第17話 十七歳 壊れた日常

 次の日、わたしは自分の耳を疑った。


「え……今、なんて?」

 朝一番に部屋にやってきたのは、いつも起こしてくれるメイドのアルマではなく、深刻な顔をしたお兄様だった。

 そして告げられた内容は。


「母上が父上とメイドのネラを刺した」

「っ……」


 サーッと血の気が引いてゆく。

 話によると、昨夜、別宅の書斎へいったお母様が目撃したのは、裸でもつれ合うお父様とネラの姿だったらしい。二人は不倫関係にあったのだ。


 貴族にとって愛人の一人や二人、よくある話ではあるのだけれど……お母様は、心からお父様を愛していたから。

 仕事だと嘘を吐かれ、さらにショッキングな情事を目撃してしまい、気がおかしくなってしまったのだと言う。


 近くにあった果物ナイフで滅多刺しにされたネラは出血多量で息を引き取り、お父様は現在も意識不明の重体。


「ああ、なんでこんなことに……」

 昨日まで幸せだった我が家に起きた惨事に、わたしは呆然とする。

「大丈夫、オレがフローラもこの家も守るから。なにも心配しなくていいんだよ」

「でも、でもっ」


 心配しないでいられるわけがない。お母様の想いを考えると胸が苦しくなるし、お父様の容態は気が抜けない状態。

 そして親しかったわけではないけれど、やはり使用人の死に胸が痛み割り切れない思いでいた。




 それからしばらくわたしは塞ぎ込んでいたのだけれど、そんな中、チップチェイス侯爵は我が家の状態を知ってもなお、お姉様を受け入れてくださった。


 学園でも我が家の噂は広がっていたので、肩身の狭い思いをしていたお姉様は卒業を待たずに侯爵様の元へ嫁いでいった。

 ここからは遠く離れた地。きっと我が家の噂も届かない場所で、お姉様は幸せになってくれる。


 それがわたしのささやかな希望だった。






 我が家を襲った大事件から一年が過ぎ、わたしも十七歳になった。

 学園ではもちろん社交場でも我が家の事件は噂の的となり、お兄様はわたしに辛い思いはさせたくないとパーティーなどへの参加を一切禁じた。


 なんとか学園へは通っている。噂を気にせず接してくれる友人もいたけれど……巻き込むのが申し訳なくて距離をとっているうちに、わたしは一人で過ごすことが多くなっていた。


 おかげで出会いもなく縁談の話などあるはずもなく、わたしは結婚に一生縁がないのかもしれないと思い始めた今日この頃、それでもいいかなと思っている。


 一命を取り留めたお父様は、けれど当主として続けてゆける身体ではなくなり、喉かな地の別荘で隠居生活。お母様は精神的に不安定で責任能力もないと判断され療養施設に入れられている。


 屋敷に残された家族は、わたしとお兄様の二人だけ。

 わたしががんばってお兄様を支えなければ。




「ふぅ……」

「お嬢様、こちらにいらしたのですね」

 ある夜。昔よくお兄様に見守られジョギングをしていた庭に出ていると、アルマがやってきた。


 あの事件の後、人数はだいぶ減ったけれど優秀な使用人たちは残ってくれている。

 ありがたいことだ。


「星を眺めたくなって」

 空を見上げながらそう言ったわたしの隣に、アルマはなにも言わず寄り添ってくれた。

 彼女とは出会ってもう五年。良く気が利いて優しくて、この屋敷で一番信用のおけるメイトだ。


「お姉様は幸せにやっているかしら……」

 嫁いでから一度もお姉様にはお会いできていない。

 何度か手紙を送ったのだけれど音沙汰もないままだ。心配になったわたしは一度、お姉様の様子を見にチップチェイス侯爵様の領地へ向かおうとしたのだけれどお兄様に止められてしまった。


 聞けばお姉様は侯爵様の寵愛を受け幸せに暮らしているらしい。ただ、お姉様はあの事件の日、血塗れで帰って来たお母様を見てしまったから……

 この屋敷のことはなにも思い出したくないと言っているから、そっとしておいてあげようとお兄様に言われてしまった。


「会えないのは寂しいけれど、お姉様が幸せにやっているならそれでいいの」

「お嬢様……」

 少し沈んだ声を出してしまっただろうか。アルマが心配そうな表情をしている。


「アルマ、いつも傍にいてくれてありがとう」

「そんな、私なんてなにもお力になれず」

「そんなことないわ! わたしね、アルマのこともう一人のお姉さんみたいに思ってるの。この一年、嫌なことがあった日も負けずにいられたのはアルマが傍にいてくれたおかげよ」

「お嬢様っ」


 わたしの言葉を聞いてなぜかアルマは少し涙目になった。

 あんな事件があっても離れずいてくれた彼女だから、これからもずっと一緒だとわたしは勝手に思っていたのだ。


 けれど……アルマは、それから少し経った頃、屋敷を離れお嫁に行くことになった。




「お嬢様っ。ずっとお傍にいられなかったアルマをどうかお許しください」

 良いお相手がみつかったのだ。めでたいことのはずなのに、お別れの日見送りに行ったわたしの顔を見た途端、アルマはそう言って号泣した。


「なぜ謝るの? 寂しいけれど、あなたが幸せな家庭を築くことを願っているわ」

 寂しい……寂しいけれど、仕方ない。笑顔で送り出してあげなくちゃ。

「うぅっ……」

 なのに泣き続けるアルマを見ると、わたしまでつられて泣いてしまいそう。


「アルマ、笑って? あなたの笑顔を見てお別れしたいの」

 わたしがそうお願いすると、アルマは鼻を啜ってようやく精いっぱいの笑顔を見せてくれた。


「私も、たとえ離れても、フローラお嬢様の幸せを、ずっとお祈りしております」

 アルマはわたしをぎゅっと抱きしめ耳元で「どうか、お嬢様はずっとそのままでいてください」と呟いたのだった。




 他にも使用人はいるけれど、アルマのいなくなった屋敷はなんだか寂しい。

 その夜、わたしは自室の窓から外を眺め、何度も溜息を吐いてしまった。

 大切な人がどんどん周りからいなくなっていく、そのうち本当の独りぼっちになってしまうのだろうか。


「フローラ」

「っ!」

 突然名前を呼ばれ飛び上がったわたしの反応が面白かったのか、お兄様が吹き出した。


「ごめんごめん。何度かノックをして呼びかけたんだけど、返事がなかったから」

 勝手に入ってごめんねと言ったお兄様へわたしは首を横に振った。

「こちらこそ、ごめんなさい。ぼうっとしてしまっていたみたい」

「疲れてる?」

 言いながらお兄様はホットミルクを差し出してくれた。


「大丈夫、わたしは元気よ。ただ……今日はアルマとお別れの日だったから」

 少し感傷的な気持ちになっていたのと告げると、お兄様は黙ってわたしの頭を撫でてくれた。


 気持ち良くてわたしは喉を撫でられた猫のようにうっとり目を細める。


(もうわたしにはお兄様だけ。お兄様がいなくなったらわたし……)


 けれどお兄様もいずれ誰かと結婚するだろう。そうしたら、わたしはこの家を出なければいけなくなる……


 最近のわたしは、その日が訪れることがなぜか怖かった。

 どうしてだろう。この気持ちはなんだろう。

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