大掃除の日


 ~ 十二月十三日(月) 大掃除の日 ~

 ※正月事始め《しょうがつことはじめ》

  困ったことに。

  これは熟語じゃない。




 試験前には良くある話だ。

 だが。


「試験初日が終わったところでやるもんじゃないと思うんだが」

「で、でも、気になって……」


 無論明日も試験がある。

 しかも、文系教科三つという最大のヤマ場。


 そんな現実から逃げるために。

 人は、普段ならやらない。

 でも勉強よりはマシという退避行動をとる。


 それがなにかと問われれば。


 そう。



 掃除である。



「きゃはは! 秋乃ちゃんが現実逃避してるのよん!」

「そう言いながら机の中のもん全部引っ張り出して整理始めんな」

「まったくだよ~。そこまで勉強したくねえのか~?」

「お前はお前で窓拭きながらなに言ってるんだよ」


 急に始まった秋乃の現実逃避が。

 きけ子とパラガスばかりじゃなく。


 あっという間にクラス全体へ広まっていく。


「あっは! みんなよっぽど勉強したくないみたいだね!」

「王子くん。机の摩擦係数はきっともうゼロだ。なにも置けなくなるからそれ以上磨くな」

「まったく呆れたもんだ。試験の成績によっちゃ補習も追試もあるだろうに、おっとっと」

「姫くんは床磨きすぎなんだよ。椅子が滑るってどんなレベルだ」


 気付けば至る所で。

 それじゃあ俺も。

 それじゃああたしも。


 まるで、人の背を見て良心が目覚めたかのように教室を掃除し始めたんだが。


「邪心しかねえ」


 いやはや、酷いクラスだ。

 ……とは言え、何人かは。


 ほんとは勉強したいのに、この雰囲気のせいでやむなく手伝ってる気もするが。


 ともかくこんな状況を。

 先生が見た日にゃ……。



 がらっ


 

「な!? …………ん、の、真似だ貴様ら」

「悩むな悩むな」


 いつもの切れがまったく無い。

 叱ったものか褒めたものか

 決めあぐねたものと思われる。


 終礼もねえのに。

 どんな虫から知らせを受け取っているのやら。


 のこのこ入ってきて、否定も肯定もしないでみんなの様子を見つめる先生に。


 俺は大掃除を続けるみんなを挟んで。

 ちょっと大きめな声をかける。


「こうなっちまったらしょうがねえ。諦めろ」

「うむむ……」

「安心しろよ。全員でやったらあっという間だ」


 俺の言葉が証明する通り。

 天井も机も床も。

 壁も黒板も窓も。


 おおよそ掃除できそうなところは。

 既に鏡のようにぴかぴかだ。


「あと三十分も我慢すれば諦めて勉強し始めるさ」

「まあ……、そうだな。今日は正月事始めだし、認めてやるか」

「事始めって…………? 年明け最初になにかやることじゃねえのか?」

「お前にしては珍しいな。正月を迎える準備をし始める日のことを事始めというのだ」

「へえ!」


 なるほどね。

 それは一つ面白いことを学んだ。


 でも、面白い知識を得ると。

 他人に言いたくなるのが性という物。


 ちょうどいい。

 俺は、窓枠を怪しい薬品で磨くのに夢中になってた秋乃に声をかけた。


「お前、ここまで真面目に掃除したの、今年初めてじゃねえの?」

「そ、掃除初め……!」

「いや、事始めって言うのはな、正月の準備を…………? あれ?」


 事始めと、なんとか初めってのは違うのか。

 いけね、勘違いした。


「こ、今年初めてのことしないと……」

「習字道具出そうとすんな、それはやっただろうが。いいからお前はわたわたしないで今の時期をよく思い出せ」

「こ、今年、あと18日しかない! あ、あとやってない事?」

「だから……」

「お食い初め?」

「赤んぼか」


 仮に最初に食うちゃんとしたメシがその弁当箱の中身だったとしたら。

 チーズダッカルビとかヘビー過ぎるだろ。


「その前にテスト中だって話だよ」

「そっちは思い出したくない……」

「逃げてたこと認めやがったな? グダグダ言わずに、まずは世界遺産の丸暗記から開始だ」


 俺は、秋乃の鞄にガラクタを突っ込んで。

 教科書とノートを広げて秋乃を机の前に座らせる。


 するとこいつは。

 諦めもせずに、本気でぐずりだした。


「世界遺産なんか覚えたって、クイズ番組でしか役に立たないよー!」

「なかなかどうしてそれは俺も反論できんが」

「一生出ないよそんなの! 絶対、ギャラ分の取れ高稼げない……!」

「妙なプロ根性出すな」


 キャラ崩壊して無茶苦茶言い出した。


 なんだこれ。

 ちょっとかわいいじゃねえか。


「古語だって、清少納言が時間軸系異世界転生しない限り使う機会無いよ絶対ー!」

「わからんぞ? この間、戦国時代の武将がタイムスリップして現代に来たアニメ見て、立花宗茂がかっこいいとか言ってたじゃねえか」

「中の人のファン……」

「そういう話じゃねえ」

「万が一、本物が来ても、あたしが古語なんて使ったら『ぷぷっ! へいあ~ん!』とか言われる……」

「昭和~、みたく言うな」


 なんだか、凜々花とか聞け子としゃべってる気分。

 秋乃の意外な一面発見だ。


 でも、そんな事でにやけそうになる頬をぴしゃり。

 俺はもう一冊の教科書と対策ノートを机に並べる。


「もう一つ。世界史も待ってるからな」

「カタカナの名前なんか、覚えられない……」

「じゃあ日本人っぽくして覚えろ」


 俺が、試験に出そうな偉人の名前一覧のページを広げると。

 ようやく諦めた駄々っ子が。


 最初の偉人を。

 日本人っぽい名前に変換した。

 

「…………王さん。職業は牧師」

「その覚え方でいいから。テストの解答欄にはちゃんとキング牧師って書くんだぞ? じゃあ次」

「兄弟来斗」

「そうだな、苗字が後だからな。でも兄弟はファミリーネームじゃねえ」

「ゲール・ナイチン」

「ぶふっ!」


 いかんいかん。

 笑ったりしたら勉強どころじゃなくなる。


 ここは真面目に。

 ちゃんと教えねえと。


「それは乃・秋って言ってることになってるぞ? 名前はフローレンスだ。じゃあ、次は?」

「…………テレサちゃんママ」

「うはははははははははははは!!!」


 どうしてポンポンおもしれえこと思い付くんだよ!

 さすがにこらえきれんわ!


「ひ、人が真面目に覚えてるのに……」

「ああ、すまん」


 いやはや、失敗失敗。

 ふてくされながらもせっかく教科書に向かっていた秋乃が。

 やる気を削がれた様子で顔をあげちまった。


 ……そして、見る間に。

 不安そうな顔になっていくんだが。


「どうした?」

「だ、だって……。みんな、掃除してる……」

「そわそわしないでいい。お前の真似して現実逃避してるだけだ」

「そ、そうじゃない人もいる……、よ?」


 なるほど言われてみれば。

 俺も同じこと考えたな。


 委員長と五十嵐さんコンビとか。

 真面目チームの人は、秋乃の言う通り。


 ちょっと困った様子で。

 掃除を続けていた。


「……まあいいじゃねえか。好きでやってるんだし」

「よ、良くない……。あたしが、みんなで掃除しようって空気にしたせい……」


 ああ、この顔。

 前にも見たな。


 たしか、おしゃまちゃんがイルカのブルーレイ借りようとして、借りれなかった時と同じ顔。


 あの時は、確か。

 秋乃がおしゃまちゃんに貸してあげたいって言い出して。


 店員のおっさんを説得できずに困ってたから、俺も加担して。

 俺がおしゃまちゃんの全てを保証するって言ったはず。


 てっきり、喜んでくれると思ったのに。

 困ったような怒ったような。


 そんな顔して、先に帰っちまったっけ。



 ……意外と子供みたいにぐずる顔。

 そして、今の困り顔。


 まだまだ俺は。

 お前の知らない所が沢山あるようだ。



 でも。

 前者はともかく。


 後者の顔の意味が分からない。


 お前はどうして。

 そんなに怒って。


 それと同時に。

 そんなに悲しんでいるんだ?



 分からない。

 分からない。




「……たけひかる

「うはははははははははははは!!!」


 お前がボケているのか本気なのか。


 それも俺には。

 よく分からん。

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