ー フュルギアの囁き(4) ー

ぱらり、と次のページをめくる。


————獣人族キメラが住まう国、【マーナガルム】

現在は、フェンリル種の女王リーヴスラシル・マーナガルムが統治しているが、実態としては妖魔族ファフニールの庇護下にある国である。

獣人族キメラは、忌まわしき妖精戦争の折、妖魔族ファフニールに対抗するべく、人間族ヒトによって生み出された最も新しい生命であり、戦争時は人間族ヒトの配下であった。


「配下ですって?…気に入らないわね」

思わず、鼻で笑ってしまう。

獣人族キメラは、確かに人間族ヒトによって生み出されている。

しかしそれは、魔獣フォボス人間族ヒトの奴隷を使った人体実験という、想像を絶する非道な方法によって、生物兵器だ。


「そして、そのために太古より存在する古き賢者。始祖の魔獣が一体、フェンリルを殺めている…」

胸の奥が、きゅっ…と締め付けられる感覚を覚える。

こくり、とお茶をひとくち飲んで、深く息を吸った。


魔術ルーンを使うための魔道具フロネシスの中には、特別な力を持つものがある。

神器魔道具〔アーティファクト〕と、呪詛魔道具〔ニーベルング〕だ。


獣人族キメラには、数多の呪詛魔道具ニーベルングが使用され、成功例と呼ばれる生命体だけが生き残り、隷属の呪いがかけられた呪詛魔道具ニーベルングを無理矢理着用させられていたらしい。

満足な食事も寝床も与えられず、昼夜も問わず、武器がダメになろうと、翼を引き千切られようと、手足が捥がれようと、自決することも許されず、ただひたすらに妖魔族ファフニールを殺せと命じられていた生物兵器。

初代の魔王は、余りにも憐れな獣人族キメラたちを見て大変に怒り狂い、それが妖精戦争の終結に繋がったという謂れが残っている。


妖魔族ファフニール獣人族キメラは、お互いに凄惨な殺し合いをした間柄ではあるが、初代魔王は妖精戦争終結の賠償として人間族ヒトからの解放、及び、獣人族キメラを個別の種族として認めさせ、更には国を与えるよう要求したため、現在のマーナガルムが存在する。


我ら妖魔族ファフニールにとって、始祖の魔獣とは非常に尊い存在だ。

血族の結びつきが強いのも、四家が存続するのも、代々の魔王を擁立して忠誠を誓うのも。すべては、妖魔族ファフニールを生み出した始祖の魔獣が一体、古代竜リントヴルムと、当時の妖精王ロヴンから託された想いを忘れないため。


妖精族フェアリーは、無垢の世界アルケーの頃より善き隣人であった。だが、その心は人間族ヒトへの悲しみと憎しみに覆われ、美しき森で舞うことも忘れてしまった。かつてのように息吹きを祝福することは、もはや叶わぬ』

『我らが子、妖魔族ファフニールよ。どうか戦なき世を作って欲しい』


これは、四家に伝わる始祖の言葉だ。


「戦なき世…」

ぽつり、と言葉がこぼれる。

私たち妖魔族ファフニールは、エンテレケイアの抑止力。でも…。

「やっていることは、戦…なのよね…」

天井を仰ぎ、瞼を閉じる。少し、首が疲れたみたい。


『キミが、世界の犠牲になる必要なんて…』


「……?」

何かを思い出そうとしたその時、図書室のドアがノックされた。


「どうぞ」

「お嬢様、こちらにいらっしゃいましたか」

「エルディル。ごめんなさい、探させてしまったかしら」

彼は、エルディル・フィマフェング。我が家の家令だ。


「とんでもございません」

恭しく頭を下げた後に彼は続けた。

「お勉強中恐れ入りますが、ご当主様がご用意なさるようにと」

「わかったわ。ありがとう」

エルディルが完璧な所作でお辞儀し、闇の中へと姿を消す。

我が家の使用人たちは、役目がないときは基本的に姿をあまり見せない。彼も恐らく、私の返事をお父様へ伝えに戻ったのだろう。


「夢の件はよくわからなかったけれど、仕方ないわね」

言うや否や、読んでいた本がパタリと閉じられ、書架へと戻っていく。


「ヘスティア。お茶とても美味しかったわ」

「あ、あと、片付けもありがとう!」

最後にもうひとくちだけ、お茶を含む。

ふわ…と姿を現した彼女は、いつも通り微笑んだ。


そして、


『お嬢様、どうかお気をつけて』

「…え」


私は、その時初めて、ヘスティアの声を聞いた。

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