第12話

 頑張れ、と、呟いた。声に出ていたのか、そう思っていただけなのか、よくわからない。軽井沢の夜は静かで、どちらでも同じことだった。私にしか聞こえない声。私にしか聞こえない言葉。頑張れ。頑張れ。頑張れ。何度も何度も言い聞かせた。頑張れ。出来る。私には出来る。頑張れ。諦めるな。頑張れ。

 早坂雄一郎の体重はどのぐらいだろう。六十キロあるかないか? 私よりニ十キロ重く、一、五倍ある。ここに来るまでに、私は少し体重を増やした。食事を増やして、筋トレをした。どの程度効果があるのかはわからない。でも楽しかった。具体的な目標、目的があれば、努力は苦ではなくなる。私は痺れた指を握りしめて血を巡らせて、またスコップを握った。頑張れ。出来る。頑張れ。

 早く穴を掘ってしまいたくて、死体は放置して掘り始めたけれど、死体が見えないこと、ここまで運べないかもしれないことが不安になった。スコップを放り出して、別荘に駆け戻る。曲がっていた腰が痛い。背中を反らす。うーっと大きい唸り声をあげる。

 早坂は死んでいた。うつぶせになって床に横たわっている。血は出ていないが、明らかに頭が凹んでいた。めちゃくちゃ死んでる。私はそれを見てひひひっ、と、自分でも聞いたことがないような笑い声を立てた。それからげらげら笑った。げらげら笑いながら両足を持って、ずりずり引きずっていった。生きている人間を運んだこともないが、死んだ人間は死んでいて、当たり前だが面白い。どこにも力が入っていなくて、物体だ。全然動かなかったらどうしようかと思ったけれど、意外といける。頑張れ頑張れ。笑いながら自分に言い聞かせる。自分しか頼れる人はいない。本当に、誰もいないのだ。私には私しかいない。別に、いい。誰もいなくていい。そう思う。こういうときに、手伝ってほしい人間なんかいない。当たり前だ。でももしそういう相手がいたら、そもそも人なんか殺したりしないのかもしれない。

 私は私を好きだと言う人間を思い出す。そういう人間はいっぱいいた。顔の見える人間も、見えない人間も。私が好き。私の小説が好き。その二つは同じじゃない。同じじゃないけど、私の小説は私だった。小説と作者は分かれてはいない。物語は何もない場所から突然生まれて、語る相手をランダムに選ぶわけではない。私は物語を作った。私が、作ったのだ。未熟で幼い私が。小学生の私が。

 小学生の時に読んだ推理小説を思い出す。犯人が夜、共犯者と穴を掘っていた。昼の図書館。私は人から見えない場所で、床に座り込んで読んでいた。図書館は明るくてあたたかくて、でも本の中には死体と人殺しがいて、怖かった。私がこの本を読んでいることを誰も知らない、と思った。こんな恐ろしい本がここにあるのに、みんな当たり前のような顔をしていることも、怖かった。怖がりながら読み続けた。閉館時間が来ると、一人で歩いて帰った。頭の中を人殺しのことでいっぱいにしていた。大人になったら人を殺すことになるんだよ、と、あの頃の私に教えたらどうなるだろう。きっとどうにもならないだろう。未来なんてものが本当にあるなんて思っていなかった。家と学校と図書館。それが全部。地方都市の無口な小学生。いじめられているわけじゃないけど、友達もいない。成績はいいけれど、特別にいいわけじゃない。勉強は好きじゃなかった。好きじゃなくてもできるだけで、この先できなくなるだろうと思った。できなくてもやりたいとは思えなかった。なりたいものなんか何もなかった。通う予定の公立中学のセーラー服の水色のリボンが嫌だった。未来。未来って何だろう。これは現実なんだろうか。小説家になったことも。人を殺したことも。

 どうして小説を書いたんだろう。兄のおさがりのパソコンをもらった。もらったので、書き出した。文字を打つと白い画面に整った文字が生まれる。私の物語が書ける。書けるんだ。そう思った。私にもできるんだ。それまでいろんな推理小説を読んでいた。推理小説が好きだった。現実には何にも関係がないところが好きだった。嘘。ちょっと嘘だ。好きなことには本当は理由がない。生まれる前に教えてもらっていた暗号みたいな。そういうものが推理小説の中にはあった。はっきりと書かれていないけど、同じ暗号を知っているもの同士の、知ってるよね、という合図。目くばせ。それを、推理小説を読むときには感じていた。目くばせしてもらえて、それに気付けて、嬉しかった。嬉しいけど、それを表に出すことはできなかった。誰とも話し合えない。私にとって大切なこと、大好きなもの。そういうものを、語りあう相手はいない。目くばせを送られて、気付けて、でも、私から誰かに目くばせをすることはできない。そう思っていた。でも、できる。パソコンがある。文字が打てる。なら、私も書ける。そう。小説はどこかから湧きだしてきたものじゃなく、誰かが一文字一文字書いたものなんだ。私だってできる。使ってないノートに簡単にメモをして、書き出した。書かずにはいられなかった。きっと書いているときにはいろいろあったんだろうけれど、気にならなかった。学校で授業を受けている間も、家でご飯を食べている間も、小説のことだけを考えていた。そんなふうに書けることはきっともうない。あんなことは起こらない。自分が書いているもののこともわからず、ただ情熱だけがそこにあって、キーボードを打つと文字が広がって。いくらでも打ち続けられると思った。私の中に完璧な熱の塊があって、指を通してそれが画面に広がっていく。何も考えなくていい。

 小説が出来て、何度も自分で読んだ。よくわからなかった。面白いのかつまらないのか。これがちゃんと小説のかたちになっているのか。自分が美しいのか醜いのかよくわからないようなもの。確かに小説だし、面白いに違いないと思うし、同時になんのかたちにもなっていない胡乱なものだとも思う。誰かに読んでもらおうと思った。でも誰に? 誰もいない。私の周りに推理小説を読む人間なんかいなかった。いたとしても、私がそれを知ることはなかった。誰も私のことを知らないように、私も誰のことも知らなかった。誰かのことを知る方法なんか、私にはなかった。嫌われていたわけでもいじめられていたわけでもない。ただなんとなく、誰からも見過ごされる存在で、そこから抜け出る方法を知らなかった。学校にいるときに話す相手はいても、休みの日に私と会いたがる相手はいない。どうしてそうなのか、当時もわからなかったし今もわからない。友達がほしかったの? そうかもしれない。でも多分問題は、誰からも選ばれない、ということにあった。特定の誰かと一緒にいたいなんて思ってないのに、自分を選んでくれる相手がいないことを不満に思っている。

 誰かに選ばれたい。

 それが私の望みの一つだった。誰かに選ばれたい。誰からも選ばれたい。集団の頭数になるだけの人間でいたくない。そういう望みは、凡庸なものなのだろうか。本当のところ、私にはわからない。私には人間のことがわからない。私がどれほど他人から隔たっているのかも、どの程度平凡な人間なのかも。ただ、ずっと、どちらの感覚もうまく持てなかった。非凡で優れた人間である自負も、凡庸でありきたりな人間だという自覚も、どちらもうまく持てない。私はずっと、子供のころからずっと周囲が興味を持つものに夢中になったり、その場の暗黙の了解みたいなものを理解できなかった。でも周囲は私を平凡な人間として扱ったし、特別に優れているようなところも何もなかった。私はいつもうまく溶け込めないのに浮き出すこともできなかった。

 みんな、幼いころはそういう悩みを持つのだろうか。そして、年を経るごとに社会と自分の最適な距離を見つけるのだろうか。私もそうなるべきだったのだろうか。でも無理だった。私は初めて書いた小説。ものすごい熱量で書き、何度も何度も読み返して何度も何度も書き直した小説を、インターネットで応募できた数少ないミステリの賞に送ってみた。私のパソコンはインターネットに繋いでもらえなかったので、父のパソコンを三十分借りて送ったのだった。

 私は選ばれた。

 想像はしていた。選ばれる私。私が書いた小説。生まれる前に教えてもらった暗号が、そこにはある。同じものを生まれる前に教えられた人たちが、私の小説を読んでくれる。今から思うと、それは挫折が前提の夢だった。叶えられなかったことを抱えて大人になるべき子供の夢。でも、叶ってしまった。私は、天才だった。そう呼ばれるようになった。今では私もそう思う。十二歳とか十三歳で、あんな小説を書ける人間のことは、天才と呼ぶしかない。私のデビュー作には、確かに何かがあった。先が気になるようきちんと伝えるべき情報を選んだ文章。身近に感じるけれど個性的で印象的な登場人物。謎の部分は少し弱いが、展開の意外さがそれを補う。つたない部分もあるが、それが生の人間っぽさになっている。面白く、面白さだけではない熱がある。こんなものが書ける子供はいない。私みたいな人間はどこにもいない。

 だからなんだって言うんだろう。

 私は手を離した。早坂の足が、地面に落ちる。手がしびれていた。たったこれだけの距離で、もう疲れている。座り込む。涙が出てきた。笑えてきた。人が死んでる。明確に死んでいて、私のやったことだった。頑張れ。立ち上がる。手を広げてまた握る。頑張れ。まだ終われない。捕まるわけにはいかない。足をつかむ。引きずっていく。普通に歩くと気にならない地面の起伏がいちいち気に障る。寒いのにお腹のあたりに汗をかいていて、もう何もかも放り出してお風呂に入って寝たい。できない。頑張れ。大きめの石が早坂の頭にぶつかって鈍い音を立てる。

 息を切らしながら、どうにか穴の場所に死体を運び終わる。疲れた。もっと近い場所に掘ればよかった。でもまだ掘り終わっていない。頑張れ。

 私にはできる。

 早坂の死体を見る。死んでいる。私が殺した。そのことを確認できると、安心した。歓喜。そう言ってもいい。嬉しい。私にはできた。人を殺せた。ちゃんとした成果が目に見える。小説を書くより、ずっとずっとわかりやすい。私には人が殺せる。このまま捕まるかもしれない。それでもいいような気がする。だって、人を殺せたんだ。ただ、捕まったら死にたい。別に死んでもいい。でもなるべくなら死にたくない。穴を掘らなくては。頑張れ。

 スコップを土につき刺す。えぐる。土を積み上げる。一回だけで疲れる。もう一回。もう一回。頑張れ。出来る。汗と一緒に涙が出てくる。なんだかこの瞬間を劇的にしたいという感情が働く。職業病? それともそういう人間だから小説を書いたんだろうか。こういう瞬間を、私は小説に書くだろうか。

 なんのために?

 賞をとったこと、嬉しかった。私の担当編集者は中年の男だった。

 本当にあなたが書いたの?

 打ち合わせのために一人で上京した私に、会って最初にそう聞いた。私は困ったように笑うことしかできなかった。多分あれは冗談だったんだろう。くそったれが。だいたいの中年男の編集は、本人は完璧に冗談のつもりで、相手を委縮させるすべを知っている。

 本当に可愛いね。

 集まりの中で、いろんな男にそう言われた。言いながら、相手は私ではなく、他の誰かを見ていた。目くばせ。私にはわからない。可愛いって、どういう意味?

 最近の子はすごいねえ。

 目くばせ。

 お父さんがミステリ好きなの?

 目くばせ。

 私は屈辱で震えながら、笑ったふりをした。屈辱。それだけだったらまだましだったかもしれない。私はそれを覆すすべをちゃんと持っていた。私は書き続けた。最初の情熱はもうなくとも、私は書くことの、ごく個人的な方法論をつかんでいた。本を通して人の心を動かす方法。こう書けば、こう動く。もちろん常に誰からも絶賛されていたわけではないが、自分でも予想もしていない批評をされたことは一度もない。こう書けば、こう見る人間もいるだろう。その予想の範囲内で好きだの嫌いだの言ってるだけだった。私には能力があった。私を侮る誰よりも、私の本は売れた。屈辱ならそれで癒された。

 でも、違う。

 私を侮り、私を通して目くばせをし合っていた男たち。

 読んだこともない、名前も知らないような雑魚もたくさんいた。読んだうえでつまらないと判断した雑魚も。でも。思い出すと、自分の中だけでも言葉にすると、どれだけ時間が経っても泣いてしまいそうになる。でも、これが私の怒りの根源だった。ここから私の怒りが始まるのだ。怒り。そして失望。

 あの男たちは、私が愛した本の作者たちだった。幼いひとりぼっちだった私が読み、憧れ、傍にいると信じた本。私が愛した探偵たち。全てを忘れて没頭した謎。私はあの世界にいたのに。あの世界に、入れてもらえると思っていた。私とあの本たちには特別なつながりがあると思っていた。生まれる前にこっそり教えてもらった暗号。どこにも居場所がない私でも、きっとそこには入れてもらえる。頑張って、小説を書けば。きっと。

 嘘だった。

 私はそこには入れてもらえなかった。そしてもう、楽園は汚れてしまった。学校や家の居心地の悪さよりももっと汚い、じじいたちの下劣な駆け引きがあっただけだ。私はもう、かつて愛したそれを愛せない。私の愛した探偵たちの顔には、あの男たちの笑いが刻まれていた。もちろん全員がそうだったわけじゃない。会ったことのない作家もいたし、そもそも私になんの関心も持たない、あるいは存在を無視するような男もいた。それでも、ほとんどの男はそうだった。人のこころの中は見えない。ほとんどがそうなら、そう見えない男だって、内心では同じかもしれない。信じられない。信じたって無駄だ。

 それでも、簡単に諦められたわけじゃない。私が悪いのかもしれない。そう思って書き続けた。前よりもいいものを。一作目はただの偶然じゃなくて、私には書けると証明すれば。実際、それで態度が変わってきた。

 須藤鏡花は本物だ。

 三冊目で、そういう書評を見た。そもそもどういう立場から私の真贋を見極めていたんだ? この評論家は。いつまで経っても自分の大学時代に傾倒していたタイプの小説に固執して、翻訳小説の紹介をするときもはっきりと作品の中心に据えられている社会的なテーマから目を逸らしているようなやつが、一体私の何を本物だと判断できるのか?

 反論はすぐに沸いてくる。こういうものはただの訓練、思考の癖みたいなもので、何かを批判しようとすれば、すぐにできる。

 本当のところ、私はその書評を読んで、嬉しかった。本物、と言われて。だって私はその評論家の解説をたくさん読んだし、編纂したアンソロジーもたくさん集めた。私のミステリの読み方も、かなり影響を受けた。面白かったと思った本の批判されていた部分に気づかなかったら悔しかったし、つまらないと思った本が低く評価されていたら嬉しかった。私は憧れていたのだと思う。憧れていて、評価されて、嬉しかった。でも、そういう私をずっと、こいつは本物か見極めてやろうと思っていたのだ。

 私の最初の本が問題だったわけではない。この男は、私の一作目を「中学生の女子の恐ろしい発想」と書いていた。粗い部分もあるが大賞にふさわしい、と。本当は褒めたくなかったのかもしれないが、特に貶すこともできなかったのだろう。二作目も「衝撃はそのままに洗練された二作目」と書いた。つまり、作品自体は評価していたのだ。私は面白い小説を二冊すでに書いていた。それなのに、もう一冊必要だった。私はよく知っている。この男は普段、新人を評価することにこれほど慎重じゃない。だいたいミステリ好きは若者が大好きなのだ。自分たちが古びている自覚があるので、その古びた部分を愛している若者が来るともろ手を挙げて喜ぶ。私が大賞を取ったとき、佳作を取った男が二作目ですぐに絶賛されていた。つまんないわけじゃないがたいしたこともない小説だったのに。

 幼くて、女だから。

 はっきり思った。幼くて、女だから。仲間には入れてもらえない。ずっと観察される。認められる理由がいる。ただそこにいるだけじゃない理由が。どれだけ頑張ったところで、意味がない。頑張って、「頑張ったから特別に入れてあげたよ」と言われる。そんなの、嬉しくない。一瞬嬉しくても、嘘だ。

 私は失望した。失望したのに、まだその世界のことだけは愛していた。でも、うまく切り離せない。書いてあることは理解できて、惹かれるものがある。それでもそこに、作者の存在が重なる。若い女へのちょっとした描写。男同士の目くばせ。それは小説の中の紋切り型ではなく、現実に起こっていることの反映なのだ。知らない作者だったとしても、この人間が属している場所のことが気になる。こいつは信用できるのか。ずっとそう思いながら読み続けなくてはいけない。私は作者が死んだ古い小説や、海外の小説を読むことが増えた。ひっかかる描写があったとしても、どうせ死んでいるか、手が届かないぐらい遠くにいる。そう思えば諦められる。それでも、やっぱり、前とは違っている。愛はある。愛はあるのに、もう、遠い。

 私は書き続けた。書き続けると、本が出る。私の本だ。読むよりも書くほうがずっと時間がかかるので、それはよかった。私のなかの物語をおいておく部分の、かなりのところを自分の本が占めるようになった。執筆に没頭していればいい。もう、これまでに書かれた物語、他人の物語、作家同士のつながり、そういうものはもういい。どこにもないものを、自分で書けばいい。この世にあってほしい物語。私は自分でそれを書ける。誰のことも期待しなくていい。

 私の十代は執筆が全てだった。学校は、通ってはいたが、いつもただいるだけだった。私は遠巻きにされていた。それでいて、みんなが私を知り、私のことをよく見ていた。成績がよくても悪くても何かの理由をつけられた。中学のとき、教室の隅で、何人かの男子が私の小説を開いていた。図書室で借りた本だ。図書室には私の本が全部三冊ずつあった。それを、乱暴に、その場の全員に見えるように開いていた。本が傷む。私はそれを見て、まずそう思った。怒鳴りそうになったけれど、怒鳴ることに慣れていないので、ただ怒りで赤くなった。

 男子たちは本と私を見て、げらげら笑っていた。普段ライトノベルを読んでいるような眼鏡の卑屈な、それでいて周りを見下している男子たち。誰にも何にも証明されていないのに自分たちが賢いと信じて疑わないゴミ。笑っている。そのにきびの赤みの上に脂がてかてかした幼い肌に浮かぶ笑み。それは、「文壇」のじじいどもの顔に浮かぶのと同じものだった。私は一瞬怒りを忘れた。恐怖した。

 男子たちがどこを読んでいるのか、その瞬間、はっきりと私にはわかった。セックスシーンを読んでいる。読んで、見比べている。私と。

 私は怖かった。そういう目線はいつでも怖い。でも、負けるわけにいかないと思った。ここで負けることを、私は私に許せない。そいつらを睨みつけた。死ね。死ね死ね死ね死ね死ね。そいつらは戸惑い、気まずそうに本を閉じ、教室を出た。私は自分の席に座り、涙をこらえながら、殺してやる、と思っていた。殺してやる。絶対に殺してやる。

 殺す機会はなかった。私はずっと学校ではおとなしい学生で、ゴミどもは相変わらず何一つ秀でたところのないままゴミみたいなみじめさで、でも生きていた。高校生のとき、そのうちの一人を電車で見かけた。さえない眼鏡の男子で、近所の高校の学ランを着ていた。なんだか見覚えがあるなと思ったら、そいつだった。本を読んでいた。ハードカバーの本。そのとき出たばかりの私の新刊に、鼻を突っ込む勢いで読んでいた。私がそこにいることも気付かずに、一心不乱に。ファンだ。と、私は思った。もしかしたら、あの教室でのことが起こる前から、そいつは私のファンだったのかもしれない。

 それは、一つの勝利なのかもしれない。いけすかないやつを、自分の力で屈服させてやった。

 でもこれが勝利なら、虚しい。全部虚しい。虚しすぎる。私のファンって、そういうものなのだろうか。私の書くものを好きなことと、私を嘲笑うことは、両立するのだ。

 何を信じればいい? 何も信じられない。私は段ボールに詰めたファンレターを思った。あの一つ一つ。全部読んで、嬉しくて。でも、なんだろう。いつも、それほどは嬉しくなかった。SNSで他の作家が言うほど、私は感謝ができなかった。だって、遠いから。

『先生の本を読んで、人生が変わりました。』

 最初にもらったファンレターのうちの一つに、そう書いてあった。可愛い便せんに、丁寧な文字で。そう。嬉しい。わざわざ手紙をありがとう。

 で、だから何。

 その子の人生は、私の本を読んで変わった。そうなんだ。それが本当かどうかはまず置いておく。本当に変わっていたとしても、私はその人生に触ることができない。私は人生を使って、本を書いている。私の本は私の人生だ。私の人生に、みんなが触れる。でも私は、誰かに触れられたようには思えない。書き続ける。誰かに読まれる。誰かに見上げられる。誰かにさげすまれる。そういうことの繰り返し。

 でも、ずっと一人だ。独りぼっち。孤独と憎しみ。それだけしかない。誰にも触れない。誰とも分かち合えない。子供のころにまどろんでいられた場所は汚れてしまった。この先のことも何も期待できない。ただ書き続けて、私以外の誰かがそこから多くのものを得て、人生を豊かにする。私はずっと独りぼっちだ。お金が儲かるだけ。お金が儲かればいいのか? 儲からないよりはましだろう。でも私はお金を使って人生を豊かにする方法がわからない。ほしいパソコンとか文房具とか辞書とか、そういうものが買えても、すぐに慣れてしまう。何にも響かない。あるだけ。独りぼっち。

 大学に入ると、話は少し変わった。一人で暮らし、好きな授業を受ける。制服から私服になり、化粧を覚えた。パーティーのたびに母が選んでくる服を着ていた私は、自分の格好を自分で選ぶようになった。そして、私は私にも、力があることを学んだ。

 私は、可愛い。可愛い。それは、何度も何度も言われた言葉だ。幼い私の知性を軽んじ、排除する言葉。実際には私は可愛くはない。そう思っていた。可愛い、とは幼児性や愚かさ、可愛いと言われて喜ぶような浅はかさへの言葉であって、実際の顔かたちのことではないと思っていた。私の顔は可愛くない。野暮ったくて、地味で。でも、自分で選んだ服を着て、化粧をすると、違った。私は可愛かった。身にまとうもので、外見はある程度コントロール可能なのだ。可愛いことは、力だった。私は自分が、他人を惹きつけるようになったことを、少しずつ把握して、その力を試していった。

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