another time 7

連れて行かれたところはこぢんまりとしたイタリア料理店だった。予約を入れていたのですんなり案内された。

ショウは服を改めて正解だったと安心した。靴は置いてあったローファーを磨いて履いてきたのだ。抜かりはない、はず。


ソムリエ兼給仕が勧めてきたワインで乾杯した。

飲みやすい…ショウは悪い癖で一気飲みした。

「そんなに美味しかった?」

少し驚いてナルシは言った。


給仕は前菜を持ってきたが、ショウのワインが空になっているのを見ると、笑顔でまた次いでくれた。

「うん、美味しい」とショウは二人に向かっていった。

そして今度は半分ぐらい飲んでから、前菜のサラダを食べ出した。


ナルシは真摯に謝った後、何故ショウなのかと尋ねたら恥ずかしい答えが返ってきた。

「君は魅力的なんだ。性別を超えた美しさ、声。謎めいた微笑、人当たりの良さ。一目惚れだよ」


「僕は恋人がいるって言うたよな。それなのに無理矢理」顔を赤らめながらそれ以上をさえぎった。

「うん、だから、取り敢えず強引にでも繋ぎ止めたかった。」

「勝手な理由や」


メインディッシュは牛肉と何ちゃらのローストって言ってたな。分からんので「肉がいい」と任せた。柔らかくて美味しいので良しとする。


ムカついたので多少ナイフの入れ加減がキツくなって皿が鳴った。ナイフとフォークなんて家では使わんしな。

マナー的には悪いので一言謝ろうと顔を上げた。

ナルシもナイフとフォークを低く構えてこちらを見ていた。

そして真剣な顔でゆっくりと言った。


「そうしないと、この世界から消えてしまいそうな気がしたんだ。嘘じゃない、本当にそう思ったんだ」


ショウはナルシの言葉に衝撃を受けた。ショウにとっての世界の立ち位置を知っている様な言い方に。


前の世界は兎に角ショウの心に潤いを与えた。記憶も十分にあったし、人との繋がりもあった。その世界に関わっている実感があった。

この世界になって希薄になりつつも前の記憶がある。


その前以前の記憶が殆どないのは、単に存在していただけで何も関わろうとしなかった。忘れてしまうのではなく、そもそも記憶に残る思い出がなかったのでは?


突然の転移でその世界に馴染めず、孤独に耐えきれなくなって絶望の末自死しようとした時もあった。でも転移は死ぬ寸前で発動し次に続いた。古川祥一郎自体は無くならなかった。移った先の自分はいつも古川祥一郎だった。同じ世界に二人の古川を見た事は無い。


今までの25歳になると転移するとの認識も、今回すでに25歳なのでそこから何年いるか分からなくなった。直ぐに転移する可能性もある。

前の世界に来た古川祥一郎は何処へ行ったのかわからない。また久音と恋人になるのかはわからないが、考えただけで嫉妬に狂いそうになる。


「僕への賛辞はともかく、消えてしまいそうなのは、そうかもしれん。僕の事を誰も知らへん現状では、消えてるのと同じや」

思わず笑いながら言ったが心の中は冷え切っていた。

消えても古川祥一郎は存在しているので、消えたことすらわからない。虚しい人間だ。


「兄弟はいないし両親も死んで天涯孤独やから」

ナルシは困った顔をした。

しまった、こんな事言うつもりなかったのに。

「ま、5年も前のことやから、もう慣れた」

動揺を誤魔化すために、小さく切った肉を口に入れて咀嚼した。


「それは辛いな。でも大丈夫!僕がいるから安心しろ」じっと見つめて真面目な顔で言う。


「君といて安心できるかいな。そもそもの関わり方がエグいんよ」

視線を逸らして3杯目のワインをごくごく飲んだ。


食事とワインは美味しかった。一人では入りづらいから外食はこっちではしてない。

酒を飲むと久音の事を思い出し、辛くなって泣いてしまうので、外で飲むのは避けていた。

今日はナルシがいるので気を張っているから大丈夫!最初はそう思っていた。


食後にデザートを断ってグラッパを少し飲んだ。


その後またまたお勧めのバーへ連れて行かれ、今度はカクテルを何杯か飲んだ。今まで大量に飲んでも殆ど酔ったことがなかったので安心していた。


段々、気が緩んできた。ナルシの前なら久音の事いっぱい喋ってもえーやろ。久音のいいところを余す事なく伝えてショウのことを諦めてほしい。


ショウは失念していた。酒に強かったのは前の身体だった時だ。この身体では、初めてだったことを。




顔にかかった温かな水で少し目が覚めた。

「あ、ごめん、かかっちゃった」顔を拭われた。

何だろう、途轍もなく眠い。目を閉じたまま頷いたが、意識が遠のいていく。

顔にかかる髪の毛を払いのけてくれる。

「すぐ済むから」『何を?』重たい目を少し開けた。

何故かバスタブの中に入れられて背もたれたまま足を伸ばして座っているみたいだ。湯は溜まっていない。

また眠さに勝てず目を閉じてしまった。

何かふわふわするものが首から肩、胸と下がっていく。くすぐったいし、鬱陶しいので払い除けようとしたが手が上手く動かず硬い何かをペチペチ叩いてる音がした。

その腕も持たれてフワフワはそこに移った。

胸から下がってくるので「触らんといて」と言ったが口があまり動かず呟いたようになった。

しかし、同じ調子で下半身もフワフワが通り過ぎる。

どうでもよくなってまたうとうとし始めた。


「ちょっと横向けて」身体に力が入らないので腰を押されるままだ。


突然、尻の穴に違和感を感じた。何か差し込まれてグジュっと冷たい液体が中にに入ってきた。

「うわぁ」一気に目が覚めて叫び、暴れたつもりだったが、実際は横から抱きしめられて動けなかった。下を見ると穴に片手が添えられている。

「何しとん」

「浣腸」と手のひらの大きさの浣腸器の先端を出した。

文句を言おうとしたが急激に襲われる排便感にパニックになった。

「何やこれっ漏れるっトイレ」

「やった事ない?我慢できる?トイレそばにあるけど間に合わなかったら此処で出してもいいよ」


呑気な声に腹が立ったが切羽詰まってた。

「トイレ!」怒鳴るとひょいっと軽々持ち上げられて便座に降ろしてくれた。


水と共に便が流れていき、気持ち悪くなったショウはそのまま便座の前の床に向かって吐いた。量は少なかったが何回も吐いたらしく、胃液が逆流すると喉が焼けるように痛んだ。

「大丈夫かい?ほんと、飲み過ぎだよ」

言い返そうとしたが酸っぱいヨダレとついでに出てきた鼻水で息も絶え絶えだった。


ショウはもう一度抱えられてバスタブに降ろされた。

「目を閉じたままにしてて」

顎を掴まれて渋々顔を前に突き出すと軽くシャワーを当てて擦られた。口を開けさせられてシャワーの水を注がれたので口をすすいだ。


抵抗したが、尻の穴も指を中に入れられて洗われてしまった。

フワフワしてるのは浴用のスポンジで身体を洗われていたのだ。

「もういいから」やっと言って立ち上がろうとしたが止められた。

「運ぶからじっとしてて」タオルで身体を拭かれて別の大判のバスタオルに包まれて持ち上げられた。

「ホント、身体軽いなあ。ガリガリじゃないか。ちゃんと食べなきゃ駄目だよ」

生まれて初めてのお姫様抱っこで完全に心を折られ、呆然としたままだ。


ソファに降ろされて、やっと周りを見た。

ワンルームだが、やたら広くて『「90㎡はある」ナルシ談』で端に台所、反対側に一人用にはやたら大きなベッドが置かれていて真ん中にソファーとローテーブルとテレビがある。

「此処はどこや?何で僕は君に裸にされて挙句浣腸されてんの?」

水の入ったペットボトルを渡されてショウは


ナルシはまだ髪から雫が垂れるほど濡れたまま、腰にバスタオルを巻いただけの姿でショウの前に立った。

ジャグラーで重い物を軽々扱えるのがわかる、肩から腕にかけて筋肉のついた身体だった。

ショウを抱えて運ぶのには全く苦にならないだろう。

そこまで確認して身体から目を逸らした。

「此処は僕の家。君は飲み過ぎて吐いて動けなくなった。介助しようとしたら僕に向かっても吐いたから僕まで汚れてしまった。やむを得ず此処に連れてきてシャワーを浴びさせた。浣腸はついで」

「ついでは要らんやろ。どう考えても」

僕が飲み過ぎやと?今までそんなに酩酊して吐いた事なかったのに。

ショウは其処まで考えて、アッと思い至った。

それは前の世界の祥一郎だ。この世界の酒には全く慣れていなかったのだ。


「この前は無理強いして痛かっただろうから、今日は優しくしてあげようと思って」

「全然反省しとらんやんか!何でヤルの前提なんや」

「そのつもりなかったんだが、君の裸を見てたら」

「見んといてーや!服は?」

両手でナルシを思い切り押した。バスタオルが外れて膝にかかると慌てて引きずり上げた。

「恥ずかしがらなくても、さっき君の身体は隅から隅まで見たし触ったよ。」

「何ちゅう奴や!僕が寝てる間に好き勝手しやって」


ナルシは立ち上がると平然と言った。

「うん、性器も全部見た。人間の神秘だね。震えるほど感動したよ!素晴らしい!ただ、痩せすぎる。」

「そんな事思うのお前だけや変態!親と医者しか見られた事なかったのに」ただでさえ体が熱いのに更に顔まで熱くなった。


「恋人は?」

「恋人も、勿論見たな。余計なお世話や!」天を仰いだ。

「じゃあ、恋人になる僕もいいだろ?」と言って風呂場へと戻っていく。

「アホか何言ってんだふざけるな!そして僕の服は!?」

「洗濯中だから代わりの持ってくる。風呂の床洗ってくるから待ってて」


5分後ショウは大きすぎてブカブカのパジャマの上を羽織り、コンビニで買ってきた、と渡されたトランクスを履いてソファーに膝を抱えて座っていた。


インスタントのしじみ汁とウコンジュースの缶を渡されたがしじみ汁だけ飲んでジュースは前のテーブルに置いた。

「両方取った方が効くぞ」

白いシルクのパジャマを着たナルシは肩にタオルを掛け、半乾きの髪を下ろしていた。

髪の毛下ろすと長いな。どうでもいいことに目が行った。


ショウはゆるゆると首を振った。

「無理。ウコン茶も好きじゃないんだ」少し首を振っただけで視界が揺れて眩暈がする。


「何でこんなことに」はーっと膝の間にため息を吐いた。吐き気はなくなったが、まだ酔いは残ったまま相変わらず体がだるくて動かしにくい。

「食事の時ワイン三杯飲んだだろ?バーでカクテル三、四杯、ハイネケン二本とと酎ハイ二杯と、最後に僕が飲んでた冷酒も奪って飲んでた」


「何故止めてくれんかった」

「酒強いんだと思ってた。くおん、とか言う恋人の事を僕の前で言い続けて、止めにラーメン食べたいって誘うから。それは付き合いきれないと思って、止めようと顔見たら目が座っていて、ゲロゲロって…」

「ええ…」

「折角美味しい店に連れてったのに全部吐いてしまって」残念そうに言うものの口元は笑っていた。


「最悪やー。奢りでええもん食べたのに全部戻すとはー。その辺記憶にあるっちゅうか、ラーメン?そんなん普段滅多に食べんし。いや記憶無いよう。うわー最悪やー。その上他人に全裸見られるし浣腸されるし、便漏らしも見られて、うわあ、もう死にたいわ!今なら死んでも許されるやろ」

頭を両手で抱え込んだ。


「店はまた連れてく。今更気にするな。僕が受けた迷惑は特にな。もう、他人じゃないから」

「他人やし!ナルシへの迷惑は全く気にしてへん。主に全部僕のことや」


ヤケクソ気味にショウはソファーに横になった。

「駄目や、取り敢えず眠い。泊まっていいやんな。寝る、お休み」大きなソファーはショウがナルシを蹴り出した足を肘掛けに乗せると丁度良かった。上にあったクッションを頭の下にやって目を閉じた。

「ベッドまで運ぶよ」

「要らん、此処でええ。もう僕に触んなや」と最後に欠伸すると言った。


直ぐにスヤスヤと寝入ってしまったショウにナルシは不満そうだったが、毛布を取ってきて丁寧に被せた。

そして無防備に眠るショウに微笑んで、その額に軽くキスしてからベッドに寝に行った。



ショウは寝返りを打とうとしてソファーから落ちかけ、唐突に目を覚ました。部屋は薄茶色の照明になっていた。むっくり起き上がると時計を探したが見つからなかったが、代わりにスマホがテーブルに置かれていた。

『3:33』

またかいな。トイレ行こ。

床に足を下ろした。フローリングで冷たかったがスリッパが近くにある。がそのまま素足でペタペタ音を出しながら歩いていく。


「ショウ!どこ行くんだ?」

ガバリと布団が跳ね上がられる音がしたかと思ったらベッドからナルシが起き上がってショウの方へ急いでやってきた。


「トイレ借りよと思うて?そない驚かんでも」

あからさまにホッとしたナルシは

「歩けるのか?」と聞いてきた。

「見ての通り大丈夫や」


ショウはしっしっと手で追いやる仕草をしたが、ナルシは先走ってバスルームの電気を付けてドアを開けた。

「もういいから寝とけよ」

言い残してドアの中へ入っていった。


「うわっ」用を足して外に出るとまだナルシがいた。

「まだいたん?」ショウが戸惑っていると、おもむろにナルシがショウを抱き上げた。

え?と反応が遅れ、気がつくとベッドの上だった。

「此処で寝ろ」

無理矢理横にして布団を被せようとする。

「嫌やよ。ソファーで寝れるさかい、いらん事すな」ジタバタする。

「あそこじゃ疲れが取れない」

「お前の横でも疲れるわ、ていうか疲れることさすつもりやろ」

「普通に寝るから」

腕力ではこの男に到底勝てないので布団ごと押さえつけられたままだった。

「じゃあ、普通に寝かせてくれ」

「よし、わかった」

ようやく布団に入ったが、すぐショウを引き寄せて胸に抱きしめた。

「これ、止め」

「これぐらいいいだろ」

ショウはため息をついた。


「久音に最初に会った夜、僕が恋人に振られて泣いてる彼を抱いたんだ、そんな風に。もちろん、抱っこしただけやで」

ショウはナルシの行動に釘を刺す為に言ったが、不意にその時の感触がよみがえり、自分がうっかり泣きそうになった。

「あまりにも寂しそうだったから僕が拾ったんだけど」

「その恋人はどうしたんだ?」

「遠くへ行ってしまった。会いたいのに。今でも大好きなんだ」

気持ちは素直に吐露した。真実、並行世界から来ましたとは言えない。ましてやこの世界のショウと入れ替わってるとか。

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