「どう、やって……」


「わからないわっ!」


「えぇ……?」


 困惑の気配。ほんの少し、火の勢いが弱まった気がした。


「けど、お父さまなら目の前で困ってる人を見捨てるなんてこと、ぜったいにしないわ! だから私もあきらめない!」


 力もなければ策もない、それでも強い意志だけは感じる言葉。策などなくてもそのまま炎に突っ込んでいってしまうかもしれないと、そう思わせるような言葉の熱量に目をはっきり見開くユースティア。


 今度は気のせいなんかじゃない。目に見えて炎の勢いが衰えた。


 ——今しかない!


 ファリスは練り上げた創素を、想像イメージを一気に開放する。顕現するは巨大な水球。


「姉さん!」


「なに、ファリ……えぇっ!? どうしたの、それ!?」


「いいから、ユースティアを!!」


 言うや否や、ファリスは渾身の創術を撃ち放つ。


 ファリスの身の丈に迫る大きさの水球はユースティアを取り巻く炎の渦に直撃し、目論見通り大穴を開けた。


「……っ!」


 説明なし、土壇場の行動にシスカは見事に対応して見せる。すかさず渦に空いた大穴に飛び込むと、ユースティアの腕を取り、引っ張り出した。


「あ……」


 もつれるように後ろに倒れ込むふたり。ユースティアは自らさえも焼き尽くさんとする炎の檻から、確かに脱せられたのだ。


「大丈夫!? けがしてない!?」


「あ……う、うん……」


 無事ユースティアを救助できたが、まだ安心は出来ない。残った火も対処せねば部屋はおろか、屋敷ごと燃えてしまう。


 幸いにして、ユースティアが精神的に安定した影響なのか、あれだけ勢いよく燃えていた中空の炎は急速に弱まり、燃え移った篝火を残すのみとなっている。


 これくらいならファリスの創術でも消火しきれるだろうと、再度水球を生成する。


 そんな時、部屋の扉がノックされた。


「はーい!」


「え、ちょ……」


「皆、仲良くしてい————」


 シスカの元気な返事に、扉が開かれる。入ってきたのはローガンとダリルだった。


 二人の眼前に映るはあちこち燃える部屋に、涙の跡の残るユースティア。極めつけは掌に水球を浮かべて固まるファリス。


 たっぷり数秒間の沈黙の後。



 ファリスは黙ったまま水球で手近な火を消した。

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