第16話

 ビィンボォーン。

 半分壊れかけのドアチャイムが割れたような音で鳴る。

 アタシのアパートに来るのは新聞の勧誘とN〇Kと宗教勧誘くらいなもん。

 それでもこんな夜更けには来ない。

 風呂上りで髪を乾かしていたアタシは、立ち上がって縦長のキッチン玄関に向かう。

 すりガラスの入った二重扉を開けた先の玄関ドアのドアスコープを覗かずにチェーンを外してロックを外して扉を開ける。

「………入んなよ」

 予想通りの訪問客ではあったけれど少し外れた様子に間を空けてアタシは言った。

「僕……女の子になりたいって言ったんだ……」

 目と頬を酷く張らしたカレは囁くように小さな声で話す。

 土まみれで破れた服を着て裸足で左手に何か紙を、強く握りこんだ右手からは血が垂れている。

「血が! 手ぇ開いて傷見せて」

 開いたカレの手のひらには見覚えのある白と薄い紫の欠片。強く握ったせいで手のひらに食い込んでしまっている。

「ユニサスも…壊されちゃって……」

「何も言わなくていいよ」

 泣き始めたカレを胸にかき抱き、アタシはそのまま街灯を見つめて嗚咽を聞いていた。


 落ち着いたカレを部屋に招き入れてブラックコーヒー…に牛乳を入れてカップを目の前に置く。

 アタシのモノしか無いこの部屋で唯一の他人のモノ。

「あの…ごめん。夜に女の子の部屋に押しかけちゃって……」

 氷をビニール袋に入れただけの簡易氷嚢を頬に当てるカレは済まなさそうと言う言葉を体現したような雰囲気だ。

「いいよ、別に」

 嗚咽するカレから聞いた話だと親の頭に上った血が下がるまで――下がっても無理臭いけど――家には帰れないだろう。

 何せ殴ってチャームを踏み潰して服が破れるほど強引に家から放り出したそうだから。

 ユニサスの欠片と左手に握っていた紙は広げられてミニテーブルに置いてある。

 紙は診断書で診断名に性同一性障害と書かれている。

 アタシだけじゃなく専門家もカレが男の姿で生まれた女だって認めた訳だ。

「今、いくつだっけ?」

「? 十七だけど」

「じゃあ、あと一年の我慢だな」

 顔を上げたカレはアタシの言った意味が分からなくてきょとんとしてる。

「十八になったら親の同意なしに性別変更できるんだよ。要件が幾つかあるって話だけど」

「そう…なの?」

 そりゃ知らないだろな。男であろうと努力してきた人間が調べるはずもない。

「この先どうするか決めないとな。それによって優先順位を付ける必要もあるし」

「僕は…女の子になりたい」

「三00万」

 聞きかじりの知識を思い出しながら口にする。

「くらいだったかな。性別変更するなら身体も変えないといけないとか。手術が外国じゃないとできないからそれくらいかかるってさ」

「……途方もない金額なんだけど」

「それに加えて生活費な。進学するなら大学の入学金に授業料だっている。住む場所はここでいいとしても考えることはたくさんある」

 何に驚いたのかカレはカップを落としかけて中身をスラックスにこぼしてしまった。

「あー! アンタなにしてんだよ!」

「いいの?」

「あ?」

「……僕が一緒に住んで。男なのに」

「はぁ?」

 アタシは考えて、カレの言葉の意味を理解する。

「これ」

 テーブルに置かれた診断書に人差し指で二回叩く。

「これを見せといてまだそんなこと言うのかよ」

 強がりだ。

 本当のことを言えば怖くないなんて言えない。

 いくら心が女でも肉体は男だ。力づくで何かされたら抵抗できない。

 でも、怖いのに震える声を張ってアタシを助けようとしてくれた。

 そのせいで殴られて机に埋もれて倒れるカレに手を差し伸べた時から、きっとこうなることは決まっていたんだと思う。

「当座はアタシが貸してやるけど、ちゃんと食費とちょっと家賃ももらうからな」

「それは、それはもちろんだよ!」

「よし! んじゃ風呂入ってこい」

 立ち上がったアタシは薄汚れたカレを風呂に入らせるために腕を掴んで引っ張った。

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