第19話 十七歳 束の間の平穏

「なにかいい事でもあった?」

 ある日の夜、いつもと同じようにお兄様とホットミルクを飲んでいると、突然そんなことを聞かれた。


「え?」

「なんだか最近、楽しそうだなと思って」

 お兄様が言うに最近のわたしは昔のように表情が明るくなってきたらしい。

 暗くしていたつもりはなかったのだけれど、この一年寂しさから無意識に塞ぎ込んでしまっていた節はあるかもしれない。


「もしそうだとしたら、アルガスのおかげかも」

「アルガス?」

「最近仲良くなったお友達よ」

「ふーん……そうなんだ」


 お兄様にどんな人だか教えてと言われたので、わたしはアルガスとの出会いから彼の事を話した。

 やんちゃな彼の言動を聞くとお堅い人なら渋い顔をしたかもしれないけど、お兄様は終始笑顔で話を聞き終えた後「面白い人だね」と言ってくれた。

 自分の友達を褒められると嬉しいものだ。わたしも満面の笑みで「でしょ!」と答えた。


「アルガスは、いつもわたしのこと驚かせて楽しませてくれるの」

「そっか」

 お兄様はわたしの話を聞いてニコニコしている。


「それでねっ、アルガスったら「ねえフローラ」」

 突然何かを思い出したようにお兄様に名前を呼ばれた。その声音が少し硬い気がしたのだけれど、表情は変わらず笑顔だし気のせいかしら。


「明日、昼に時間が取れそうなんだ。久しぶりに二人で街に出掛けない?」

「嬉しいけど、ごめんなさい。明日はアルガスと約束があって」

「……そっか、残念だな。休日に二人で遊びに行くの?」

「いいえ、アルガスのお店に行くの。そうだわ、お兄様も一緒にどうかしら?」

「お店?」


 寮生活のアルガスは実家に仕送りをするため、平日の夜は酒場で皿洗い。休日は昼間からカフェで働いている。

 そこの苺タルトが最高だから食べに来いよと教えてくれたのだ。


「行きましょうよ。アルガスのことも紹介したいもの」

「そうだね。ありがとう。じゃあ、明日は一緒にそこへ行こうか」

 お兄様は快く頷いてくれた。


「わぁ、楽しみだな~」

「……楽しみなのは、その彼に会いに行くこと?」

「え?」


 それはもちろんだし、久しぶりにお兄様とお出掛けできるのも楽しみに決まってる。

 そう伝えようとしたのだけど、わたしが口を開く前にお兄様はわたしを強く抱きしめてきた。


「お兄様?」

「……そうだ、明日はカフェに行った後オペラを観に行こう。それから夕食は高台のレストランで食べよう」

「まあ、いいわね! ますます明日が楽しみ」

 会話をしながらもお兄様はキツク抱きしめる力を緩めてくれなくて「お兄様苦しいわ」と訴えるとようやく抱擁から解放してくれた。


「ふふ、じゃあ明日はとびきりおめかししなくちゃ」

「誰のために?」

「え?」


 オペラやドレスコードのあるレストランに行くのだから、格好に気を使うのは誰のためというか当然のマナーだと思うのだけれど。

 お兄様の不思議な質問にわたしはきょとんとしてしまう。


「フローラの可愛い姿は、他の誰にも見せたくないな」

「もう、何を言ってるのお兄様ったら」

 お兄様の冗談にわたしはクスクス笑った。

 

 でもアルガスの働くカフェはドレスで行くような所ではないらしいので、オペラを観に行く前に一度帰って着替えたいと伝えるとお兄様は「それがいい」と頷く。

 その顔はなぜか少し嬉しそうだった。


「ドレスアップしたフローラと早く出掛けたいな。オレも明日が楽しみだよ」

 言いながらお兄様は、わたしの額に、頬に、お休みのキスを何度も降らせるのだった。






 次の日。アルガスの働くカフェは大衆的でこじんまりとしたお店だった。普段使用しているレストランに行くようなドレスで来たら浮いてしまっていたことだろう。

 老夫婦が経営しているらしいその店は、とても雰囲気がよく常連さんたちで賑わい温かみがあった。


 そこで働いているアルガスも孤立している学園での姿と別人のように、常連さんたちに可愛がられのびのびと給仕の仕事を楽しんでいるみたい。


 最初アルガスは忙しくて手が離せなかったみたいで、マスターの奥さんが入店したわたしとお兄様を窓際の木漏れ日が射し込む席へと案内してくれた。とても優しげなお婆さんだった。




 苺タルトと紅茶をのせたトレーを持ってアルガスが挨拶に来てくれたのは、それからしばらくしてからの事。


「よう、おまたせ」

 言いながらアルガスは慣れた手つきでわたしとお兄様の前にタルトと飲み物を置いてくれる。

「アルガス、とっても素敵なお店ね。雰囲気が良くて気に入ったわ」

「だろ、タルトも絶対気に入るぜ? ところで」

 アルガスがちらっとお兄様に視線を向ける。


「わたしの兄のブライアンよ。お兄様、彼が昨日話したアルガス」

 わたしが紹介すると二人は互いに視線を向けて会釈をした。

「いつもフローラが世話になっているみたいだね」

「いえっ、別に。どっちかっつーと、俺の方が色々と……」

 いつも物怖じしないアルガスが、なぜかお兄様の前ではたじたじの様子を見せる。


「ふふ、アルガスったらなにを緊張してるの?」

「はぁ! 緊張なんてしてねーし!」

 わたしが声を掛けるとアルガスはいつもの調子をとり戻したようだった。

「んっ、これやる! おまけだ」

 ドンッとテーブルの真ん中にバタークッキーが置かれる。


「おまけ?」

「あと、ここは俺のおごり」

 このカフェは注文が届いた時に物々交換で料金を払うシステムのようだが、アルガスはそれをいらないと言う。

 お兄様は「そういうわけにはいかないよ」とアルガスを止めようとしたのだけど。


「いいんっす。いつも昼飯貰ってるんで礼なんで」

 アルガスがぶっきらぼうにそう言った時、常連さんが遠くの席から「おーい」と彼を呼ぶ声がした。


「あ、わりぃ。ゆっくりしてけよ!」

「アルガス、ありがとう!」

 そっぽを向いて「おう」と返事をすると、彼はお客さんのもとへ行ってしまった。

 少し耳が赤くなっていた気がする。照れているのかしら。


「お礼なんて気にしなくていいのに」

「…………」

 意外と義理堅い彼の一面を知りわたしはなんだかくすぐったくて嬉しい気持ちになる。


 それから苺タルトと紅茶をしっかり堪能したわたしたちは、もう一度アルガスにお礼を言って店を後にしたのだった。




 オペラとレストランでの夕食のためいったん家に戻ってドレスアップしたわたしを見て、お兄様は「綺麗だよ」と顔を綻ばせて褒めてくれた。

 素直に嬉しいけれど、どんなに着飾ってもお兄様の隣に立てばわたしなんて霞んでしまうの。


 今日もオペラハウスに入った途端、お兄様は注目の的だ。女性たちはもちろんのこと、男性すら時たま目を奪われる程に。子供の頃は意識してなかったけれど、お兄様には端正な容姿というだけじゃない色気というか不思議な魅力がある。


 事件以降人目の多い集まりに顔を出すことがなかったため少し不安だったのだけど、オペラハウスではすぐに二階の貴賓席へエスコートされたので嫌な思いはしなくて済んだ。

 今日のオペラはハッピーエンドの恋愛ものだった。


 恋愛も結婚も半分諦めていたわたしだけど、ロマンチックな舞台を観るとやっぱりちょっぴり憧れてしまう。


 オペラを観た楽しい余韻のまま向かったレストランも事件が起きてから足を運んでいなかったのだけど、お兄様が個室を手配してくれていて、周りの目を気にせずディナーを味わえた。




「今日はなんて贅沢な一日だったんだろう」

 夜寝る前にわたしの部屋でベッドに腰掛け、お兄様と二人でホットミルクを飲みながら、わたしは興奮冷めやらぬ吐息を零す。

「オレも楽しかったよ」

「もうすぐ季節のタルトに白桃が加わるらしいの。そうしたらまたアルガスのお店に行きましょうね」

「…………」


「アットホームでとても感じの良いお店だったわね」

 オペラハウスもレストランでもお兄様がすぐに個室へエスコートしてくれたから嫌な思いはしなかったけれど、一番リラックスできたのは貴族の柵がないカフェだった。


「……そういえば彼、昼食のお礼って言ってたけど。いつも一緒に食べているの?」

「そうなの。最近は一人の昼食じゃなくなってとっても楽しいわ」

「……そっか」


 ちょうど話が尽きた頃、ホットミルクも飲み終えた。

 いつもならお兄様がお休みのキスをして部屋を出て行くのだけれど。


「…………」

「お兄様?」

 お兄様はなにか考え事をしているのか暫くの無言の後。


「ねえ、フローラ……キスして?」

「え?」


 わたしの顔を覗き込み、なにかを試すようにそう言ってきたのだった。

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