第25話

 痛い。

 眠っているはずなのに下腹部が脈打って、脈打つ度にそこから痛覚が線のように身体の中を広がっていく。

 痛み止めが切れかかってる……起きないと。

 目を開けても意識はぼんやりとしてるのにズクンとした下腹部の痛みだけがはっきりしてる。

  小物入れから薬を取ってキッチンで水と一緒に流し込む。

 効果が出るまで二~三十分はかかるから今のうちに寝てしまおう。

 アタシは、そのまま眠れば良かったんだ。

 それなのになのに、

(あーでも今日漏らしてるからベッドまで汚すと嫌だな。起きたついでにナプキン替えとくか)

 なんて考えてしまった。

 それでそのまま背後のトイレに入って硬直した。

 トイレの中に微かに残るおぞましい臭い。

 忘れる訳がない。何十回、何百回も飲まされ掛けられ続けた臭いだ。

 条件反射のように夕食を戻して、黄色い胃液まで吐き出してから口も吹かずにトイレの中で首を巡らせる。

 トイレの中に父親も兄の姿は無い。

 何処かに隠れてるのかもしれない。

 違う。ここは店長が用意してくれたセーフハウスだ。母親だって住所を知らないし、父親も兄も刑務所にいるはず。

 なんで、こんな。分からない。怖い。

 そうだ。部屋の扉を全部開ければきっといないことが分かって安心できる。

 大丈夫、アタシは冷静だ。

 音がしないようにそっと扉を開けて外の様子を伺って、最初に玄関へ続くすりガラスの二重扉を開けた。玄関先には誰もいない。

 そのまま右手の天井まであるシューズボックスの取っ手に触れようとする手が小刻みに揺れる。

 シューズボックスには誰もいない。

 シューズボックスを開けたままにして、キッチンのウォールキャビネットを一つ一つ開けた。

 手先が震えるだけでなく身体も震えて寒い。きっと生理のせいだ。血が流れ出てるから体温が奪われてるんだ。

 フロアキャビネットも開けた。いない。

 冷蔵庫と冷凍庫も開けた。

 アタシの部屋に収納は無いから、次は一番隠れやすい風呂場だ。

 足音を忍ばせながらゆっくりゆっくりと脱衣所のドアノブに手をかけて、室内の様子を伺いながら少しずつ扉を開く。

 誰もいないことを確認して脱衣所の中から目を離さないようにしてスイッチを入れる。

 完全に明るくなった脱衣所にも人の姿は無い。

 後は浴室を残すだけだ。

 脱衣所から見る限り、人がいる様子はない。でも、浴槽に隠れているかも。

 最後の扉は、覚悟を決めて叩きつけるように開けて、続け様に浴槽の蓋を乱暴にめくる……誰もいない………

 カクンと急に視線が下がる。

 浴槽に片手を引っ掛けたままペタンと床にお尻をついてから気が付いた。

 安堵したから全身が弛緩した。

 緊張が解けて血の巡りが良くなったのか身体に熱が戻って来る。

 ああ、温かい。顔がほてって身体だけじゃなくて…じんわりお尻の方も………

 あ、え? 嘘! 漏らした…高校生になっておしっこ漏らした?!

 恐る恐る視線を下げるとパジャマがしっかり色を変えて雨に濡れた時のような嫌な感触が伝わってくる。

 慌てたアタシは、そのままシャワーを出して下半身を洗い流そうとする。

「冷てぇ!」

 古い給湯器からはすぐに温かいお湯が供給されず、冷たい水を下半身に浴びたアタシは、急いでパジャマのズボンを脱ぎ捨てた。

 そして騒ぎを聞きつけて部屋から出てこないかと心配して左を向き、急激に頭が、思考が冷えた。

 父親と兄はここにいない。冷えた頭でなら分かる。

 だとしたら、どうしてトイレにあの臭いが……精液の臭いがしたんだ。

 答えは難しくなかった。

 そう。唯一開けていない扉の向こうに答えがある。その扉の向こうには男の身体を持ったカレがいるのだから。

 導き出された答えに冷えたはずの頭にカッと血が上る。今日の生理痛や経血漏れのイライラにカレがしただろう行為に裏切られたような気持ちが綯交ないまぜになってアタシの中の怒りが膨れ上がっていく。

 ビシャっと足音を立てて浴室を出たアタシは開いたままの脱衣所を出て、怒りのままに叩きつけるように最後の扉――カレの部屋の扉を開けた。

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