肆.恐怖は連鎖する

「とにかく出口へ!!」

 こけた痛みなんて忘れてしまったというくらいに、飛び跳ねて立ち上がり出口に向かって全速力でまた走りだした。

 出口を出る瞬間、主人公は彼氏の事を思いだして出口直前で立ち止まってしまった。

 だが、私にはそんなものは存在しない。

 彼氏と名乗る幽霊が出ようが、私とは無縁だ。

南無阿弥陀仏なむあみだぶつー南無阿弥陀仏ー!!!!」

 仏教徒ではないが、今だけは助けを乞うしかない。

 後ろに一つで結んでいた髪のゴムが取れて、長い髪が生きているかの如く暴れ狂いながらも無我夢中で走り続けた。


 やっと出口の光が見えてきた。

 その光を見て、さらに一層足に力がみなぎってきた。

「よっしゃぁぁぁっ!!出口だぁぁぁっ!!」

 最後の力を振り絞り、さらにスピードを上げた時、耳元でとても低い声が聞こえた。


『ニガサナイヨ』


 その瞬間、左足が何かに引っ張られた私は体制を崩してこけてしまった。

 足を引っ張る何か……それはとても冷たいものだった。

 左足のほうをゆっくりと振り返る。


 ――手だ


 私の足を掴む誰かの手……

 その手を別の誰かが掴んでいて、それがいくつも絡まりあっているのだ。

 私の足を掴む手をよじ登るように手と手の隙間から、さらに別の手が出てきて私を掴もうとしている。

 手の先は真っ暗で何も見えないが、感じるのだ。

 たくさんの誰かが私をうらやむように見つめる視線を……

 少しずつ、私を出口からトンネルの奥へ引きずっていくのだ。


 ズルズルと音を立てながら……


 そこまで強い力で掴まれているわけではないが、恐怖のあまり全身に力が入らない。

 恐怖に怯える私を、嘲笑うかのようにワザとゆっくり引きずっているのかもしれない。

「た……たすけて」

 声を出すのもやっとで、だんだんと出口が遠ざかっていく。

 少しずつ手が身体を押さえつけるように乗っかってきている。

 意識がだんだんと朦朧もうろうとし始めると、またあの低い声が耳元でささやいた。


『ズットイッショダヨ』


 その言葉を聞いた私は、もうそれでも良いか……と目を閉じようとした時だった。


 ――グォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!!!!!


 地鳴りのような、重く響く声だった。

「く……ま……⁇」

 閉じかけていた意識が覚醒した。


 熊、ヤバいやつじゃん。



「ああああああっ!!!!」

 先ほどまで入らなかった力が徐々に漲って、私を抑え込んでいた手をはじき飛ばした。

 ゆっくりと出口に向かって身体を引きずり始めた。

 ドスン、ドスンというような音が聞こえたと思う。

 熊が二足歩行で歩いてきているのかもしれないという妄想のせいでさらに恐怖を感じ、早く逃げなければいけないと感じた。

「ああっ、もう邪魔なのよ!!」

 私は身体を起こして左足のほうに振り返った。

 そして、私の身体にまとわりつく手を払いのけた。

 払えば払うほど掴もうとしてくる。

 早く逃げなければならないのに、私の左足を掴む手が頑なに放そうとしないのだ。

「もう、ふっざけんな!!!!」

 私は怒り任せに右手に持っていたハイヒールのヒール部分を手にぶっ刺した。


 グチャっと嫌な音がした。


 私の攻撃に、左足を掴む手が離れた。

 すると、他の手も怯んだ様に身体から離れていった。

「もう大丈夫⁇」

 手が離れた事で安心した時、目の前にきらりと光るものが二つ見えた。


 ――熊の目だ!!!!


「あああああああああああああっ!!!!」

 またも人生最大音量の奇声を上げて出口に駆け出した。

 今なら、短距離走の世界新も夢ではないというくらい勢いよく、トンネルを飛び出した。

「出た!!!!」

 トンネルを出て安堵してしまい、全身の力が抜けて倒れ込んでしまった。

 トンネルの幽霊は外に出れないから大丈夫だが、熊は違う。

 きっともう真後ろまで来ているに違いない。

 もう終わりかもしれないと目を閉じるが、熊の声どころか足音さえ聞こえない。


 恐る恐る目を開けると、ヒールが落ちていた。

 目の前には電柱がある。

「元の世界に……戻れたんだ」

 ヒールを包み込むように胸の前まで持ってきて、その場で座り込んでしまった。

 もうこんな目に合うのはこりごりだと安堵の笑みを浮かべていた。


 そう。

 物語は始まったばかりで、これからも続くという事に私はまだ気付いていなかった。

 そして、取れたヒール部分を大切に持っているが、ハイヒールはすべてトンネルに置いてきてしまった事に、今の私は気付いていなかった。


 後日談になるが、ある会社員の男性が体験した怪談話が一時期噂になっていた。

 その男性は五次会まで会社の飲み会に参加していたため、終電を逃してしまったのだ。

 ホテルに泊まるには、安月給の自分には厳しいものがあり、仕方なく歩いて帰る事にしたのだ。

 いつもの帰り道に気分よく鼻歌を歌いながら帰っていると、遠くに倒れている女がいたそうだ。

 自分と同じ酔っぱらいかと思い、助けようかと歩み寄ろうとした時だった。


 その女は突然起き上がって四つん這いになり、辺りを徘徊はいかいし始めたそうだ。

 男性は恐怖のあまり電柱に身を隠したのだが、その女と目が合った気がしたのだ。

 気のせいだと思い、身を潜めていたのだが、四つん這いの女は先ほどよりも速い速度で自分に向かってきた。

 街頭の明かりで見えたその女の顔は、血走った目に悪魔のような笑みを浮かべていたそうだ。

 男性は悲鳴を上げて、全速力で交番まで逃げた。

 事情を説明してお巡りさんと共にその現場に戻ったのだが、その女はいなかったという。

 お巡りさんには酔っていたから幻覚でも見たのではと言われてお説教を受けた。

 男性はあれは現実にあったのだと、友人や知人に話をして情報を集めたのだが、誰も知る者はいなかった。

 その後も何度か友人を連れて夜道を歩いたが、その女は現れなかった。

 恐怖のあまりノイローゼになりかけている男性に対して、友人はお祓いに連れていき、引っ越しを勧めたのだ。

 そして、男性は引っ越してしまい、その女の正体は分からずじまいになってしまったのだ。

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