第22話
受験生になると全てが受験一色になる――訳でもなく、学生である以上最低限の学校行事には参加しないといけない。
特にアタシは長年の猫かぶりが今更ながらに祟って皆に頼られる。
去年は前の担任の一件があって引かれ気味だったけど進学組になってまた委員長を押し付けられた。
もう素を出しっぱなしだから口調も荒いのに一部を除いてまったく気にしてないらしい。一部ってのは元クラスメート。
アタシは変わらないけどカレも変わらない。誰にも優しくみんなに好かれる。ただ、本来陸上推薦で大学に行く予定だったカレは休学したこともあって受験を危ぶむ声は多い。
でもアタシは知ってる。
妹に手を出すようなゲス野郎だったけど天才肌の兄のような人間にアタシのような平凡な人間が近づくには三倍は努力しないといけない。
だけど、カレは地頭がいいし努力家だ。
そのうちカレはアタシを追い抜いていく。
五月の体育祭。
走れないカレは、悔しそうな素振りも見せず笑顔で道具や誘導なんかで実行委員を手伝っている。
障害物競走で使ったハードルを両手に木陰へ消えるカレの姿にアタシは後を追う。
「足、痛いんだろ」
人に見えない木陰で座り込んで青いパイルのタオルで汗を拭てカレに声をかける。
「気付いた?」
カレの横にはハードルが幾つかある。
「そりゃあ一緒に気付くに決まってる。普段と違う歩き方してんだから。あんまり無理すんなよ。ほら水分補給」
水の入ったペットボトルを渡そうと手を伸ばす――と風が吹いて葉擦れの音が聞こえる。それに合わせて緑の香りがアタシ達の間を通り過ぎた。
その一瞬の間で気づいたことがあってアタシは手を引っ込めた。
キャップを捻って口を開けてからの頭の上でひっくり返す。
木漏れ日の反射を受けながらこぼれた水が光りながら彼の頭に降り注ぐ。
「ちょっ、何するの?!」
水をかけられて慌ててるのにカレは顔を上げない。
半分くらい残してキャップを締めなおしたアタシは彼の横に腰を下ろす。
「競技、どれか出たかった?」
「一つくらいは……」
進学組は学校行事に興味がない。進学するために選んだクラスだから当然だ。
体育祭の出場候補に誰も手を上げず、教室内に白けたムードが漂う。
「誰も候補がいないなら、僕が百m走に出てもいいかな」
にこやかに手を挙げるカレの姿に教室内の白けたムードは一変して緊張感に包まれる。
今の彼が百m走に出てみろ。二、三年生はもちろん、その親とか教員の中にも色んな意味で泣き出す奴が出て大騒ぎになるぞ。
カレ以外の全員がアタシと同じ想像をしたのか、それからの候補はスムーズに決まっていく。
これを狙って手を挙げただろうカレは候補から外れて少し寂しそうだ。
だから、アタシは一番脚に負担の無さそうな競技にカレを推した。
賛成多数で決定。
とはなったもののカレの心配する学校側から横やりが入って、主治医の意見も加わって出場の機会を失った。
それで実行委員の手伝いを買って出て、はりきって手伝って――いるように見せてる。
「仕方がないよね。去年、あれだけ騒がれちゃったし」
管理責任やなんやで非難に晒された学校が二の足を踏むのは仕方がない。可哀そうだけどアタシもそう思う。
仕方がないけれどカレの気持ちは別だ。
「ハードル、どこに運ぶの?」
「用具室だけど」
「じゃあ、アタシが運ぶからもう少し休んで戻んなよ」
半分残ったペットボトルを差し出すと立ち上がってお尻の汚れを叩いて落とす。
「ちゃんと水分補給をしときなよ」
両手に二個ずつのハードルは意外と重くて、楽々を運んでいたカレとの力の違いを感じながら、やっぱり身体は男なんだなと実感する。
さあ、頑張って運んじまおう。アタシにも実行委員の仕事が待ってるんだから。
ちょっとフラフラしながらハードルを運ぶアタシの耳に再びの葉擦れの音に混ざって、小さく本当に小さく嗚咽が聞こえてくる。
あれだけ濡らしたんだから泣いてたのは分からないと思う。
ああ、しくった。
濡れた理由は考えてなかった。
まあ、それくらいは本人に考えてもらおう。
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