another time 10
朝、電話の音で目が覚めたが、目覚ましアラームだと勘違いして切ろうとして間違いに気付いた。
蒼海のモーニングコールだった。昨夜、また3:33に起こされるならと『狭間の世界にて』の続きを入力してたら4時過ぎになった。
もう11時なんか⁈一回も起きんかった。
「おはようございます♪蒼海です。起きてました?」
「いえ、全く」寝起きの嗄れた声で答えた。
「もー頑張って下さいよ。名刺発注したから明後日には来ると思うよ」
「続くかどうか分からんのに用意良いですね」
「また、そんな後ろ向きな事言って!待ってますよ」
はいはいといい加減に返事して通話を切った。
全く仕事をやる気はなかったが、目は覚めたので起き上がった。喉が渇いていたので冷蔵庫に入れておいた水を出かけるまでに一本飲んだ。
前の世界ならとっくに出勤して仕事している。今回は引きこもりだったから余計ダラけてる。なのにテキパキ仕事ができたらマズいか?でも手を抜くのは性格的に苦手だ。
事務所が何をやってるかも、いまいちよくわからない。
適当に初めてのフリしよう。身支度を整えながらそんな事を考えた。
家から事務所までは地下鉄二駅くらいなので歩いて行くことにした。
今日は仕事の流れだけ聞いて帰りたい。働くのだるいよね、祥一郎。全部彼のせいにする。
社長なんだがナルシになるべく会いたくない。身体の変化を知られたくなかった。太ると女性化してくるので食べるのに恐怖感がある。会えたら食べさすと言ってたので余計なお世話だ。
なるべくゆっくり歩いていたが、思ったよりも近かった。
事務所に入ると蒼海が満面の笑みで迎えた。
すぐ帰るつもりだったのに考えを読まれたのか、いきなりパソコンの前に座らされた。送付するお礼状やビルの備品購入費の入力を頼まれたので「いきなり内部情報暴露していいんですか」
と言ったら「信用してるから」と返された。
時々備え付けてある冷蔵庫に入れさせてもらった水を飲みながら、気付くと前の仕事のペースでやってしまってた。しまった。
仕方無く入力が終わったと言えば、「早い!」と驚かれた。
「ありがちですが、パソコンが唯一の友達なんで」
と誤魔化したら、また憐れに思われたようだ。
一時前に来て四時頃になるともう帰りたくなったが、颯人がやって来た。服を取りに来たらしい。
ショウを見て驚きの声を上げた。
「何故此処にいる!」立ち上がったショウに詰め寄った。
「ナルシ、社長に頼まれて手伝うことになってん。僕無職やったし」と端的に言った。
「それと、こき使われている蒼海さんが可哀想で」
「それだけで、どうしてこんな弱小事務所で働くことになる?叔父に弱みでも握られたんか?」
ギクっとしたが何でもない振りをした。
「まあ、ボランティア?みたいな」
「ちゃんと給料出すよ!そうだ、時給1200円でいい?」慌てて蒼海が言った。
「良いけど来週からにして下さい。今週はお試しって事で」
「お前、付き人できんの?コミュ障だろ」
「そうだね、引きこもりだし、付き人は無理だよ。ここで事務が精一杯」
「慣れるまでは僕と一緒に行ってもらおうかと思ってたけど、引きこもりって忘れてた。給料、ショウ君今日から払うよ」
「あんまり仕事らしい仕事やってないと思うけど」
「そんなことないよー」
颯人がいかにも胡散臭そうにショウを見ている。
「そう言えば名前言ってませんでしたね。僕の本名は古川祥一郎です。でも、ショウでいいです」
「ふーん。鳴島颯人って知ってるよな。社長の鳴島響は僕の叔父って聞いた?」
「はい、聞きました。そういえば似てますね」
それを聞いて颯人は不機嫌一転、大層機嫌が良くなった。「そうだろそうだろ?」
「改めてよろしくお願いします」「おう、よろしくな」
ショウが片手を出して握手を求めると颯人に強く握られてブンブン上下に振られた。
その時、颯人が怪訝な顔をした。
「お前、手が熱いな」
ショウは言われて初めて、冷え性の自分がポカポカ暖かい事に気付いた。
蒼海さんが急いでやってきてショウの額に手を当てた。
「本当に熱いよ、熱があるんじゃないか?」
「そーかな。じゃあ、念の為今日はこれで帰っていいですか?」
これ幸いに言った。
「そうだね、引きこもり脱出計画初日だもんね。疲れたんだよ、早く帰り」
「蒼海は過保護だなあ」
「貴重な戦力だからね。温存しないと」
「おはよー」そこへナルシがジャグラー用のスーツケースを引きながら入ってきた。
「夕方ですけど」
近付いてきたナルシに「こんにちは」と言ったら
「この業界はその日初めて会ったらお早うって言うんだけど、知らないか」と言われた。
「知らないです。皆さんお疲れ様です。お先に失礼します。」と素っ気なく言ってショウがバッグを斜めがけして軽くお辞儀をして頭を上げ帰ろうとしたら、一瞬眩暈がして片手で顔を押さえた。ナルシがショウの肩を支えた。
「どうした?顔赤いぞ、僕に会ったから?」
「そんな事あるわけないでしょう。あなたが来たから調子悪くなったみたいで、もう帰るとこです!」嫌味を言った。
「熱があるみたいなんですよ」蒼海が付け足した。
「じゃあ、うちに泊まれ。一人暮らしだろ?悪くなったら不安だ」ナルシが張り切って言い出した。
「いえ大丈夫。僕時々熱出るし。風邪だったら移ったら悪いんで」ショウはむろん断った。
「いや、昼間なら蒼海がいるし、夜は僕がいるからその方がいい」
「えー、そんな大袈裟な」と颯人が言ったのでショウも頷いた。
意識するとやはり熱がある様で、ぼうっとしてきた。
「御免なさい、初日から」青海に謝ると
「いいから、仕事大分助かったし。ゆっくり休んで」
と心配そうに言われた。
「何かあったら言ってね」
「はい。ありがとうございます」
ショウは出口のドアへ向かった。
ナルシはスーツケースを隣の部屋へ持って行き、すぐショウの後を追った。
「ほら、おいで!」「ええ?」
ナルシに半ば強引に腕を引かれて連れ出された。
「ホンマにええですって」
「僕が心配なんだ」
ショウは「大丈夫やのに」と言いながらも渋々ナルシに従った。
家のドアを開けて入ると、ナルシはくるりとショウの方を向き抱きしめた。
「わぁっ」と叫んだが、お構いなしに額に口をつけた。
「うん、やっぱり熱いよ。熱測ろう」
「なんでそんな確かめ方するんや⁈そんなんするつもりやったら、やっぱり帰らせてもらう」余計顔を赤くして慌てて言った。
「病人に無体な事しないよ」
笑いながらがっちりと手を繋がれてベッドに連れて行かれた。ベッドに座らされてぼんやりしてるとナルシが服を持ってきた。
「これ君用の寝巻きを買っといたから、着替えて寝てなさい。あと、薬とか買ってくるから」
ショウが広げてみると確かに自分のサイズだ。
「いつの間に」
「また泊まってくれる時のために用意したのさ。準備しておいて良かったよ」
「昨日今日で用意よすぎる。気持ち悪っ」「はいはい」
上機嫌のナルシが出て行った後、どうしようか迷ったがせっかくなので着替えてみると本当にぴったりだった。
「ええ、うわー、どうしよう、何故僕はまた此処に居るんやろ?」
仕方ない、これは非常事態だ。自分家に帰ったら寝たきりで何もできない。自分で自分を納得させた。
もうこれ以上考えたくなくなってベッドに横になって布団を被るとやはり身体が怠い気がした。
久しぶりにパソコン入力して、目も疲れたと目を閉じた。
そのままうとうとしだすとナルシが帰ってきた。下げていたビニール袋を台所のカウンターに置くとベッドにやってきた。
そばに寄ってきた気配で目を開けた。
「レトルトだけどお粥買ってきた。それ食べたら薬飲んでまた寝ていていいから」
「食べたくないんやけど」面倒でぐずった。
「空腹で飲むと良くないから、少しでも食べろ。用意する」
今度はちゃんと体温計で測ると38度あったので仕方なく起き上がった。リビングのテーブルに行こうとしたら
「ベッドに持ってくるから」と止められた。
「過保護やなあ」
梅粥が小さな盆で出されたので、礼を言ってゆっくりと食べた。
「熱出て、おかいさん(お粥)食べたん久しぶりや」
今日の食事これが初めてだ。ナルシに言ったら怒られるので黙っておこう。
粥を食べたのが、この祥一郎の記憶なのか、前の世界からなのかもはっきりしない。
「何か熱出す心当たりあるか?」
と何故かうっとりとショウの食事風景を眺めているナルシに聞かれたので、目を閉じて考えてみた。視線がウザい。
「そう言えば昨日湯冷めしてもうた」
「それだ、何してたんだ?」
小説を、言いかけてお粥を飲み込んだ。危なかった。
「YouTubeとか見てた」
「子供みたいだな」ふふっと笑われた。
「家テレビ無いから」
ムッとしたが小説の事は言いたくないので黙っておいた。
見つめられながら食べにくいお粥を何とか終えると、既に薬と水がサイドテーブルに用意されてたので飲んだ。
寝ろと言われたけど、食べてすぐ横になりたくないと言えば、ナルシはベッドにあったクッションを重ねてその上に上半身をもたれさせた。
どこまでも世話焼きな人だな、うん、オカンだ。ほんまに。
「面倒見るとか言って夜接待が入ってしまった。一人にさせてしまうが、なるべく早く帰ってくる」ナルシは少し離れて不安気に言った。
「薬飲んだんやし、もう寝るし、今んとこ別に熱だけで、大丈夫やから、気にせんといて」気怠げに言うと手を振った。
ナルシがじっと見つめるので仕方なく
「何?まだ何かあんの?」と聞くと
「熱に浮かされた顔も色っぽくていいな、と」
ショウは聞いた瞬間にクッションを掴んで投げた。
ポスっと簡単に受け止められた。非力な自分が悲しい。
「もう、熱下がったの?」揶揄う様に言われた。
「んな訳無いやろ、余計熱上がったわ。早う行けよ」
ショウはグッタリとクッションに沈んだ。ナルシは戻ってくると甲斐甲斐しくクッションを元に戻した。
「君はなかなか心が狭いな。褒めたのに」
「いらんねん。心が狭いのはナルシに関してだけやし」
目を閉じようとしてナルシの顔が近づいてきたので慌てて突っぱねた。
「じゃあ、行ってくる」彼は別に無理強いせずにニッコリすると、出ていった。
今度こそ目を閉じた。
『疲れた』
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