第16話 裁きの夜(メイドのアルマ視点3)

 叫び声や使用人たちの騒がし足音にただ事じゃないものを感じ、私は玄関へと駆けつけた。

 なにが起きているのか聞きたかったけれど、皆バタバタと忙しなくとても呼び止めて聞ける雰囲気ではない。


「ああ、ブライアン様。探しておりました!!」


 同じく騒ぎを聞きつけたのかブライアン様が玄関に現れた。執事長が慌てた様子で駆け寄ってゆく。


「この騒ぎは?」

「じ、実は、奥様が……」


 聞き耳を立てると、なんとルーシー奥様が血塗れて帰って来たのだと言う。だが奥様に大きな怪我はない。殆どが返り血のようだと。


「話を聞こうにも、奥様は放心状態でして。今、奥様を連れ帰って来た御者から詳しい話を」

「そう」


(確か奥様は夕食後、旦那様に書類を届ける為、別宅に向ったと……)


 ふとその時、今日の非番にネラが含まれていたことを思い出し、私はなんとなく状況を察してしまった。


 一応表向き秘密になっているけれど、ビッグス様があの別宅に籠る時は大抵、仕事ではなく愛人との情事を楽しむためだ。

 ビッグス様とネラがお楽しみのところに奥様がやってきて、発狂し刺したのだろう。




 この屋敷の古株に聞いたことがあるけど、再婚当初からあの夫婦の関係はちぐはぐだったらしい。ビッグス様は、世話になっている伯爵に紹介され断れず結婚しただけのようだが、ルーシー様は旦那様へ熱をあげ、その熱量は異常だったと。


 若い愛人を何人も囲い自分には見向きもしてくれないビッグス様の気を惹くため、年々化粧も香水も濃くなり家族や特に旦那様の前では優しい女を装っていたが。

 裏でストレス発散のためメイドたちをいびっている姿は、トラウマものだ。


 私もこのお屋敷に来た初めの数か月はルーシー様のストレス発散に使われ、何度理不尽な目に遭ったことか。

 だからフローラ様が私を気に掛け自分付きのメイドにしたいと引き上げてくださった御恩を、私は一生忘れない。


「……いつか、こうなると思っていたんだ」

 使用人の誰かが呟いた。すると他の者たちも、何も言わず複雑な表情をする。


 奥様の狂気的な一面と、仕事も家庭もそっちのけの女狂いである旦那様のだらしなさを知っている人間ならば、一度ぐらいこの末路を想像したことだろう。


(そう、いつかこうなることは目に見えていた。なにか、きっかけがあればこうなってしまうと)


「ああ……これからどうなってしまうのでしょう」

 長年この屋敷に使えている執事長は憔悴状態のようだ。

「大丈夫だよ。この家はオレが守るから」

 そんな彼を支えるようにブライアン様が力強くそう答えた。

「ブライアン様」


 ブライアン様がそう決意してくださったなら、実はなんの問題もない。

 女狂いの旦那様に成人前から仕事を押し付けられていたことは皆知っている。この家の実権は既にブライアン様が握っているようなものだ。






 それから深夜になってもブライアン様は対応に追われた。しばらくはこの屋敷に平穏が戻る事はないだろう。

 朝方近くようやく一区切りついたのかブライアン様は書斎の椅子でぐったりとしていた。

 執事長にブライアン様へなにか温かなスープでもと言われ、私は急いでコンソメの野菜スープを用意し書斎の前まで持って行ったのだが。


「お兄様!」

 部屋からミラベル様の声がして、私は少しだけ開いたドアの隙間から中を窺う。

 二人は長椅子に座りミラベル様は瞳に涙を浮かべながらブライアン様の胸に顔を埋めている。


「あんなことがあって、怖くて一人じゃ眠れません」

 彼女は玄関で血塗れの母を見てしまったのだと身体を震わせ訴えていた。

「ああ、これからわたくしたちはどうなってしまうのっ」

 私の覗いている位置からは、ブライアン様の様子はあまり窺えずミラベル様の姿ははっきりと見える。


 胸元の浅いネグリジェ姿でミラベル様は、自分の胸を相手に押し当てながらぎゅうぎゅうと抱きついてた。

 怖い、と訴えながらも誘うように上目遣いでみつめているのだ。


「さすがにチップチェイス侯爵様との婚約の話は流れてしまいますわよね。だって、私は殺人者の娘になるんだもの」

 フローラ様におめでとうと言われて号泣するほど嫌がっていたくせに。ミラベル様は今さら残念そうに悲劇のヒロインぶるという謎の演技をしていた。


 しな垂れかかるミラベル様をブライアン様がどんな表情で見ているのかこの位置からは見えないけれど、女性にこんな風にされても動揺している様子は感じない。


「大丈夫、侯爵様はこんなことでキミを諦めないさ。オレも破談にならないよう口添えしてあげるよ」

 そう淡々と答えたブライアン様を見て、ミラベル様の表情がどんどん引き攣ってゆく。

「だから、キミの結婚はなくならない。安心して」

「そ、そんなの……イヤ!?」

 薄暗い部屋の中でも、絶望に歪むミラベル様の表情は良く見えた。


「なぜ? あんなに侯爵様のことを素晴らしい人だってフローラに勧めていたじゃないか」

「それ、は……た、確かに侯爵様は素敵な方よ。フローラとはお似合いだと本当に思っていたわ。けど、私とはお似合いじゃない! 私には、お兄様だけなのっ。私の気持ち、お兄様だって気付いているくせにっ!」


 ミラベル様は急に顔を背け俯いたかと思うと突然ブライアン様の胸ぐらを掴み。

「っ!」

 強引なキスをしながら圧し掛かり押し倒した。


(これは……なんて大胆な)


「ねえ、お兄様……いいえ、ブライアン様、私を妻としてお傍においてください」

 ブライアン様の手を自ら自分の胸元に持ってゆくと、甘ったるい声をあげるミラベル様。

 他人の情事を盗み見する趣味はない。私は物音を立てぬよう、慎重にこの場を離れようと思ったのだけれど。


「……悪いけど、こういう誘惑のされかたは好きじゃないんだ」

「っ……」

 ブライアン様はなにかをぺっと吐き出すと、ミラベル様を自分の上から押し退けた。


「これ、あの時、紅茶にひそませていた媚薬の原液だね」

「な、なにを言ってっ」

 ブライアン様は冷静な声のままミラベル様の腕を掴む。すると彼女が袖に隠し持っていた茶色い小瓶がコロコロと転がり床に落ちるのが見えた。


「詰めが甘いね、ミラベル。原液を口移しだなんて。これはもっと薄めて使わなくちゃ」

 濃すぎると意識が飛んで使いモノにならないし、苦みがあるので上手に薄めないと飲み込む前に気付いてしまう、とブライアン様は怖いぐらい穏やかな口調でそう説明する。


(なに? どういうこと?)


 私は混乱しながらもこの状況から目が離せなくなっていた。


「イーノックとフローラに媚薬を盛ったことは知っている」

「っ!?」

 一瞬言葉に詰まったミラベル様は、それでもすぐに取り繕いブライアン様の腕を掴んで訴えてきたが……彼の目にはもう容赦がなかった。


「なにを言っているの? わたくしがそんなことするはずっ」

「ネラが殺されてもう証拠はないと思ってる? キミがネラに金を渡して裏ルートから薬を入手したことは分かっているんだ。そういう事、調べてくれるお友達がオレにはたくさんいるんだよ」

「し、知らないわ!!」


「じゃあ、床に落ちているこの小瓶の中身はなに?」

「それは……」

「薬を飲ませれば、オレが欲情して既成事実を作れると思ったの?」

 ミラベル様は青ざめてふるふると顔を横に振る。


「キミがフローラにしたことは、言葉にするのもおぞましい、立派な犯罪行為だよ」

「ゆ、許してっ……だって、どうしても、許せなかったの! いつもお兄様の視線を独り占めするあの子がっ。そうまでしても、あなたに振り向いてほしかったの。それほどまでに、わたくしはブライアン様のことを、深く愛してっ」


「残念だけど、こういうことされ慣れているんだ、オレ」

 彼の声は怖いぐらい冷静なままなのに、ブライアン様を見つめるミラベル様の表情は、どんどん青ざめてゆくのが分かる。


「だからかな……気持ち悪いって思うんだよね。そういう好意を向けてくる女性に対して」

 ブライアン様は吐き捨てるようにそう言った。


「欲しいものを手に入れるためには、もっと上手に動かなきゃ。キミがやったことは、オレの神経を逆撫でしただけだ」

「っ!」


「キミも牢獄で暮らすよりは侯爵家で裕福に暮らす方がマシだろう?」

「…………」

「一生この屋敷に戻ってこないと誓うなら、キミの犯した罪は、オレの胸の内に収めておいてあげるよ」

「…………」

 気が付けばポタポタと、本物の涙が彼女の頬を伝い落ちる。


「返事は?」


 それでもブライアン様は穏やかに声を掛けるだけで、涙を拭いてやりはしなかった。


「は、い……」


「良い返事だね、ミラベル」


 気が済んだなら部屋に戻ってと告げられ、よろよろと彼女は部屋を出て行った。

 私は慌ててバレないようドアの陰に身を隠し、そんなミラベル様の後ろ姿を眺めていた。


 ミラベル様は牢屋の中で暮らすより、侯爵夫人になる方がマシだと思ったようだ。けど。

 フローラお嬢様に縁談の話が来た時、心配で私は人づてに色々聞き調べていた。

 嫁ぎ先のマキシムという男は、なかなか過激な性癖の持ち主だと噂を耳にする。


「せいぜい可愛がってもらえるといいね」


 そんな噂をブライアン様が知っているのかは分からないけれど、部屋で一人そう呟き浮かべた彼の笑みを見て、私は肌を粟立てたのだった。

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