ー 見えざる手(1) ー

「…ヘスティアが?」

「はい、間違いないかと」


軍服に着替えた私は、お父様の執務室へと向かい、今朝の事をご報告した。フュルギアであるヘスティアが夢枕に立ったこと、夢の中でなぜか自分が死にかけだったこと、そして先ほど…予言らしき言葉を聞いたこと。


ふむ、と少し考え込んだご様子の後、

「今日の予定は、ミード調合のみだったな?」

「はい」


ミードとは、いわゆる回復薬だ。

妖魔族ファフニールが開発し、今では種族問わず世界で使われている。

一応、各種レシピも無償公開されているのだが、材料採取や学術・技術・設備といったハードルの高さから、今でもそのほとんどを妖魔族ファフニールの「調合士〔ハーナルヴィト〕」と呼ばれる専門職が作っている。

調合士ハーナルヴィトは薬学と錬金術を修めたエキスパートだ。光属性アイテールはそもそも適正を発現している者が少なく、また、魔晶石イデアも希少なため、治癒の魔法セイズ魔術ルーンよりも、調合士ハーナルヴィトの作るミードが回復の要なのである。


神々の娘レギンレイヴである私は、魔力酔い覚ましケイロンミードを飲んでいないと、生活魔術ヴィタルーンの使用に支障があるため、他の人以上にミードが欠かせない。

我が国ミュルクヴィズには、そういった学術を学ぶための専門機関である学校が存在し、私自身もそこで薬学と錬金術を学んだので、各種ミードを作ることができる。


私の所属は、前線部隊であるヘルモーズ隊なのだけれど、今回は急ぎで大量のミード作成が必要になったとかで、エイル隊のミード作成支援へ駆り出される…というわけだ。


「…ヘスティアが言葉を発するのは、あの時以来か」

「……」

「いや、詮無きことだった。すまないな」

「いえ…」


お父様が言った「あの時」とは、私を産んだお母様が亡くなった時のことだ。私はまだ赤ん坊だったのでお母様の記憶はない。それに、亡くなったとは言っても、大精霊エネルゲイアに「死」という概念は存在しない。神話に近い伝記でしか語られていないことだが、大精霊エネルゲイアは力を失うと消滅し、代替わりすると伝えられている。


「そろそろ向かうとするか」

「はい」

お父様は私の目線に合わせるために膝をつき、優しい手つきで頭を撫でる。10歳かそこらにしか見えないちんちくりんとはいえ、私はれっきとした成人女性。けれど、何度言ってもお止めになって下さらないので、今はもうされるがままだ。


「……」

「…?」

お父様は、じ…っと私を見つめた。


「…あの、なにか」

「今日の髪結いは」

「自分でしましたが…」


四家に連なるアウストリ家は、魔王様から与えられた領地を治める立場にあるため、人間族ヒトでいえば貴族のようなものだ。けれど、四家の成人は全員軍人でもあるため、礼装でもない限り、身支度は自分ですることが多い。


「こちらへ」

「はい…」


始まった、と思った。

当然のように用意された丸椅子にちょこん…と座ると、ただ結い上げただけの黒髪を解かれた。毛先にかけてゆるく巻き癖のある髪を丁寧にブラシで梳いた後、左右の髪を繊細に編み込まれる。耳と同じ程度の高さでまとめて結い上げ、編み込みを少しだけほぐして動きを加える。実に手慣れた手つきだ。


娘の私が言うのもどうかと思うのだけれど、お父様の幼馴染でもあるお義母様の言葉を借りれば「アレはね、表情筋が死んでいるの」。

要は、感情が全然顔に出ないので何を言い出すか読めない。けれど、エキゾチックな浅黒い肌に、モルフォ蝶のような青いラブラドレッセンスが閃くグレーの瞳、右目の下にある泣き黒子。ゆるい巻き毛のミディアムロングの黒髪は、いつも美しいリボンで結んでいらっしゃって、傍から見てもとても素敵な自慢のお父様だ。


しかしそんな風貌に似合わず、小さく可愛らしいものが大好きで、お義母様と私達を着飾るのもお好き。聞いたところによると、魔王城にあるお父様の執務室にファンシーな編みぐるみや、お手製パッチワークのクッションカバーなどを持ち込んでは「王兄将軍閣下の威厳が損なわれる」として副官に都度回収されている…らしい。


「…どちらが良い」

目の前に、お父様お手製刺繍のリボンが二本差し出された。

ひとつは、深い藍色の絹に銀糸。もうひとつは、緋色の絹に黒糸。


「えぇと、お父様にお任せいたします…」

「そうか」

仕上げに選ばれたのは、深い藍色の絹に銀糸のリボンだった。


「お前の髪は愛らしく揺らめくからな。銀糸が星のようで美しい」

「あ、り…がとうございます…」

もうもうっ!

お顔は全然変わらない癖にすぐこういうことをおっしゃるんだから!!

熱を帯びた頬を手のひらで冷まし、ふるっと気合を入れ直す。


「さぁ、お父様。第三層へ参りましょう!」

「…?あぁ、そうだな」


私は勢いよくドアを開け、ずんずんと廊下を進んだのだった。

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