第15話 十六歳 破滅の足音

 あの出来事から数日が過ぎた。

 相手方の家に抗議をしてしかるべき場所に訴えると聞いていたのだけれど、あっという間に訴えを取り下げる事になったので、特にわたしがすることはないまま終わった。

 お父様がおっしゃるには、デインズ子爵が誠意をみせてきたためとのことだった。


 実際に家長同士でどんなやり取りがあったのかは分からないけれど、いつまでも揉め事が続くのは嫌だったので安心した。

 イーノック様は家長を継ぐことは出来なくなり、ここでの噂も届かない田舎で慎ましく生活を送らされるらしい。流罪というやつだ。


 お姉様はというとチップチェイス侯爵とのお見合いも無事終わり、侯爵様にたいそう気に入られたことから、あっという間に結婚が決まった。

 向こうはお姉様の卒業まで待てないとおっしゃっている程だそう。


 おめでとうって伝えたら、お姉様は感極まって泣いていた。そんなに侯爵様と結婚したかったのなら、これでよかったのかもしれない。


 だから、このまま平和な日常に戻るのだとわたしは思っていたのだけれど……。




 ある雨の日の夜。

 その日の夕食は、お父様が仕事のため不在だった。


「あなた、紅茶もろくに淹れられないの?」

「す、すみません、奥様」


 食後の紅茶を一口飲んで、お母様が眉を顰めた。

 いつもはニコニコしていて誰にでも分け隔てなく優しい方なのに、お母様はこうして時折、声を荒げる事がある。


 淹れなおしてきますと言うメイドに対して、クドクドと荒い言葉を続けるお母様。メイドがどんどん青ざめてゆくのを見て、助け舟を出そうと口を開きかけた時だった。


「ああ、すまないキミ。こんな時間に悪いんだが、至急この書類を父上に届けてはくれないか?」

 食事を終えてすぐ、まだ仕事があるからと自分の部屋に戻っていたお兄様が急ぎの様子でやってくる。怒られていたメイドへ声を掛けるとお母様は口を噤んだ。


「え、ええ、あの、構いませんが……」

「よかった。キミは、父上が仕事の時に使っている別宅の場所を知っていたよね。今、頼めそうなのはキミしかいなくて」

 お父様は仕事を捗らせるためにと、この国の外れにある別宅へ行くことがよくある。


 仕事とプライベートを分けたいのか、あまり家族が近付くことを良しとはしていないので、そこへは、わたしはもちろんお母様も許可なしには軽々しく近寄れない。


「助かるよ。とても大事な書類だというのに、父上ったらオレに預けたまま忘れて行ってしまって」

 お兄様は苦笑いを浮かべながらメイドに書類の入った茶封筒を差し出したのだけれど。


「わたくしが届けますわ!」

 毟り取るようにお母様がその書類を掴み取った。

「まあ、奥様にそんなことをさせるわけには」

「わたくしが行くと言っているのです! 貴女は下がりなさい」

「は、はい……」


 メイドは肩を竦め困った顔をしていたが、お兄様が「母上がそうおっしゃるなら」と言うと、それ以上何も言わず一礼をして部屋を出て行った。


「母上」

「なに? わたくしが行ってはなにか不都合なことでも?」

 部屋を出ようとしたお母様をお兄様が引き止めると、お母様は不機嫌そうな顔をして振り返る。


「いいえ、恐らく父上は書斎に籠って声を掛けても気付かないかもしれない。これを」

 そっとお兄様がお母様になにかを握らせた。それはどこかの部屋の鍵のようだった。


「この時間は仮眠をとっている可能性もあるので、そっと部屋に置いて戻って来ていただければ大丈夫です」

「そうね。ふふ、差し入れに軽食を持って行ったら喜んでくれるかしら」


 お母様は急にいつも通りの優しいお母様に戻り、足取り軽く出掛けて行ったのだった。




 しかし、寝る時間になってもお母様は戻ってこなかった。

「もうこんな時間よ。まだ戻らないなんて」

 馬車で数十分程の距離なのに。なにかあったのではないかと、わたしは心配になってくる。


「大丈夫だよ。もしかしたら、父上に引き止められて、今日は向こうに泊まる事にしたのかもしれない」

「そうかしら。だったらいいけど」

 いつものようにホットミルクを持ってきてくれたお兄様に話すと、お兄様は落ち着いた様子でわたしの背中を撫で落ち着かせてくれる。


「不思議ね。お兄様が大丈夫だよって言ってくれると、安心する」

 二人でベッドに腰掛けお兄様の肩に寄り添うと、わたしはウトウトと眠気に襲われてきた。

「ふふ、眠そうだね」

 ちゅっと瞼に口付けされ、わたしが完全に目を閉じようとした時だった。


 バタバタと部屋の外から騒がしい気配を感じる。

「お母様が戻られたのかしら」

 気になって眠い目を擦りながら立ち上がろうとしたのに、お兄様に優しく肩を押されベッドに寝かせられてしまった。


「そんなに眠そうな顔をして無理しないで」

「でも……」

「オレが代わりに見てきてあげるから、フローラは部屋にいるんだよ」


 お兄様が何か言っていたけれど、眠過ぎで意識が遠のいてくる。

 どうしちゃったのかしら。今日はそんなに疲れていなかったはずなのに。


「キャーーーーッ!!!!」


(な、なに……?)


 お姉様の叫び声が聞こえた気がした。


「お兄様、今……」

 でも気のせいだったのかもしれない。

「ん? どうしたの?」

 だって、お兄様はなにも聞こえなかったみたいに優しい笑みを浮かべて、わたしのお腹をぽんぽんと寝かしつけてくるから。


「大丈夫だよ。おやすみ、フローラ」

 わたしは意識を手放し、また朝まで泥の様に眠っていたのだった。

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